わたしにとっての「大切な友」とは、どういう存在だろう。年を重ねる過程において、その定義は少しずつ、色合いを変えてきた。 新居で過ごした静かな週末。日曜の夜は、束の間、二人のゲストを迎えた。彼ら同士に面識はないのだが、普段、他都市を拠点に暮らしている彼らの予定が合う時間帯が、日曜日の夕方しかなかった。...
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昨年10月下旬より、週に一度、坂田のもとで研修(修行)している「トビタテ!留学JAPAN」インターン生の入江真樺さんにも、OBLFの定例報告会に参加してもらった。わたしから、さまざまを学び取りたいと意欲を見せている彼女に対しては、(人の話を聞くときには)極力メモを取ること、ミューズ・クリエイションで...
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◉フィランソロピーとは/何かにつけて記してきたこの言葉。その本質を伝えるのは簡単ではない。企業による社会貢献……という表現では大雑把だ。そこには、博愛、慈善、利他主義などが伴う。瞬間的に金銭を寄付するだけではない、地域社会の永続的な向上や、未来に連なる支援。感情論にとどまらぬ、運営やマネジメントが望...
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本日、ウッタル・プラデーシュ州アヨーディヤーのヒンドゥー教寺院の再建に関して、多くの情報が錯綜している。一概に「ヒンドゥー教が押し通している」わけでもなければ、「イスラム教徒が抑圧されている」というわけでもない、そこには長い紛争の歴史がある。2019年の判決を受けての、今回は結果なのだ。その点を知ら...
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アーユルヴェーダの集中トリートメント(都合12日間)を受けていることもあり、外出は控えている昨今。極力、安静に……と言われても、それが結構、難しい。わたしは、アーユルヴェーダで定義されるところの「ヴァータ(風)」や「ピッタ(火)」の要素が強い体質でもあり、何かと熱く動きがち。敢えて意識せねば「安静」...
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今年は「読書をしよう」と決めたはずが、まだ1冊も読了していない。新居の「月光ライブラリ」は、我がブログの保存版「深海ライブラリ」と対をなす存在。天窓から降り注ぐ陽光、もしくは月光。たまたま見つけた「月面のようなカーペット」がお気に入りだ。 先週末は、夫と二人、久しぶりにのんびりと新居で過ごした。思い...
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🇺🇸昨日アップロードした短い動画。書斎の大掃除中に収納から引っ張り出したiMacだ。これはワシントンD.C.に住んでいたころ、確か2002年に買った。ゆえに22年もの。5年ほど前に立ち上げたとき、起動したのに驚き、捨てずにおいた。 さすがに今回は、もうダメだろうと思いつつ……電源を繋いでスイッチを押...
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新年早々、脳内がとっ散らかっているので、思うところをランダムに書き出してみよう。TO Do List だけでなく、思いもランダムに連ねて悪くはないだろう。 ◎2010年から毎年年末年始にアーユルヴェーダグラムで過ごし心身をデトックスしていたが、この2年は実施せず。昨年後半より軽めの腰痛が再発し始めた...
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昨夜は、親しい友人Mitaliの夫、Manavの50歳の誕生日を祝うパーティに参加した。それは、豪華ながらも家族愛にあふれた、温もりあるパーティだった。 インドでは一般に、誕生日を迎えた本人が、周囲の人々に感謝を伝えるべく、お菓子やケーキなどを準備する。オフィスなどでも、自分で準備したケーキを他の仲...
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インドの友らと行く年を見送り、来る年を迎えた。そして2日の昨日は、正月気分が皆無のバンガロールで過ごすミューズ・クリエイションの関係者を誘ってのBBQ新年会を開催した。 多くの在留邦人が日本へ一時帰国をする年末年始。その一方で、仕事の現場を離れられず、単身でバンガロールに残る駐在員や学生たちも少なく...
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親しい友人たちと共に、2024年、新たな年を迎えた。こんなに賑やかな年越しは、十数年ぶりのこと。ホテルとミュージアムが一体化したような、友人Ishaの情熱と知識とセンスとが具現化された豪邸は、圧倒的な豪奢さだ。 かつて、日本料理店で働いていたシェフを、自宅の専属に雇っており、日本料理も日常的に楽しん...
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35年の社会人生活。日本で、米国で、インドで……。これまで一体、どれほどの方々をインタヴューさせてもらったことだろう。国籍、年齢、履歴を問わず、無数の方々の半生をお聞きする仕事もまた、わたしの人生を豊かにしてくれている。 東京でフリーランスのライターをしていた約30年前には、日本の著名人を取材する機...
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