1週間のニューヨーク滞在は、いつものように瞬く間に過ぎて、火曜日の午後にはサンフランシスコへと飛ぶ。
今回の旅は、夫の仕事だったこともあり、しかも突発的な打ち合わせが多く、予定が立てられなかったこともあり、ミュージカルその他のエンターテインメントを楽しむことなく、過ぎていった。
一方で、わたしはといえば、行こうと思えば行けたダウンタウンや、様子が一新したと評判のミートディストリクトさえ足を延ばすことなく、ミッドタウンとアッパーウエストサイドの周辺をうろうろとして過ごすばかりだった。
インドでの生活に欠けているもの。それは街を歩くことである。
だからなおさら、特別なことをするよりも、ただ歩いてまわれることにさえ、楽しみを感じるのかもしれない。
カフェでコーヒーを飲みながら、通りを行く人々を眺めたり、あるいはセントラルパークの適当な場所に腰掛けて、周辺の様子を見つめていることそのものが、観劇のようであるのだ。
ニューヨークは、街そのものが、劇場である。インドとはまた、異なるタイプの劇場であり、眺めていて飽きない。
●土曜日:エミ&ショーンとの再会と、ランジャン叔父との夕食。
土曜日は、かつてバンガロールに住んでいたエミさんとショーンと会うべく、グランドセントラル・ステーションで待ち合わせた。彼らはニューヨーク郊外のコネチカットに住んでいるのだが、わざわざ会いに来てくれたのだ。
エミさんたちがバンガロールにいたのは2005年末から2006年にかけての1年足らず。
しかし、わたしたちはちょうど同時期に渡印したこともあり、お互いにとって「インド発見」の日々だったせいか、二人であちこちへ探検的な遊びに出かけた。
OWCのコーヒーモーニングで出会って以来、食事や買い物によく出かけたものだ。夫婦揃ってカビニ(ジャングル)へ旅行をしたこともあった。
彼女を始め数名の友人からのリクエストで始めたクッキングクラス、そしていくつものパーティ……。
お互いにバンガロールを離れていた時期もあり、実質は半年程度だったはずだが、そんなに短期間だったとは思えない思い出がたくさんあって、懐かしい。
右上の写真は二人からのプレゼント。コスタリカ土産のコーヒーとチョコレートをいただいた。ショーンのお母様がコスタリカ出身なのだ。
お父様の方は、色々な国の血が混ざっているらしく、ショーンは誇らしげにあれこれ説明してくれたのだが、よく覚えていない。
思えば、彼女たちがインドを離れ、こうしてニューヨークで会うのは、すでに4度目。いつも笑顔で元気な二人に会えるのは、ことのほかうれしい。
少しずつ、変化する近況を報告しながら、当時のバンガロールの話を思い出しながら、あっというまに時間は過ぎてゆく。
夜は、アッパーイーストサイドで、アルヴィンドの叔父ランジャンと夕食を共にした。彼のいきつけの寿司屋で待ち合わせた。
いつもは彼らの邸宅におじゃまするのだが、今日は妻のチャンドリカが不在ということで、ランジャンがお気に入りの寿司屋を選んでくれたのだった。
ランジャンはインドのIIT(インド工科大学)カンプールを卒業した後、数年インドで仕事をして、米国のハーバードビジネススクールに進み、いくつかの企業を経て、現在はニューヨークでヘッジファンドを経営している。
アルヴィンド曰く、現在の米国においてさえ、非常に優良な業績を上げているとのこと。
妻のチャンドリカ(ペプシCEOのインディラ・ヌーイの姉)もやはり、インドでしばらく仕事をしたあと、ニューヨークに渡り、マッケンジーで史上最年少の役員となったあと、起業した。
彼女はフォーブス誌ほか、メディアでもしばしば取り上げられるニューヨークでも著名な女性ビジネスウーマンであった。
しかし数年前にはリタイアし(といってもまだ50代だが)、今は米印を結ぶフェアトレードの仕事や、趣味の音楽の仕事のほか、いくつかの組織の役員を務めるなど、多忙な日々を送っているようだ。
彼ら夫婦は、わたしには想像もつかぬほどの明晰な頭脳を持ち、努力家であり、勤勉家であり、そして資産家であり、つまりはビジネス界における「成功者」である。
しかし、チャンドリカはともかく、ランジャンは毎度、「やさしい親戚のおじさん」ムード満点で、あらゆる隔たりを感じさせない。
前々からおいしい寿司屋があるから、一緒に行こうと言われていたので、今回初めて訪れたのだが、そこは極めて普通の日本料理店だった。
「今日のところは、ミホに任せるから」
と、ランジャンは言い、わたしに料理を選ばせる。テーブルに届く料理を、まるで初めて食べるように、慣れない手つきで箸を持ち、一生懸命食べている。アルヴィンドと同様、途中で面倒になるのか、指でつまんだりもしている。
一般のニューヨーカーと同様、醤油にたっぷりのワサビを入れようとしているので、思わず、「あ、わさびはほんの少しで大丈夫よ」と、制する。
多くのニューヨーカーは、たっぷりのワサビをいれた醤油に、寿司をどっぷりと浸し、それを「うまい!」と喜んで食べるのである。一般の日本人には堪え難い光景である。
ランジャンも、典型的なニューヨーカーであった。
ドラゴンロールもにぎり寿司も、ご飯の面を醤油にたっぷりと浸して、最早ごはんは黒く染まりぼろぼろにほぐれそうなところで口に運ぶその様子を見た時には、もう、見て見ぬ振りをするしかないと観念した。
今回の旅では『街の灯』のエピソードを思い出させるシーンがいくつもあったが、このシーンもまた、「寿司とニューヨーカー」そのままの光景である。
二人は主に、ビジネスの話をしているのだが、ランジャンはわたしに気を遣って、数分に一度は話を向けてくれる。
「ミホ、MASAには行ったことがある?」
「ないない! あそこは一人が軽く300ドル以上もするでしょ? とてもわたしたちは行く気にはなりません。超高級すぎる日本料理店だもの」
「僕もね、話には聞くけど、行ったことがないんだ。僕はこの店で十分。たとえ、MASAに行ったとしても、僕は日本料理をよく知らないから、多分、この店との違いが、よくわからないと思うんだよね」
気取らない、を超えて、気取らなさすぎる人である。
社会的地位や資産の有無、大小に関わらず、わたしたちの周辺には「鼻持ちならない人」がいない。オープンマインドな人たちが、本当に多い。
人生いろいろとあるが、しかし、ともあれ、そういうささやかな人のやさしみに出合えることが、有り難い。
わたしは、わたし自身の力だけでは、決して関わることのできなかった世界にある人々の生き方や考え方に、接することができる。学ぶことができる。その世界は、歳を重ねるごとに、広がっているように実感する。
それがうまく自分に作用しているかどうかは別として、わたしの精神を少なからず豊かにさせてくれているように思う。
わたしが選んだ「手作り豆腐」や「ハマチのカマ」や「ドラゴンロール」や「刺身盛り合わせ」などを、まるでわたしが作ったかのように、「おいしい! ミホの選択は正しかったね!」とほめながら、おいしそうに食べているランジャン……。
アルヴィンドを子供ころから知る彼は、別れ際、アルヴィンドの肩を叩きながら言うのだった。
「ミホ、このベイビーを、よろしく頼むよ!」
手を振って別れた後、アルヴィンドが問う。
「ねえ、僕ってベイビーかなあ?」
そんなことを、敢えて聞くこと自体がベイビーやろ!
と突っ込みながら、左手を掲げてイエローキャブを止め、タクシーに乗り込み夜の街を滑ってホテルへ戻ったのだった。
日曜だとはいえ、アルヴィンドは仕事である。取り敢えず、ブランチは外でとることにして、ホテル近くのいつものベーカリーへ向かう。
フルーツサラダ。
ベルギー風ワッフル。
そしてカフェラテ。
シンプルだけれど、おいしい食事。
アルヴィンドはホテルに戻って仕事。
わたしはセントラルパークで読書や散歩。
途中、街ヘ出れば、ストリートフェアをやっていた。
手作り石けんを売る露店を見つけた。
一つ一つ、匂いを嗅いで見る。
どれも、とてもいい香り。
シアバター入りのソープを、ホテルで使おうと一つ購入した。
夕暮れ時、アルヴィンドも仕事を終えたというので、二人でセントラルパークを歩く。日曜日のセントラルパークは、大勢のニューヨーカーたちが、思い思いにくつろいでいる。
歩いている。走っている。眠っている。歌っている。遊んでいる。生命力が満ちあふれている。
広大な芝生が広がるシープメドウにたどりつけば、日陰と日向の陰影がくっきりと、まるで月面のような温度差を伴って広がっている。
とアルヴィンドがつぶやくやいなや、目の前に、誰かが忘れていったらしい黄色いフリスビーが一つ現れた。
周りを見回しても、持ち主らしき人は見つからない。
ちょっとだけ借りることにした。
靴を脱いで、芝生に素足を浸す。ひんやりと、気持ちいい。二人して、決してうまいとはいえない、フリスビーを、投げ合う。
空は青くて、木々や芝生は緑で、いろいろな種類の人間や、いろいろな種類のイヌたちが行き交っている。
リスやハトやカメやカモや、さまざまな動物があちこちにちりばめられている。
満ちあふれている。
ニューヨークという街。
夜は、前回の旅で訪れて、すっかり気に入ったステーキハウスへ再び足を運んだ。
どれもこれもボリュームたっぷりなので、シーザーサラダも、ベイクドポテトも、ブロッコリーのグリルも、そしてステーキも、すべて一品ずつ頼んだ。
サラダもおいしい。
ステーキは、やはり、格別だ。
硬すぎず、しかし柔らかすぎない、適度な歯ごたえと、エイジドビーフの、肉そのものの旨味が詰まっている。
たまらん。
今回の旅、一人で適当にすませる食事が多かっただけに、このステーキは、間違いなくハイライトである。
縁がある場所とは、意図せずとも縁がある。
わたしたちは、特に来ようと意図しなくても、ここに来なければならない事情が発生している。
この街とわたしたちには、そういう断ち切れない絆がどうやらあるのかもしれないと、今回の旅では、何やら確信する思いだ。
そんな絆の存在を幸運として、これからも大切にしようと思う。