思えばバンガロールから戻って以来、一度も冷房を入れていない。蒸し暑ムンバイを嘆いていたのが、すでに遠い過去のよう。モンスーンシーズンとは、こんなに涼しいものだったか。
一応、最高気温は摂氏30度は超えているが、天井のファンだけで十分だ。時折の、外から吹き込んでくる風もなかなかに心地よい。過ごしやすくてなによりだ。
それにしても、日々、濃い。
たいしたことをしていない一日ですら、どうしてこんなに「書いておきたい」と思うことがあるのだろう。
取るに足らないことも、何らか「意味ありげ」に思えてくるのは、ここがインドだからだろうけれど。毎日のように、記録したい思いをばらばらと取りこぼしながら、しかし記したところで、なにがどうなのだ、という思いもあり。
多分、自らの経験の消化に、必要な過程なのだと思う。
■久々INDUSで、女子大生の演技とトークに感嘆す。
今日は、ムンバイ在住のインド人女性&外国人女性のための勉強会、INDUSのレクチャーに、久々に出席した。毎度、メンバーの自宅で開催される各種イヴェント。
相変わらず、家のインテリアなどを拝見するのも興味深い。今日のホストは絵画好きと見え、M.F.フセインをはじめとするインド人アーティストの絵画が、壁の至るいたるところに、どしどし掛けられている。
レクチャーが始まる前の、お茶を飲みながらの歓談を楽しみつつ、絵画に目を走らせる。
さて、今日は女子大生5名によるマイム(パントマイム:無言劇)が披露された。インドにおける性差別問題をテーマにしたいくつかの寸劇が、次々に展開される。
欧米化の波にさらされて、人々のライフスタイルが、ところによっては徐々に、ところによっては劇的に変化している最中にあるインドにあって、しかし、未だ変わらず存在する「悪しき男尊女卑」の部分を、シニカルに、しかし巧みに表現している。
ダウリー(結納金)の問題にはじまり、サティ(亡夫を後追いする自殺)、家庭内暴力、女児の中絶、昨今の若者の男女関係、通勤(通学)列車内の痴漢行為……と、女性問題を意識したそれらの劇は、ユーモアを交えながら表現される。
言葉がなくとも、動作ですべてわかるというのは、万国共通で面白いものだ。一方で、「インドならでは」の仕草、ジェスチャーも多いため、インドを知らない人にはむしろ、わかりにくいだろう部分もあった。
演劇のあとの質疑応答がまた、白熱した。「INDUSメンバーのおばさま」対「女子大生」の意見交換が、何とも面白い。
個人的には、性差云々より、インドの女子大生の視点、つまりわたし個人が普段関わることのない世代のインド人の考えの一端を垣間みられたことが、たいへん意義深かった。
封建的な部分と、現代的でオープンな部分との混在。特に、インド富裕層に見られがちな、新旧の価値観の混沌が、意見交換の中で浮き彫りになり、それが興味深かった。
それにしても、欧米もそうだが、インドの学生も、本当にしっかりしている。物怖じせず、大人たちと対等に話ができる。自分の意見を、はきはきと話す。否定されても、きちんと受け止め、反論すべきは反論する。
そういえば、数カ月前、スジャータ宅を訪れた時、ラグヴァンの教授仲間のお嬢さんが、大学に入学した途端、猛烈に饒舌になって大人の会話に入ってくるようになったことに驚いた。
彼女のことは5年ほど前から知っているが、いつもおとなしくて、両親のそばにくっついている少女だったから、その変化の著しさに驚いたのだ。
大人の意見に屈せず、声を大にして自分の意見を語れるようになるそのきっかけとは、具体的になんなのだろう。インドの教育の現場を見てみたいとさえ思う。
ところで、大人びた口調とは裏腹に、女子大生たちがおばさま方に対して「アンティ!(おばちゃん!)」と呼びかけるところが、しかし子どもっぽくてかわいらしい。
■インド「プチ」地獄編:いつ、どこで、撮れるのだろう。
インド生活とは、天国と地獄が混在しているようなものである。ということは、敢えて書くまでもなくお気づきかと思う。地獄部分を事細かに記すのは面倒だが、しかしたまには一例を。
インプラントの治療の、第二段階に入るべく、歯医者へと向かった。歯茎と骨の様子を確認するべく、OPGと呼ばれるパノラマX線写真(レントゲン)を撮らねばならないという。
ドクターのオフィスにはその機械がないため、階下にあるX線の専門センターで撮ってくるよう、指示される。階段を下りて、訪れたところ、
「OPGのマシンが故障しています。いつ修理がくるかわかりません」
とのこと。毎度、インド的な展開に脱力しつつ、階段を上って歯科に戻り、その旨伝える。
と、すぐ近所にあるコラバマーケットの向かいに、別の診療所があるから、そこに行ってOPGを撮って来るように言われる。
「ちょっと古い建物だけど、まあ、機械は問題ないから」
とドクター。ちょっとちょっと。このビルディングだって十分に古くておんぼろなんですけど。これ以上古いってどうなのよ。と思いつつも、車に乗ってコラバ・コーズウェイへ。
マーケットのはす向かいのビル。と言われたので、車を降りて、雨の中、傘を片手にうろうろと探す。ようやく見つけたビルは、本当に、本当に、おんぼろである。
インドには、特にムンバイには「廃屋?」みたいな建物がごろごろとしているが、これはまた、その典型である。
気を取り直して薄暗い建物に入り、テナントのリストにドクターの名前を探すが、見つからない。何度見ても、見つからない。おかしい。
と、住人のおじいさんが、「誰を探しているのかい?」と言いながらわたしのそばに来て、メモを奪い取り、眼鏡を外してメモを凝視する。
凝視する。
凝視する。
わたしが、「あ、いいですよ。自分で探しますから」といってメモを回収しようとしても、親指と人差し指の間に紙をしっかりと挟んで、離さない。
凝視する。
いつまでも凝視する。
ムンバイで、このような状況に至ったのは、これで二度目である。世話を焼きたいおじいさんは、とことん焼きたいようである。見つめて答えがでるわけでもなかろうに。
「このドクターは、ビルを出て、右の、隣の隣だ」
と、しかし断言した。猜疑心満載で礼を言い、外に出て探すが、ない。
これでは親切というよりも余計なお世話である。
もう一度、先ほどのビルディングに戻ったところ、業者のおじさんらしき人がいたので、診療所の所在を訊ねてみた。
「あぁ、そのドクターならオーストラリアに引っ越したよ。だいぶ前に」
とのこと。本日二度目の、インド的な展開に、改めて脱力だ。その後の経緯については、説明を割愛するが、まあ、こんな日常である。
こうして、治療の日時は、いとも簡単に、変更されていくのである。気長に、気長に。
■ワクワク生き物ランド! でさえも、地獄編? なのか。
今朝は6時起床、発声練習をして、7時よりFM熊本の収録である。
インド在住3年を過ぎ、「新鮮な視点での話題を」と思いつつも、すっかり「インド的」に慣れてしまい、何が日本人にとって珍しくユニークな話題であるのかがわからなくなる時がある。
さて、今日はインドにおける「生き物との触れ合い」をテーマに語ったのだが、予想以上に久枝さんに驚かれて、驚いた。
インドの街角で見かける野良犬や牛やウマやロバやラクダやゾウの話をする。
更には、バンガロールで出くわすヤギの群れの話をする。「ピーター!」なヤギ飼いのおっさんがいて、「ユキちゃ〜ん」と声をかけたくなる白いヤギもいるのだと、といった話である。
そこまではまあ、よかったのだが、「自宅で遭遇する生き物」の話題では、完全に引かれてしまったようだ。
小鳥や蝶、リスや野良ネコ、まではよかったが、「台所に侵入したサルの話」や、「リスをくわえたネコの話」や「庭に出没するネズミの話」や「屋内、ヤモリ歓迎!」を調子に乗ってしゃべっていたら、場が若干、凍っていたようだ。
久枝さん、ヤモリが全くダメらしい。当たり前だが、ネズミその他も。
ってことは、ひょっとして、これって、「地獄編」な話題なの?
自分でも気がつかないうちに、地獄を地獄と感じない女になってしまっていたようだ。
インドでは、二輪車にあらゆる物を積んで運ぶ。
バナナにまみれたライダーを見たこともある。
布製品を山ほど運ぶライダーを見たこともある。
二人乗りバージョンでは、後部座席でコンピュータを抱える人、テレビを抱える人、なにやら使途不明の巨大な機材を運ぶ人、ともかくあれこれ見る。
中でも最近見た中で、一番衝撃的だったのは、後部座席の男性の膝の上に、二頭のヤギが横たわっているのを見たときだ。ヤギは、明らかに生きていた。
生きていたが、暴れもせず、おとなしく、二頭がよりそって、腹這いになるような塩梅で、男の膝の上に乗っかっていた。
「ドナドナ……ド〜ナ……ド〜ナ……」
思わず哀愁の旋律が脳裏を巡る。あの男は、自らの膝や腹部に、ヤギたちの体温を感じながら、何を思っていたのだろう。
何も思っていないだろう。
さりげない日常の光景すら、きっとインド免疫力の浅い人には、きっと地獄の光景なのだろう。ワクワク生き物ランド! 改め、ゾクゾク生き物ランド! であろう。ということを認識した朝。
■手抜きTVディナーのはずが、ちょっとすてきなピクニック・ランチ風
夫が夢中になるスポーツは、クリケットだけではない。テニスもまた、である。思えばニューヨーク時代、USオープンを二人で見に行ったものの、あまりに暑さにわたしは途中で音を上げ、一人で帰宅したことがあった。
クリケットばかりか、テニス観戦にも興味がないのである。
バスケットボールは昔やっていたこともあり、見るのは好きだ。かつて引退から復帰したマイケル・ジョーダンをライヴで見た時には感激した。
ボルティモアへベースボールの試合を見に行ったときも、本当に楽しかった。
でも、テニスは、だめ。さらには打つたびに、
「ハッ!」とか、「ウォッ!」とか盛大に叫び合うあの声もまた、どうも苦手だ。あの声は、どうしても、出さねばならんのだろうか。ならんのだろうな。気合い、なんだろうな。しかし、どうしても、だめなのだ。
そんなことはさておき、現在、ウィンブルドン選手権の真っ最中で、夜な夜な、夫はTVに釘付けである。TVを見ながらだと、料理を正しく堪能できないし、消化に悪いし、感じも悪い。
しかし、ここ数日の試合をどうしても見たいのだ、というので、妻は手抜きの夕飯を作ったのだった。いや、作ったはずだったのだ。
ところが、半分「出来合いのもの」の夕食が、むしろカラフルで楽しげになってしまった。きちんと作ったのは、ポテト&キャロットのサラダのみ。あと、インゲンもゆでたけれど。
お気に入りカフェ&ベーカリーのMOSHE'S で調達したハマス。それからいただきもののサーモンのパテ。フラットブレッドはやはりMOSHE'Sのもの。
ピザ的パンは、INDIGO DELIでランチを食べたとき、買っておいたもの。あと、最近ブームのバーベキューハム。そしてインドはナシック産のワイン。
簡単だけど、贅沢感のある、ピクニックのような夕餉であった。食に少しでも敬意を払うべく、せめて「音声を消して」味わったのだった。