時差ぼけている間もなく、週中である。3週間の不在を経て、片付けねばならぬ雑事その他をさっさと、と言いたいところだがのろのろと処理する月曜火曜。
その合間にアーユルヴェーダのマッサージに行ったり、「やっぱり手料理はお腹にやさしいね〜」と言ってる先から、お気に入りのROYAL CHINAへ点心を食べに行ったりしつつ、過ぎ行く日々。
さて、今日は久しぶりにMUMBAI CONNEXIONのコーヒーモーニングに参加すべく、わざわざ北ムンバイのバンドラまで足を延ばした。
ムンバイで社交の場に参加する機会が減っているからということもあるが、南ムンバイと北ムンバイを結ぶ例の「アオクジラ8頭分ね!」の橋ができたおかげで、以前は1時間以上かかった道のりが45分程度に短縮されて行きやすくなったこともある。
ということに加え、本日はコーヒーモーニングではなく、厳密には「ランチの集い」であった。それも、各自がインド(ムンバイ)ならではのストリートフードを持参してのポットラックパーティである。
この企画、最初から「無茶だな」との印象は受けていた。なにが無茶って、胃に対して、である。ムンバイのストリートフードと言えば、油っこいもの、ヘヴィーなものが主流で、つまりは過激高カロリーであり、胃に重いのである。
この日の映像(リンク)をご記憶の方もあろう。あのバターだらけの、あれ、などである。
それでも、ほどほどに味わえばいいわけで、ともあれ無茶とはいえ、面白そうな企画だったので、参加することにした。
一人くらい、サラダなどあっさりしたものを持参した方が重宝されるに違いないとは思ったが、しかしそれを準備する余裕もなかったので、近所で人気のインドスナック屋で、数種類のスナックを調達して北上する。
店では、比較的軽めのスナック、PANI PURIと、比較的重めのスナックALOO TIKKIを持参する。
購入のため、店頭に5分ほど立っていただけなのに、髪や衣服が「油っこい匂い」になってしまって、朝からすでに辟易である。しかし、車に乗って数分もすれば、匂いは気にならなくなり、さすがインド仕様にモデルチェンジされた我が鼻、である。
アラビア海を見晴るかす高級アパートメントの一室。英国人駐在員夫人が本日のホストだ。三々五々訪れるゲストたち(欧州人多し)とともに、テーブルの準備をする。
予想通り、揚げ物、油っこいもののオンパレードであるが、食べたことのないスナックもあり、興味深い。おしゃべりをしつつ、少しずつ、味見をする。
中盤、ゲストが各自持参したスナックの説明を行う。わたしのように、出来合いのものを購入して来た人もあれば、自分で作った人、あるいはメイドに作ってもらった人もいる。
説明は割愛するが、取り敢えず一部スナックの写真を掲載しておこう。
個人的には、左一番上のジャガイモのパコラ(天ぷら風)がおいしかった。2時間ほど、スナックとお茶、そしておしゃべりを楽しんで、おいとましたのだった。
さて、会合の後は、界隈を少し彷徨することにした。といってもドライヴァーに運転してもらってのことではあるが。
なぜ界隈を彷徨したいと閃いたかといえば、昨日、本日の会場となった西バンドラ地区の地図をプリントアウトしたところ、この西バンドラ地区の一画にキリスト教会が多く、中でも気になる教会名を見つけたからだ。
St Francis of Assisi Church. 聖フランシス・アッシジ教会。
アッシジ、といえば、イタリアのウンブリア地方にある城塞都市だ。27歳のとき、欧州3カ月放浪の旅をした際に立ち寄った。
これまで無数の土地を訪れて来たが、この街は、最も印象的で忘れがたい場所のひとつである。ここには、特別な風が吹いていた。
詳細を書き連ねると長くなるので、アッシジについて興味のある方は、以下を参考に。
聖フランシス・アッシジ教会を探して、小路をくぐりぬけていく。随所に十字架が立ち、キリスト像や、マリア像が点在しているこのあたり。クリスチャンが多いのであろうことが一目瞭然だ。
通りの名前も「チャペル・ロード」「マウント・カーメル・ロード」「バプテスト・ロード」「サン・セバスチャン・ロード」と、キリスト教に因んだものが交差している。
サン・セバスチャン・ロードの一画には、ガラスケースにおさめられた、全身を矢で射られた聖セバスチャンの像も立っていた。写真を取り損ねたが、インドで聖セバスチャン像を見るのは初めてのことである。
ちなみにスペイン北部、ピレネー麓、ビスケー湾に面した場所にサン・セバスチャンという町がある。ここもまた、わたしにとっては思い出深い旅先である。
尽きぬ我が旅情はさておき、ムンバイ。喧噪と混沌と騒音と雑踏とにまみれた街路に立つ十字架は、欧州の街角の石畳の静かな路地で見るそれとは、趣を異にして、しかし味わい深く。
さて、目的のアッシジ教会は、車一台がようやく入れる狭い道の向こう、スラムのそばに、あった。それは教会というよりは、「公民館」的な建物で、かなり殺風景な外観である。
せめて中を見たかったのだが、あいにく閉館で、夕方にならねば開かないという。ともあれ、ここは貧しき人々の救済の場であることは、察せられた。清貧の聖フランチェスコ……。
すぐ隣には、アッシジ教会とは別の、墓地があり、小さな教会があった。写真だと、とてもきれいに見えてしまうが、さにあらず。
周辺にはスラムが広がり、ゴミだめにはカラスや野良ネコが集い、薄汚れた牛が徘徊し、悪臭が漂い、青空と燦々と照りつける日差しと、花が添えられた墓石と、古びた教会の十字架と、修復工事をする汚れた男たちの往来との、その異様な調和に、またしても異次元空間に迷い込んだような感覚に襲われる。
なにもかもが、表現不可能なほどに、表現不可能だ。じりじりと照りつける太陽の日差しを二の腕で受け止めながら、時空がぐにゃぐにゃと歪むような、奇妙な気分を満喫だ。
ムンバイ。インド。この場所は、この国は、いったい何なのだろう。
住んでも住んでも、よくわからない。
住めば住むほど、よくわからない。
ワシントンDC在住時代に、更新の途中で中断したままの「一日一過去」から、アッシジの断片を転載する。なお、以下の写真は1994年に撮影したポジフィルムをスキャンしたものだ。
ここに立ち寄る予定はなかったのに、列車で出会った、やはりひとり旅の日本人女性に勧められて来た。
アッシジには、特別な風が吹いていた。
街の至る所から響いてくる鐘の音を聞いているだけで、
ウンブリアの大地を見渡しているだけで、
むやみやたらと心が浄化されて、独りでいることがどれだけ寂しいかを、とことんまで、味わった。
鮮やかに、記憶に残っているのは、何も高級で、ラグジュリアスなホテルだとは限らない。
小さくて、安くて、だけど個性がある、そんな宿は何年たっても、くっきりと思い出せる。
その場所で、自分が何を考えていたかさえも。
アッシジの、その修道院ホテルもまた、心に刻印された宿。
簡素な部屋の、ベッドの枕元の壁に、キリストの十字架が、ひっそりとかけられていた。