今朝、早朝の便でデリーを出て、ムンバイに戻ってきた。夫はオフィスに直行し、わたしは自宅へ。シムラーの肌寒くも凛とした空気が恋しくなるほどに、ムンバイはすでに暑さが増している。
さて、3泊4日のシムラーの旅の記録。ついつい長くなりそうだが、取り急ぎまとめておこうと思う。
●英国統治時代の、夏の首都だったシムラー
今回の旅先は、インド北部、ヒマーチャル・プラデーシュ州の州都、シムラーである。
英国の統治下にあったインドにおける首都は、1858年から1912年までがコルカタ(カルカッタ)、1913年からは暫定期間も含めてデリー(ニューデリー)であった。
両都市とも夏期は非常に暑いため、一年のうちの半年間は、このシムラーが首都機能を果たす「サマーキャピタル(夏の首都)」だったという。
アルヴィンドの父方の祖父は政治関係の仕事に就いており、またアルヴィンドの母方の祖父も政治家でありビジネスマンであったことから、その子どもたち、つまりアルヴィンドの両親や叔父たちが子どものころは、シムラーに久しく滞在していたのだという。
昨夜、アルヴィンドの亡母の兄、つまり伯父にあたるランジートとその妻ニナの邸宅を訪れたのだが、そのときに「古き良きシムラー」の話を聞いたのだった。
現在は開発が進み、樹木が伐採され、コンクリートの住居が山肌を覆い、かなり「醜い景観」をも見せているシムラー界隈であるが、当時は木々も豊かに建築物にも味わいがあり、とてもすばらしい場所だったという。
そもそもインドを統治していた英国人の多くはスコットランド出身者が多く、シムラーの光景がスコットランドを彷彿とさせることから、ここが夏の首都に選ばれたとの話もあるそうだ。
わたしたちの滞在したホテル、ワイルドフラワーホールは、現在、オベロイ系列のホテルとなっているが、かつてはこの場所に、英国統治時代からの由緒ある同名のホテルがあった。
優美なコロニアル建築だったというオリジナルのワイルドフラワーホールは、不幸にも1990年代、電気系統のトラブルによる火事で焼失してしまった。
2001年に現在のホテルの姿となって営業を再開したとのことだが、昔のワイルドフラワーホールを知る人は、その優雅な建築美を懐かしむらしい。その姿も見てみたかったものだ。
●チャンディガールから山道を怒濤5時間ドライヴ
さて、土曜朝。ムンバイの自宅を出て空港へ赴き、10時10分発のジェットエアウェイズ便チャンディガール(Chandigarh)行きに乗る。
せっかくの休暇だからとビジネスクラスにアップグレードして、2時間あまりの快適なフライトの後、小さなチャンディガールの空港に到着した。
チャンディガールはパンジャブ州とハリアナ州の州都で、世界的に有名な近代建築家、ル・コルビジェ(スイス生まれ、フランスで活躍。本名チャールズ・エドワード・ジャンヌレ)らによる都市設計のもとに作られた新しい町だ。
なるほど、上空から眺めるチャンディガール市街は、整然と区画が整理されており、渋滞なども少なそうな雰囲気である。
チャンディガールからシムラーにあるホテル、ワイルドフラワーホール(オベロイ系列)までは約4時間ほどの道のりだと聞いていた。速やかに快適に移動したく、ホテルの車を手配していたのだが、なぜかドライヴァーが迎えに来ていない。
夕べも夫が再三確認をとっていたにもかかわらず、だ。機内でたまたま乗り合わせたアルヴィンドの昔の同僚も、ワイルドフラワーホールへ向かうとのことだったが、彼らの車は迎えにきている。
オベロイやタージなどの高級ホテルは、車の手配ミスなどこれまでほとんどなかったから安心していたのだが、やはりインドである。
結局、車が来るまでに、工事現場の傍らの埃っぽい場所で車を待つこと45分! 快適フライトが水の泡だ。この間、アルヴィンドはホテルに何度も電話を入れたり、ドライヴァーに電話をしたりとでイライラを募らせていた。
ホテルの手配したAVISの手違いだったらしいが(インドのAVISはオベロイ系列らしい)、それにしても「お出迎えから肝心」なリゾートホテルにあって、このサーヴィスはあんまりだ。
日常の些事から離れ、こういう事態を避けるためにも、割高とはいえ敢えてホテルの車を依頼したのに、これではどこの会社に手配したのでも変わらないではないかと、二人してたいそう不満である。
が、ここはインド。
いやなことはとっとと忘れて次に行くのがハッピーに生きるコツである。気を取り直して車に乗り込み、一路目的地へ。ようやく午後1時ごろに出発である。
ムンバイからシムラーへ向かう方法としては、このようにチャンディガールから車で向かう方法と、デリーからシムラーの空港まで飛び、空港からホテルまで約1時間、車で向かう方法とがあるほか、列車などの選択肢がある。
デリーに住んでいたら、間違いなくシムラーの空港に飛ぶところだが、ムンバイからは直行便がないため、飛行機を乗り継ぐよりもドライヴで一気に、と思ったのだが、一気に、とはいかないものである。インドだもの。
●ドライヴァーおすすめの食堂で、ローカルなランチ
上空からはきれいに見えた町も、地上に降り立てば、普通にインド。しかし、道行く人々の顔つきが違う。目の色が黒ではなく、薄いブルーやグレイ、グリーンのような人もいる。
携帯電話に"Airtel welcomes you to Haryana. We wish you a pleasant stay and...."というSMS(テキストメッセージ)が入る。インドではAirtelのサーヴィスを利用しているが、移動するたびに、その管轄するAirtelからのメッセージが届くのである。
ハリアナ州のあるこのあたりは、パンジャブ地方とも呼ばれ、バンガロールのあるカルナタカ州とは、街の様子も人々の顔も異なり、別の国に来たような気分になる。シク教徒が多いため、ターバン頭の男性もしばしば目にする。
あちらこちらが工事中で、埃っぽい道路のようすは、現在のインドのどこにおいても見られる光景だ。それにしても、派手にペイントされたトラックの多いこと。
埃っぽい路肩を、しかし鮮やかな色のみかんの山が、次々に目に飛び込んでくる。この界隈で収穫されるみかんの、今が旬なのだ。どの露店にも「みかん絞り機」が備えられていて、トラック野郎たちがぐいっと飲み干していくようである。
また、「WINE & BEER」の看板を掲げた商店も頻繁に目に飛び込んでくる。このあたり、酒飲みが多いのである。
更には、やはりトラック野郎向けの食堂である「DABBA」もまた、あちこちに点在している。スパイシーなダルや煮込み料理が入っているらしき、4つ5つの大きな釜が店頭に並んでいる。
昨年末に購入した本、"FOOD PATH: CUISINE ALONG THE GRAND TRUNK ROAD FROM KABUL TO KOLKATA" を思い出す。
ハイウェイはいくつかの小村を抜けて、いつしか道路は山道になりはじめた。やがて「ようこそヒマチャル・プラデッシュ州へ」の標識が見えてくる。シムラーまでは86キロ。
インドの山道で86キロと言ったら、相当に時間がかかることが予測される。まだまだだ。ほどなくして携帯電話に、今度は、"Airtel welcomes you to Himachal Pradesh"のメッセージが入った。
道中、地元の商店やレストラン、ホテルなどに紛れて、マクドナルドやCafe Coffee Dayなど、見慣れたファストフード店も目に入る。マクドナルドではお手洗い休憩。
しかし食事はとらず、せっかくだから地元らしい店を訪れたく、ドライヴァーが勧めてくれた「ややこぎれいな」DABBAでランチをとることにした。
活気溢れる店内。かなりの人気店のようである。たくさんのチャパティ(ロティ)や数々の煮込み料理。どれもおいしそうだ。
とはいえ、これからしばらくは蛇行を繰り返す山道ドライヴ。食べ過ぎては具合が悪くなるだろうからと、軽めにパニール(チーズ)とグリーンピーの煮込みとダル(豆の煮込み)を注文する。
思いがけず、チャパティがおいしい。素材となるATTA(無精製の全粒小麦粉)がよいのだろうか。釜での焼き加減がいいのだろうか。ともかくおいしくて、お代わり自由ということもあり、つい2、3枚を食べてしまう。
ゆっくりしている場合でもないのだが、チャイまで味わって、満足のランチタイムである。
さて、インドの山道運転が、いかにスリリングでデインジャラスかということは、この際、面倒なので記さない。
ともあれ、運命に身を委ね、時に目を閉じた方がよかろうと寝入りつつ、しかしなかなかたどり着かない。
それにしても驚かされるのは、山間の開発の著しいこと。
道路脇で建築中の建物が次々に目に飛び込んでくる。
つまりは資材を運搬するトラックの往来も激しく、山道を競り合いながら車は行き来し、砂塵は舞い上がり。
一方で、ゴミの多さ。
途中、スナック菓子をたっぷりと店頭に並べた店が次々に目に飛び込んでくるのだが、道路脇には、そのスナック菓子の色鮮やかなパッケージが山と捨てられている。いたたまれない思いだ。
やがて日が傾き始めたころ、ホテルに到着した。午後6時過ぎであった。ランチ休憩30分をのぞいても、約5時間のドライヴ。空港で待たされたこともあり、予定よりもかなり遅くなってしまったが、ともあれ日暮れ前には到着できてよかった。
●夕暮れの高原ホテルに到着。恭しく出迎えられる
ホテルの敷地内に入るとそこは別世界。緑に映える、高原のリゾートと呼ぶにふさわしいたたずまいの建築物。
にこやかなスタッフに出迎えられロビーのソファに腰掛ける。ホットチョコレートとおしぼりを出され、一息ついてからチェックインである。
さて、チェックインをしようとすると、ホテルのマネージャーがやってきた。車の手配の不備について、誠実に詫びてくれる。
ホテルとしてはとても恥ずべきことであり、本当に申し訳ありませんでしたと何度も繰り返す。ともかくは送迎の車代を無料にしてくれるという(150ドル相当)。
こちらとしては、確かに不満ではあったものの、こうして無事に到着したのだし、送迎の車代を無料にしてもらえるのならばそれでいいでしょうということで納得した。
しかし、それに加えて、部屋へのワインサーヴィスやインターネットの無料サーヴィス(結局はほとんど使わなかったが)を提供してくれた。
更には、3泊のうち1泊分を無料にしてくれるという。本当はスイートにアップグレードしてくれたかったようだが、あいにく満室だったので、1泊無料である。こうなると、最早、申し訳ないくらいの気持ちにさせられる。
アルヴィンドも、「そこまでしてくれなくても」などと、むしろ気を遣い始めているが、確かにホテルの手違いは手違いなのだからと、せっかくだからお受けした。いくつかの部屋を見せもらい、眺めの良いバルコニー付きの部屋を選んだのだった。
標高8,250フィート。約2,500メートルの高みから、周辺の山々を見渡せる部屋。ムンバイからはずいぶんと、遠くまで来たものだ。
さっそく、ワインを開けて乾杯する。
ワインはともかく、ウェルカムフルーツの「みかん」は、道中の露店で散々目にしたせいもあり、「安っぽいわ〜」と思いつつ、皮を剥いて一口食べたところ! お、おいしい!! びっくりするほど濃厚な甘酸っぱさで、びっくりだ。
次々に皮を剥き、味見をする。中にはまあまあ、のものもあったが、3泊4日の滞在中10個以上食べたうち、絶品は4個。あたりはずれがあるにしても、おいしくて感激だ。
あとでスジャータに聞いたところ、デリーなどのマーケットですら手に入らない、現地ならではの味わいなのだとか。ちなみに日本の温州みかんとよく似ている。タンカンと呼ばれる種のようだ。
こんなことなら、あの露店で買い込んでくればよかったとさえ思う。
●我が家(バンガロール宅)とちょっと似ているインテリア
このホテルの特長は、遥かヒマラヤ山脈の高峰と、ヒマラヤ山系の山々を眺める景観である。また、屋内プールと、テラスにあるジャクージーが大いなる魅力。
チェックインをするやいなや、早速ホテル内を巡り、プールサイドへ。
わたしがはじめてこのホテルのことを知ったのは2年前、新居の内装工事をしているときだった。
自宅のシャンデリアを調達するのに、どうしてもバンガロールの店では好みのものを見つけられず、オベロイやタージなどホテルの照明を専門に手がけるデリーの照明専門店「クリスタルショップ」に連絡をしたときのこと。
参考までに写真を送ってほしいと頼んだところ、インド各地のオベロイやタージのシャンデリアの写真を電子メールで大量に送ってくれた中に、このホテルのプールやロビーの写真があったのだった。
プールにシャンデリアの内装が非常に印象的で、そのときにこのホテルの存在を知ったのだった。
このホテルの照明は、照明のカヴァーの形こそ違えど、我が家のものとほとんど同じで、何となく親しみのわくインテリアである。
●メニューにない料理を提供してくれる気配りシェフ
ホテルのダイニングは一つだけだが、プールサイドやゲームルーム、そしてもちろん部屋でも食事ができる。
ランチタイムはハンバーガーやサラダ、サンドイッチなどのコンチネンタルメニューなどから選び、夕食は、コンチネンタルとインド料理が基本であるが、後述の通り、自分たちの口に合った料理を作ってもらった。
朝食は、コンチネンタルとインド料理のブッフェに加え、卵料理やパンケーキなど温かい料理を注文すれば作ってくれる。
これといって、特筆すべき味わいというわけではないのだが、しかし眺めのよいダイニングでの食事は格別だ。
左の写真はホテルオリジナルの「デトックス・ジュース」。
スイカやビートルートのジュースにミントの葉などが刻まれて入っている。
香りがよく、とてもおいしいジュースで、毎朝飲んだ。
食後のコーヒーは、いつも飲み慣れている南インドのコーヒーとよく似た味で、なんとなくリラックスさせられる。
ディナータイムは毎晩のように、シェフがテーブルまで来てくれて、あれこれと注文を聞いてくれた。
「メニューはあくまで目安です。お好みの素材をお好みの味付けで料理しますから、どうぞおっしゃってください」
とのこと。
初日はインド料理(マトンカレーなど)を、翌日はローカルのトラウト(鱒:マス)をタイ料理風に味付けしてもらったものと野菜のソテーなどを注文した。
トラウトが予想以上においしかったので、最終日には丸ごとをグリルにしてもらった。
骨が多いので少々食べづらかったが、ほどよくあっさりとした味付けておいしかった。
ランチタイムはチキンバーガーやサンドイッチなど、しっかりしたものを食べたので、夜は軽めにしたく、こういう好みの味付けで対応してもらえるのは本当にありがたい。
ところで上の写真、ウエイターが持っているのはプロフィットロール。我が夫の好物のスイーツだ。とても魅力的な見た目だったので写真を撮らせてもらったが、食べたわけではない。
●午後の大半を、プールと、ジャクージーで過ごす
このホテルの魅力は、山並みを望む場所に設けられたジャクージーと、まるで温室のように温かなプールである。滞在中、午前中はトレッキングを、午後はプールサイドもしくはジャクージーに浸かりつつ、過ごしたのだった。
今年は春の訪れが早いらしく、最高気温は15℃前後、最低気温は5℃前後。外へ出れば澄んだ空気が凛と肌を刺して冷たいものの、しかし寒すぎず心地よい。
ホテルは全85室で、シーズンオフの現在は稼働率が5割以下とのことだが、わたしたちゲストにとっては、これくらいでちょうどよかった。
なぜならプールサイドやジャクージーを独占するように使えたからだ。普段は38℃に保たれているというジャクージーだが、2日目はなぜか40℃に設定しています、とのことで、まるで温泉のような心地よい温度だった。
人がいないときを見計らってジャクージーに入ったり(一人のときは気泡を止めてもらい、まさに温泉状態にしてもらう)、プールサイドで読書をしたり、ビールを飲んだり、遅いランチを食べたり、まどろんだりする。
本当に極楽であった。
3日目にはスパでのマッサージも受けたが、オフシーズンにも関わらず予約がいっぱいで、ぎりぎり最後に開いていたスロットに予約を入れた。
そういう意味でも、シーズンを少し外した時期に訪れたのは正解だったかもしれない。
●ゲスト同士の交流も豊かに、社交的な日々
ホテルのスタッフ曰く、ゲストの3分の2がインド人。3分の1の外国人のうち、英国人が主流だとのこと。わたしたちの滞在中は、英国人、米国人、そしてフランス人の姿も見られたが、主にはインド人だった。
ゲストが少ないこともあり、プールサイドやジャクージーなどで互いに挨拶をしあい、特にアルヴィンドはいろいろな人たちと話し込んでいた。
あるグループは誕生日パーティを口実に4夫婦が結集。夜のジャクージーをワインを飲みつつ独占し、まるでラスベガス状態であった。
一緒に飲みましょうと誘われたが、夜の外は寒過ぎて、いくらジャクージーに入っても風邪を引きそうだ。
紅茶の貿易商やホテルグループのオーナー、ファイナンシャル関係者など、さまざまな人々。世界各地に自宅を持つ人、毎年秘境旅をしていて今年は南極に行く人など、まあ、話を聞いているだけでも豪勢である。
一方、米国人グループは、夕食の席にて大声で、ストックマーケットのクラッシュぶりや世界同時不況の実態について語り、リゾートムードが台無しではある。がそれもまた、浮き世である。
ムンバイのご近所(隣のアパートメント)から来たインド人&中国人夫婦とも出会い、言葉を交わす。
●朝な夕なに、部屋からの眺め。山並みや、星空など
外は肌寒いとはいえ、目覚めればバルコニーに出て、山並みを望む。遥か、山頂に雪をいただくヒマラヤ山脈は1月2月の空気が澄んだ時期にしか見られないとのことだが、今回、少しだけ、うっすらとその影を認めることができた。
写真では本当にわかりづらいが、右下の写真がそれだ。山並みの遥か向こうに、とても高い山脈の影が見えるだろうか。
目を凝らしながら、その様子が見られた時には本当にうれしかった。いつかもっとヒマラヤ山脈に迫る場所を訪れて、間近に稜線を眺めたいと思う。
夜はといえば、満月間近の満ちる月と、満天の星空。オリオン座が頭上にきらめき、これもまたすばらしい眺めである。
●木漏れ日と、緑の匂いと、鳥のさえずり。トレイルを歩く。
ワイルドフラワーホールでは、眺めの良いトレッキングを歩くほか、乗馬やサイクリング、やや離れた場所を拠点としたリヴァー・ラフティングなどのアトラクションが楽しめる。
わたしたちは滞在が短いこともあり、2日目、3日目ともに午前中はトレッキングを楽しみ、午後はプールサイドでくつろぐことにしたのだった。
初日はガイド(ホテル従業員)の同行で、ホテル周辺の森の中を2時間ほど歩いた。ガイドはとても博学で、シムラー界隈の情報や、その他、さまざまなことを案内してくれる。
ちなみに十日ほど前、日本のNHKがドキュメンタリーの撮影でシムラーを訪れたそうだ。英国人作家によるインドを著した本の舞台をたどる旅らしい。近々その番組で、このホテルのことも紹介されることだろう。
ところで右下の看板は、1879年以来、ここにあるのだという。130年も前のもの。なんだか不思議な感じだ。
薔薇の花のような形をした松ぼっくり。天を駆ける象のような雲。
さて2日目は、ホテルで地図をもらい、自分たちで別のトレイルを歩くことにした。昨日はホテル敷地内からの遊歩道だったが、今日のルートは一旦ホテルを出て、村を通過する。
ホテルの外には、いくつかの商店と食堂が並び、電話会社の広告が目立ちすぎて、とてもそうとは思えない、のんびりとしたポリス・オフィスがある。
わたしたちが歩き始めるや否や、犬が一匹ついてきた。
まるで案内をするように、わたしたちの前を後ろを、忙しげに歩く。
あとからホテルのガイドに聞いたところによると、この犬は乗馬ツアーの時もトレッキングの時も、必ずホテルのゲストについてくるのだという。自分のことをガイドだと思い込んでいるようだ。
これで犬同士、仲良く遊ぶことだろうと思っていたのだが、結局は2匹、しばらく見つめ合ったものの、ガイド犬はわたしたちへのガイドを遂行すべく、またついてきた。
忠犬である。
かわいい。
途中で村を通過し、学校や政府高官の別荘地、果樹園などを眺めながらゆく。地元の雰囲気を肌で感じながらの散歩はまた楽しい。暑くもなく寒くもなく、本当にいい時候だ。
他のゲストに聞いたところ、6月7月のモンスーンシーズンが彼女のお気に入りだとか。あたりは雲に包まれて、しかし雲の流れが早く、その変化が幻想的なのだという。
あと1泊、延泊しようかと本気で話し合ったが、デリーで家族が楽しみに待っていることだし、今回は3泊で切り上げることにした。
せめてあと1日、のんびりと過ごしたいところだった。
10日朝、後ろ髪を引かれる思いでワイルドフラワーホールをあとにした。1時間半ほどで設備ミニマムなシムラー空港に到着。
乗客が揃うや否や、定刻よりも30分ほども早く飛行機は離陸し、1時間足らずでデリーに到着した。早かった。
ちなみにワイルドフラワーホールは12歳以下の子どもは宿泊できない大人のリゾートである。わたしたちにとっては、静かな時間を過ごすことができて、本当によかった。
こういう大人のための聖域があるのは、ありがたいことだ。
ムンバイからだと少し遠いが、しかしまた近々訪れたいと思う。次回もまたデリー旅とのパッケージで、しかしドライヴは極力短めに、往復路ともシムラー空港を利用して訪れたいものだ。