🇮🇳本日午後、バンガロールへ戻ってきた。昨日は終日、雨。主にはホテルで過ごした。ランチを終えたあと、部屋に戻って読書をしつつ、買ってきておいたスパークリングワインを開ける。至福のひとときだ。しかし、平穏な時間は束の間、クリケットのW杯準決勝でインドがニュージーランドに敗れた直後、夫が部屋に戻ってきてからというもの、不機嫌の嵐。昨日は遍くインド各家庭で、落胆が渦巻いていたに違いない。
🇮🇳今回の旅。空港にて寂しい光景。先日、経営が破綻したジェットエアウェイズの機材が、空港で、ぽつぽつと見られた。バンガロールでは、ヴィスタラ(タタ・グループとシンガポール航空の共同出資で2014年誕生)に、ムンバイではスパイスジェット(2005年に就航開始した格安航空会社)に「衣替え」された機材。どこからどうみても、ジェットエアウェイズの名残を残した中途半端なペイントが、哀愁を誘う。特に尾翼の黄色い部分。敢えて完全に塗りつぶさないのには、なにか理由があるのだろうか。
🇮🇳インドが経済の自由化を図るべく市場開放をしたのは1991年。ジェットエアウェイズはその翌年に創業し、1993年より就航したムンバイをハブとする航空会社だった。一時期はインド最大に成長し、我々夫婦が二都市生活をしていたときには、月に何度もお世話になった。しかし経営は順風満帆とはいえず、2008年には大幅な人員削減を発表するも、その直後にCEOが撤回するという、詰めの甘い出来事があった。キングフィッシャー・エアラインが破綻した時には、さもありなんと思ったが、ジェットエアウェイズに関しては、愛着のあるエアラインだっただけに、寂しい。
🇮🇳一昨日は、朝から晩まで、パールシーだった。この夜、クリケットの試合が中断し、いつ再開するかわからないので、近場で手早く夕食をすませたいという夫の要望に従い、ホテルに隣接するショッピングモールへ。バンガロールにも支店があるパールシー料理店、SodaBottleOpenerWalaへ。ファンキーなインテリアで、アルコールメニューが充実したユニークな店だ。もれなくフレディ・マーキュリーの写真も飾られている。パールシー名物のカツレツや、日本のカレーを彷彿とさせるマトン・ダンサクを注文。詳細は「マルハン家の食卓」ブログを参考に。
🇮🇳基本的に、外食のインド料理が苦手な夫。理由は辛い、脂っこいから。夫は唐辛子が苦手で胃が繊細なので、家庭料理のインド料理以外、ほとんど食べることはない。辛味をマイルドにさせるべく、ウエイターのお兄さんにダヒ(ヨーグルト)を注文するのは毎度のことだ。案の定、寝る前に「胃がもたれる」といって、プディン・ハラを飲んでいた。
🇮🇳今回滞在したホテル&モールの随所で、前衛アートが展示されていたのだが、とても面白かったので2枚を載せておく。どちらの写真も、ムンバイを知る人にはすぐにわかる題材。一つ目は、ダッバワラー。全身に時計をまとった人間。胃袋の形をした弁当箱。そして右側は、ムンバイの通勤電車。車両からはみ出す人々の図。すさまじいものだと、つくづく思う
🇮🇳昨日のランチは、やはりモールにある人気のアジア料理店PaPaYaへ。ノンヴェジの弁当セットを頼んだら、驚くほどにヴォリュームたっぷり。最初の怪しげなスープに失敗したか! と思ったが、意外においしい。モクテルもついてくる。爽やかなジンジャー風味。「甘くしないで」と頼んだら、さっぱりナチュラルな味わい。小エビの天ぷらのマヨネーズ和えもおいしく、弁当もおいしく、デザートのチョコレートケーキも予想以上においしくて、ほぼ完食。食べ過ぎた。昨今はアジア各国料理の一環としての日本料理が、面白い。純粋な日本食を望む時には、オーセンティックな店を選ぶべきだが、こういうプレゼンテーションは、日本食に親しみのないインドの人たちにも受け入れられやすいはず。
🇮🇳そして今日。昼頃のフライトに乗るべく空港へ。バンドラ・ウォーリ・シーリンクは、自分で運転したくなる。アラビア海を望みつつ、巨人のハープみたいな斜張橋を走る抜ける気分は爽快だ。沖からこの橋、そしてムンバイの摩天楼を眺めると、きっと美しい景観に違いない。
🇮🇳久しぶりの国内線空港。ジェットエアウェイズは国内線でも国際線ターミナルの使用だったから、真新しく広大な空港が快適だったのだが、振り出しに戻る感じで、懐かしの国内線ターミナル。一隅にマハトマ・ガンディのリアルな像。ビルラ財閥が経営する小さな店だ。昔の空港にあった店がタイムスリップして現れたような違和感がまた、インド。ちなみにガンディはビルラ財閥と懇意にしていて、暗殺されたのはビルラ邸だった。ムンバイの日本山妙法寺も、創設された当初からビルラ財閥が支援し続けているが、これは日蓮宗の藤井日達上人とガンディとの交流が端緒だ……と綴れば尽きず。