
わたしが、もしも「書くこと」を生業としていなければ、あれこれと考えることなく、空いた時間を利用して、書きたいだけ、書くだろう。しかし、わたしはライターであり、「書くこと」によっても収入を得てきた。
ホームページに限られた情報を載せているときは、まだ折り合いをつけることができた。ホームページを通して仕事を得ることも多く、それは「営業ツール」にもなったからだ。
しかしブログは、性質を異にする。書いていく先から、大切な言葉も、そうでない言葉と一緒に海の藻くずと消えていく。我ことながら、それは非常にもったいないことのような気がする。
書いていることによって、なんらかの報酬を得ているのであれば、自分のなかで「仕事だ」と折り合いを付けることができる。しかしそうではない。
無論、「お金」の問題ではない。「お金」に象徴される「仕事」という定義の問題である。情報は、文章は、こんなにも「無料」であっていいのか。書き手としての、あるかなきかの矜持の問題でもある。
本心からいえば、サイトを有料化し、たとえ購読料を払ってでも、わたしの文章を読みたいと思ってくれる人に向けて綴るのが理想だ。
しかしそれは、知名度の高いライターや作家、あるいは人気のある芸能人に有効な話であり、わたし程度の立場で門戸を狭めるのは、間違っている気もする。自ら、可能性を閉ざしているようにも思う。
同業者の方々であれば、この逡巡は説明するまでもなくご理解いただけようし、そうでない方にとっては、あまり関心のないところであろう。だからこれ以上、くどくどと、ここに心情を吐露するのはよそうと思う。
今年に入って十日余り。このインドという国で暮らすわたしの周囲では、相変わらず気になることが連発で、書きたい、記録に残したい、と思うことが尽きない。
「新しく、異なる形で」
と、年末年始にかけて、あれこれと考えた。考えた挙げ句、いいアイデアが思い浮かばなかった。
結論としては、従来のスタイルを続けることにした。年末年始の節目に拘らず、なにか思い立ったときに、軌道修正をしていくことにした。
ところで、読者の方々のコメントは、非常に参考になった。うれしい意見、考えさせられる意見、思いもよらない視点からの意見……。自分と自分の文章の間にある誤差についても、他者からの視点を通して認識することができた。
そして、一時はやめようと思っていた日々の記録を、やっぱり続けるべきだと思い直させられた。
わたしはブログという媒体を借りて、日々を表現しているが、一般的なブログのように読者とのコミュニーケーションを望んでいるわけではない。わたし自身の経験するインドを、ともかくは吐露することが精一杯だ。
感想をいただくのはとてもうれしい。励みになる。しかし一方で、過度に親近感を持たれて、知らない人から友達のように接せられることにも戸惑いを覚える。
そんなわけで、「ブログ的」なコメントのやりとり、それからトラックバック(仕組みが未だにわからない)などについては今後も排除し、ただわたしが綴るばかりの「サイト」として、続けて行こうと思っている。
なお、わたしが使用しているこのTypepadは、有料のブログサーヴィスで、従っては広告も入らず、気に入っている。
当初は有料の割に許容量が小さく、その点においてもブログのこれ以上の存続を難しいと考えていたのだが、先日、急にサーヴィスが向上し、許容量が格段に大きくなり、いくつものブログを新設できるようにもなった。
そんなこともあり、このサーヴィスを有効に利用しながら、当面は表現を続けるつもりだ。
遅ればせながら、2008年も、どうぞよろしくお願いします。
坂田マルハン美穂

米国からインドに移って変わった日常のあれこれは非常に多いが、ソーシャルライフ、つまり社交の充実もそのひとつ。米国時代はパーティを開くのも、訪れるのも、半年に一度程度。友人らと食事というのも一カ月に1、2回程度であった。
インドではドライヴァーがいて、送り迎えをしてくれるから、多少渋滞などがあるにせよ、気楽に外出できる。
マンハッタンではタクシーをつかまえれば速やかに帰宅することもできたが、ワシントンDCやカリフォルニアは自分で運転して帰らねばならず、お酒もあまり飲めない。リラックスできなかった。
尤も、わたし自身は自分一人でいるのも好きだし、アルヴィンドと二人で過ごすというのも楽しいと思っているから、そう頻繁に人と会いたいという衝動はないのだが、インドでは味わい深い出会いが少なくないので、外出が億劫ではなくなったということもある。
何度か自分の家で場を設け、何度か友人知人の家へ赴いた。
渋滞の道路を郊外へ赴く車窓から、街の表情の、目まぐるしく変化するさまを目撃する。
埃っぽく喧噪の昼間に比して、夜はネオンや看板が夕闇に映え、昼間よりもくっきりと新しい店が浮かび上がるので、街の変化がむしろ手に取るようにわかるのだ。
こんなところに、新しいスーパーマーケットが。
あのレストランは何料理だろう。
あれは新しいショッピングモール?
政府機関に勤める若者たちの帰宅風景。
このトラック、通勤バスらしい。
インドでは、このような風景が珍しくない。
危険をむしろ、楽しんでいるようにすら見える。
腕の筋力を鍛えているようにすら見える。
それにしても、青年らの、すらりと伸びた四肢の美しさ。
ところで、毎月第二火曜日に、PWG (Professional Women's Club)の集いが持たれる。
今月は、我が家がホストとなってミーティングを催した。
PWGとは、OWC (Overseas Women's Club)の会員だが、毎週木曜日朝のCoffee Morningには参加できない仕事で忙しい女性たちのためのクラブ。
ただ集まってネットワークを広げるだけでなく、毎回、ゲストスピーカーを招いてのレクチャーも行われる。今回は、インド哲学を通して、インド文化やインドの人々の精神、考え方を探る、というもの。
自国の常識や価値観を押し通していては、この国では決してうまくいかない。無論、この国に限らずいかなる異国においてもそれは言えるが、この国は殊更に、うまくいかない。
そのことは、ここで働く、いや生活をした経験のある人なら、だれもが味う苦みである。広大なインドを、さらにはひとくくりに語ることはできず、たとえばここ南インドには、南インド独特の文化がある。
それぞれが、自分たちの経験を披露しながら、日々、目前に現れる障壁を「いかに乗り越えて行くか」を語り合う。
PWGのいいところは、会合の空気がいつも「前向き」なことだ。OWCのCoffee Morningでは、あいにく不満を交換し合うばかりの人たちも少なくない。
インド人への文句。ドライヴァーへの不満。メイドへの怒り。インフラの悪さへの嘆き。レストランのまずさ……。堂々巡りの憂鬱である。
しかし、PWGの人々は、不満が少ない。不満よりもむしろ困惑で、その困惑をいかに解決するかを模索している。
彼女たちの多くは、多分、自分たちがこの国に住むことで受けている恩恵についてを自覚している。インド以外の国々への居住経験者も少なくない。
自分たちが、この国で仕事を「してやっている」のではなく、「させてもらっている」という意識があるとないとでは、多分、視点が異なる。
この会合では、「インド人が」「インドが」という枕詞付きで、忌々しげに語る人を見たことがない。そんな次第で、わたしはこの会合を気に入っている。
さて、今年に入り、早くも2週間が過ぎようとしている。
ここに日々を綴らない間にも、インドは日を追うごとに、よくも悪くも、変化している。わたし自身も、わたしを取り巻く人々も。
そういえば先日、好ましくない変化があった。
いきつけだったアーユルヴェーダのスパ (Grand AshokのRejuve)。先日久しぶりに赴いたら、何かが違った。エステティシャンは同じなのに、なにか「心地よさ」が足りない。
館内の雰囲気も、何かが違う。些細なサーヴィスの、しかし不手際がいくつかみられた。おかしい。
スパ全体をマネジメントしているはずのドクター・グプタに、新年の挨拶も兼ねてお会いして様子を尋ねようと思ったところ、見慣れない男性が「わたしがマネージャーです」と言って現れた。聞けばドクターは辞めてしまったのだという。
とてもいいドクターで、アドヴァイスもやさしく的確で、母も随分お世話になったのに……残念極まりない。
わたしにとっては、居心地のよいスパだったのだが、ドクター・グプタがいなくては、もう魅力が半減である。今後、行くことはないだろう。
また、新しい場所を見つけなければ。
●これからしばらく毎月2回、FM熊本で。
毎月2回、FM熊本でインドのことを数分間、お話しすることになりました。
FM熊本というだけあり、熊本県(及び隣県県境あたり)でしか聴けません。
読者に熊本の方がいらっしゃるのかどうかも不明ですが、一応、お知らせしておきます。
ちなみに、わたしは熊本で生まれました。
父がたまたま転勤していたとのことで、親戚などはおらず、1歳になるかならないかのころ、福岡に越してきたので、土地になじみはありませんが、一応、生まれ故郷です。
そんなこととはまったく関係ないルートで、FM熊本でお話しします。熊本の方、いらっしゃったら、どうぞお聴きになってください。
●『マジカル・フライデー』(毎週金曜日午前8時20分〜10時35分)
●初回は1月18日金曜日
GLOBAL BEATというコーナーで、9時半ごろにオンエアとなる予定。
●23日はRKBラジオでインド好景気の話題
昨年、何度か出演したRKBラジオの『中西一清スタミナラジオ』にて、単発ですがインドについて話します。
テーマは「景気のいい話」。
福岡市界隈のみなさま、今回もまた、お聞きいただければと思います。
●RKBラジオ『中西一清スタミナラジオ』
(福岡1278、北九州1197、大牟田・行橋1062)
●1月23日(水)の午前7:40〜7:50ごろ

今夜、所用でパリへ出かける。深夜の便でバンガロールを発ち、明日の朝には、パリに到着する。欧州へ赴くのは、本当に久しぶりのことだ。
インドに住む利点の一つに、その「地の利のよさ」があると思っている。
地球儀を見る。西へ飛べば中東、欧州、アフリカ大陸。東へ飛べば中国、日本。ちょっと南東へ赴けば東南アジア……。魅力的な旅先が、インドの周囲に散りばめられている。
にも関わらず、米国永住権や市民権申請の都合上、この2年間というもの、最も遠い米国へ何度も足を運ぶばかりで、欧州へは一度も訪れていなかった。だから、いよいよ時機がきて、ことのほかうれしい。
パリは、思い出の多い街。古い友人らとも再会する予定だ。
街歩きも、食事も、芸術も、音楽も、ショッピングも、楽しみ。急遽、旅が決まり、航空券を手配してからというもの、エディット・ピアフやイヴ・モンタンの歌声が、脳裏に何度も浮かんでは消え。
5泊6日とあまり長い滞在とはいえないが、楽しんで来ようと思う。
思い返せば、初めてパリを訪れたのも1月だった。あれは湾岸戦争ただ中の1991年。当時、小さな広告代理店に編集者として勤めていた25歳のわたしは、某石油会社の情報誌の取材のため、外部のライター、カメラマンとともに、ドイツ取材を経て南仏へ入った。
ピレネー山脈の山麓にある街、ポーを拠点にカルカソンヌ、アンドラ王国、アルル、エクサン・プロヴァンスなどの町村を経て、コートダジュール(紺碧海岸)沿いの街へ向かって車を走らせた。
たとえ冬でも、南仏は暖かい、と言われていた。なのにその年は十数年ぶりの雪に見舞われ、カンヌも、マルセイユも、ニースも、モナコも、曇天の雪景色。
晴れやかな南仏の青空のもと、バイクを走らせているシーンを撮影する、という当初の目的は果たせず、しかし小さなビストロで味わったブイヤベースのおいしさは、忘れがたい。
南仏での取材が悪天候のためずれこんでしまい、本来は、パリで2泊する予定だったが1泊に。翌日の帰国を控えて、前日、南仏から一路、雨や雪の道のりを、北を目指したのだった。
冷たい夜、無事にパリへ到着した。ネオンに彩られたエッフェル塔や凱旋門。すでにパリを訪れたことのあったカメラマンとライターが、まるでツアーガイドのごとく、車窓からの風景を案内してくれた。
それから数年後。27歳でフリーランスのライター兼編集者になったわたしは、一年のうちに3カ月の休暇をとって旅をすると決めた。そしてその通り、翌年28歳の春、欧州放浪の旅に出たのだった。
その拠点が、パリだった。パリには友人、美砂さんがいて、彼女の家に数日間、居候をさせてもらった。
ある日、近くのマルシェで大きなアボカドを買った。たしかイスラエル産だった。それを二人で夕飯のおかずにした。醤油をかけたそのアボカドの、おいしかったこと!
そういえば、美砂さんが作ってくれたオムレツもまた、おいしかった。彼女曰く、おいしさの決め手はバターだった。ほんのりと酸味のきいた、濃厚で風味豊かなバター。それをフライパンで溶かして、ただ塩こしょうをしただけの溶き卵を焼く。
以来、フランスのバターには一目置くようになった。
日本を出発する前は、細かな旅の行程を決める時間的な余裕もなく、大ざっぱな行き先だけを考えていた。パリで旅のノートを買い、3カ月間の行程を考えた。そして3カ月間有効のユーレイルパスを携えて、列車の旅を始めたのだった。
いくつもの街を訪れ、ひたすらに歩き、安宿に身を休めた。地図、ノート、ペン、カメラ、フィルム、そして最低限の衣類と洗面具を詰め込んだ鞄ひとつで。
概ねひとりで、概ね無口で、黙々と、3カ月。当時のわたしはと言えば、なにやら辛いことも多かった。特には不毛な恋愛など。それがたいそうな反動となって、行動力に拍車がかかったようでもあった。
逆境をバネにする女。と自らを密かにそう呼んでいた。それは今でも、あまり変わらないかもしれない。
その翌年。29歳のときには、英国へ3カ月の語学留学へ行った。その帰りに、雑誌の取材でスイスやイタリアを巡り、最終的にパリへ戻って、やはり美砂さんの家にお世話になった。
尤も、彼女はそのとき、他の街へ旅行へ出るということだったから、わたしに鍵を託してくれ、何日でもいてくれていいからと、言ってくれたのだった。
だから一人で、暮らすように住んだ。2週間ほど過ごした後、仕事が待っている東京へと戻った。美砂さんが好きだという、赤ワイン、サンテミリオンをお礼に買い、部屋に残して。
最後にパリを訪れたのは、1999年のニューヨーク時代。
当時は休暇のたびに、アルヴィンドと欧州を旅した。このときは、二人でベルギーをドライヴ旅行したあと、フランスのシャンパーニュ地方、ランスに入り、ポメリーなどのセラーを訪れ、シャンパンを楽しんだ。
そのあと、ヴェルサイユ宮殿などに立ち寄って、パリへ入り、数泊滞在したのだった。アルヴィンドはそのままデリーへ里帰りをし、わたしはニューヨークへ戻った。
そう、『街の灯』の「ひまわり」の夏だ。あのとき誕生日を祝ってくれるアルヴィンドがいなかったのは、彼が里帰りをしていたから。……あれから9年もたっていたとは。
パリの初日は、センチメンタルな追憶ばかりが、心を満たしている。
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●今回のパリは5泊の滞在。最初の2泊は、La Tremoilleというホテル。
シャンゼリゼ大通りと、高級ブティックが立ち並ぶモンテーニュ通りに挟まれた場所にある。
パリでは先週から、セールの時期が始まっているようだ。
そんなに買い物をするつもりではないのだが、誘惑が多そうで怖い。
すでに、ホテルのすぐ近くで、半額になっていたすてきなブラウスを購入してしまった。


●ランチはホテル近くのビストロで。軽くすませようと思ったのだが、人々が食べているステーキがおいしそうで、ついつい注文してしまう。
無造作に扱われるバケットの、そのパン屑や、ワインのシミがついた紙のテーブルクロスが、パリ。気取ったお店もいいけれど、こういうカジュアルなビストロもまた、居心地がいい。






●初日の今日は、なによりも、食べ物の様子に気を取られてしまう。食料品店のショーウインドーを、のぞきながら歩いているだけでも、楽しい。


●小雨の降るシャンゼリゼ大通り。気温はさほど低くないが、風が強くて寒い。雨宿りをするように、ブティックに立ち寄りながら、通りを散策する。

●欧州の、焼き菓子の店の、かような独特の雰囲気が本当に好き。フランスだけでなく、イタリア、スペイン、ポルトガル、オーストリア……それぞれの国の焼き菓子に、独特の歴史あり、文化あり、味わいあり……。
ところで、雰囲気のよい店や高級店では、マナー違反だと思われるので写真撮影を控えるようにしているのだが(そうは思われないだろうけれど)、あまりにも「そそる」情景だったので、素早く一枚を撮影。もちろんフラッシュは焚かずに。


●右上の写真は、サントノーレと呼ばれるスイーツ。これとタルトタタン、それから「マリー・アントワネット」という名のブレンドティーを注文した。
タルトタタン(上の大きい写真の手前に写っているどっしりとした茶色い菓子)が、最高においしかった。柔らかすぎるほどに甘いリンゴ。カラメルの染み込んだ生地と相まって、濃厚な風味が得も言われず。ほんのりと温かなそれに、サワークリームを添えて食べればまた格別で。
すでにランチを食べ過ぎていたにも関わらず、こんなにリッチなスイーツを味わい、これが最早、夕食代わりだ。マルシェで赤ワインでも買ってホテルへ戻ろう。夜はそれだけでもう、幸せだ。
●遠い過去の旅を思い出して、今回はノートにメモを記そうかと思う。
手書きで文章を書かなくなって久しく、手が速やかに動かない。
キーボードを叩くスピードの方がはるかに早いから、筆記が思いに追いつかないのだ。
けれど、急ぐことなどない。
ゆっくりと、お茶を飲みながら、この懐かしい感覚を楽しんでみよう。

夜明けの遅さに驚く。8時半を過ぎてようやく、世界は白み始める。広くて深いバスタブにたっぷりの湯をはり、身を沈める。湯量を気にしつつのインドでは味わえない、贅沢な朝のひとときだ。
雨はあがり、青空が見られる朝。思ったほど寒くもなく、しんと澄み渡った空気がむしろ心地よい。
朝食をとりに、町中のカフェへと赴く。カフェオレとクロワッサン、そしてオレンジジュース。
そんなありふれた取り合わせも久しぶりで、そっと小さく心が弾む。
午前11時。シャンゼリゼ大通りに面したオフィスビルにある西日本新聞社の支局を訪れる。
あの日あのとき、天神の西日本新聞本社へ飛び込み営業をしたときに対応してくださった国際部の高木氏が、昨年の8月よりパリに赴任なさっているのだ。
オフィスで1時間ほど、現地スタッフの女性を交えて話をしたあと、高木さんに案内されて、近所にある日本料理店へと赴く。界隈には何軒もの日本料理店が見られ、日本食の人気の高さをしのばせる。
高木さんお勧めの店は、1階が寿司屋、2階が焼き肉屋となっていた。入店した12時過ぎはまだ店内は閑散としていたのだが、30分も過ぎると急に込み始め、2階の焼き肉コーナーも賑わっている様子。
なんでもフランスでは「焼き鳥」や「焼き肉」が人気で、ことにあの「甘みのあるタレ」がフランス人を虜にしているらしく、焼き鳥のタレをご飯にかけて食べる人も少なくないとのこと。同じ感覚で「うな丼」なども人気があるらしい。
ところでこの店。予想を超えて、にぎり寿司がおいしい。更には高木さんが追加注文してくれたバッテラが美味。バッテラ好きのわたしとしては、かなり幸福である。
なにゆえにシャンゼリゼでバッテラを。
と思われる向きもあろう。が、普段インドで寿司とは無縁の生活を送っている身に取って、それはたいそうなごちそうである。いくら久しぶりのパリだからとはいえ、毎食フレンチでは、胃がもたれるというものだ。
我がインド生活とその背景を語り、高木さんとそのご家族のパリ生活とその背景をお聞きする。瞬く間に時間はたち、場所をカフェに変えてしばし過ごし、2時を回るまでご一緒した。
暮らす視点からのフランスについて知るところが興味深く、実に楽しいひとときだった。


ところで驚いたことに、フランスでは今年に入ってからレストランやバーなどの「店内での」喫煙が禁止になったという。あんなにも、喫煙者に寛大だったフランスが。
尤も、外での喫煙は可能だから、喫煙者はテラス席を独占する。つまりは、テラス席のない店の売り上げが減っているという。同時に、テラスを温めるヒーター(写真右下)の売れ行きが伸びているとのこと。
ちなみに左下の写真は「乗り合い自転車」。パリ市街から自動車を減らすべくのアイデアらしい。バンガロールにもこんな自転車があれば……。と、思い巡らすだに、非現実的ではある。


さて、高木さんと別れたあとは、美砂さんとの会合だ。最後に会ったのは、彼女がニューヨークへ遊びにきたときだった。記憶をたどって数えてみれば、実に11年ぶりの再会である。
ホテルまで訪れたくれた彼女の姿に、11年の隔たりを感じず。そんなにも久しく会わなかったことが信じられない思いだ。相変わらずの元気そうな様子。パリ在住15年。今は舞台衣装などの仕事をしているという。
近くのカフェに赴き、11年間のそれぞれの出来事を拾い上げながら、ワインを飲みつつ、語りつつ。
なにより異邦人として、異国に住むことの、たとえ仕事ができたとしても、難しいことについてを、語り合う。
特には、ヴィザ、査証の問題。
フランスに十年以上暮らしていて、然るべき査証のステイタスで暮らしてきたにも関わらず、移民局の気まぐれで、さまざまな不都合が生じ、更にはバカンス重視の移民法弁護士の怠慢で、事態はより悪化し、一時は泣く泣く日本へ帰国していたこともあったという。
ビザの問題は、海外で生活する者にとって避けがたい問題。人生の流れを大きく左右する。
そんな話や旅の話、過去の話に時間は瞬く間に過ぎてゆく。この次は、インドで会おうね、と約束をする。テキスタイル王国のインド。彼女が気に入ることは、間違いない。
そういえば、彼女はわたしの『モンゴル旅日記』を読んで、とても感銘を受けてくれ、数年前、パリからシベリア鉄道経由でモンゴルに入り、ウランバートルやゴビ砂漠を旅しながら、日本へ帰国したことがあったという。
ゴビ砂漠の、まるで手が届きそうな、満天の星空を見ながら、
「美穂さんが書いていた星空って、このことだったんだ」
と感じ入ってくれたという。そういう話を聞くと、自身の体験を、書き残していてよかった、と思う。とてもうれしい。

夜、シャンゼリゼ大通りから伸びるモンテーニュ通りを歩く。高級ブランドのブティックが立ち並ぶ街路。
夜のパリは、本当に、独特の魅力。雨に冷たく濡れた石畳の、街灯に光るさま。ブラッサイが撮るパリの夜の写真がしのばれる。






20代のころの自分が好きだった欧州の絵画や音楽、好んで見ていた欧州映画のことなどを、とりとめもなく思い出しながら、歩く。
過去はまるで前世の記憶のように遠い。あれからニューヨーク、ワシントンDC、カリフォルニアを経て、今はインドという国で。
わたしを取り巻くさまざまは、変わったけれど。未来の長さも変わったけれど。やっぱり、それは、大した変化ではないとさえ、思えるのだ。


わずか3日目なのに、目覚めればもうすでに、何日も滞在しているような親し気な気持ちになっている。
今朝は少し早起きをして、ハンドバッグと財布を買い求めに出かけた。日々、質の良い革製品を目の当たりにしたせいか、買うつもりがなかったのに欲しくなってしまったのだ。
昼前に、シャンゼリゼ界隈のホテルをチェックアウトして、サンジェルマン・デ・プレのプチホテルに移動するべくタクシーの乗り込む。
シャンゼリゼに比べると、カジュアルで気さくなムードの漂うサンジェルマン・デ・プレ界隈は、散策にも、食べ歩きにも、とても楽しい場所。
ポストカードにもなっているようなカフェがいくつかあり、異邦人の思い描く味わいに満ちた「パリの街角」が、そこここで見られる。
さて、街歩きはあとにして、軽くランチをすませたあと、メトロに乗り込み、ニューヨーク時代初期、同じ会社に勤務していたリョウコさんの家へと赴く。
彼女と会うのはあの日あのとき以来3年ぶりだが、久しぶりの対面という感じではない。尤も彼女の方が、わたしのサイトを読んでいるせいか、坂田周辺事情に詳しく、あっさりとしているのである。
「あなたはわたしの近況を知っているだろうけど、わたしはあなたの近況を知らないのよ」
という会話を交わすことは、珍しくない昨今のわが交友事情。わたしとしては、若干つまらないのだが、これはよくあるパターンである。
この間、会ったときには陰も形もなかったレオ君が、こうして誕生していた。かわいすぎる。ちょっといやがられている気がしないでもないが。
彼女のハズバンドが買ってきてくれたというLADUREE(ラデュレ)のスイーツと、コーヒーをごちそうになる。LADUREEとは、初日、シャンゼリゼで立ち寄ったあのサロン・ド・テだ。
事情をよく知らずに吸い込まれるように入ったが、やはり有名店であったらしい。なかでもマカロンが非常に人気なのだとか。サンジェルマン・デ・プレにも店舗があるらしいので、マカロンを試してみようと思う。




夕暮れ時、再び小雨が降り始めた。どうにも、天候には恵まれていないようだ。しかし寒すぎもせず、傘をささなくてもしのげる程度。
この界隈は、かつてよく訪れた場所だから、地図がなくても歩ける。「激変するインド」とは対照的に、欧州は歳月を重ねようとも街の光景はさほど変わらない。次々と目の前に現れる見覚えのある店に、十数年の歳月がいっそう軽やかだ。

セーヌ河畔。かつての駅舎を改装して作られた、天井の高いオルセー・ミュージアムが好きだったので、幾度か足を運んだ。往路復路に、セーヌ河畔をひたすらに歩いたものだ。
あのころは、ジュリエット・ビノシュ主演の映画『ポンヌフの恋人』の情景を思い出しながら、この界隈を歩き、こうしてポンヌフという名の橋を眺めた。一番上の大きな写真の、ライトアップされたそれがポンヌフである。


多感な年頃に、旅をたくさんしておいてよかったと、今、しみじみと思う。我が多感な時期は、十代ではなく、二十代だ。十代のころは、思慮浅く、概ね阿呆だった。
あのころは、デジタルカメラなどなく、素人向けの一眼レフを携え、しかしひょっとしたら将来仕事で使えるかもしれないと、印刷用にポジティヴフィルムで、山ほどの写真を撮り溜めた。
その写真の、ごく一部は雑誌などで使ってもらえたけれど、大半は、眠り続けている。一時は、「一日一過去」で復活させようと思ったが、頓挫したままだ。
歳月を経て、今はこうして、ポケットに入る小さなカメラで、撮った先から、人に見てもらうことができる。きっといいことなのだろうと、思う。




それにしてもこの街の、なんと食が豊かなことだろう。バンガロールから来た身としては、外で食べる食事のなにもかもが、おいしく感じられる。
朝食のクロワッサン、ランチの、バケットにハムとチーズを挟んだだけのサンドウィッチ。焼き菓子の数々。ビストロやブラッセリーやカフェの、さりげない料理も味わい深く。
いきあたりばったりで見つけた小さな店で、今夜もおいしい夕食を楽しめた。
タコのサラダ。
それから鴨肉のグリルが美味だった。
フルーツを使った甘酸っぱいソースが、香ばしく焼かれた鴨肉の味を引き立て、なんともいえぬ味わい。
まるで「水」のようなさりげない扱いで、ボトルに入れられたワイン。
それを小さなワイングラスで、やはり水のように飲む。
2002年以来フランスは、1週間の就労時間が35時間に制限されているらしい(管理職、自由業などをのぞく)。
週休2日で、一日7時間以内。
それで、世間が機能しているところが驚きだ。
無論、サルコジ大統領は、この「週35時間労働制」を撤廃しようとしているらしいが、筋金入りのヴァカンス好きなフランスの人々が、それを受け入れるのだろうか。
平日のランチタイムでさえ、仕事途中の人々の、ワインを飲みながら、語り合いながらの優雅さで、まるで週末。
この国はこの国で、わけのわからぬ国である。

クリスマスのイルミネーションが残るからこそ、より美しい今のパリ。とてもいい時期に訪れたようだ。今日も小雨は降り続いていたが、寒すぎないだけいいのかもしれない。
綴るよりも、写真を今日は。


●左:ホテルの窓からの光景。授業の様子。 ●右:街角のクレープスタンド。甘い香りがあたりに漂っている。


●左:ホテルを出て、小径を行けば、女子学生の歩く姿があちこちで。ソルボンヌ大学のあたり。


●カフェ "Les deux Magots"で休憩。フランスのビールも、おいしい。

●「軽くランチを」と入った店にメニューはなく。「ステーキとフレンチフライだけ」を出すブラッセリーだった。焼き加減だけを、選択できる。今日は、レアで。
フレンチフライもたっぷりと。
フランスのマスタードはことのほかおいしく。
ケチャップ王国アメリカ(最近はインドも)とは「一線を画している」感じで。
マスタードをつけて食べるフレンチフライのまた、美味なこと。
むやみに食べてしまう。おかわりを、してしまう。
これからルーヴル・ミュージアムへ行くというのに、ホテルに戻って昼寝をしたい気分。
昼間のワインは酔いやすいというのに、たっぷりと飲んでしまい。
フランスのワインは、おいしくて安くて気軽で手軽で、こんな暮らしを続けていたら、果てしなく怠惰になってしまいそうだ。
今日もまた、平日だというのに、周囲の人々も、飲んで食べて。
ちゃんとやっているんだろうか、仕事。










ルーヴルでは、日がとっぷりと暮れるまで、4、5時間を過ごしたが、まだまだ見足りない。ミュージアム巡りは、実に体力と精神力を要するから、毎日少しずつ、巡るのが理想的なのだ。なかなかそうは、いかないけれど。

ミュージアムを出て、右岸をシャンゼリゼ方面へ向けて歩く。夜の観覧車に乗った。夜風を受けながら、揺れてちょっと怖いくらい。


さて、今夜は、バンガロールでご近所さんだった(我が家の2階上に住んでいた)、アルヴィンドとニヴェディタに会う約束をしている。彼らは昨年の8月、パリに越してきたのだ。
アルヴィンドの仕事が忙しいとのことで、待ち合わせは夜の10時すぎ。それまでは、シャンゼリゼで夕食でも食べながら過ごそうと思う。
またしても、ティーサロンのLADUREEに入り、軽くサーモンとイクラのサラダを。
バンガロールに住む共通の友達夫婦、ラシュミとブラッドレイも、近々パリに赴任するのだとか。みなが転々と、地球上を移動していて、遠いとか近いとかいう「距離感の尺度」が、最早、曖昧。
帰りに乗ったタクシーのドライヴァーは、モロッコのマラケシュから来たのだという。行ってみたい、モロッコへも。

瞬く間に日々は流れ、パリ滞在最終日。今日は雨もやみ、傘を持たずに街へ出る。
明朝はもう帰国の途。インドに戻れば日常が待っていて、パリの余韻に浸る間もないだろうから、帰国前に急ぎ記録をまとめておこうと思う。
パリを訪れたことのない友人らから、パリに行きたくなったとのメールが届いた。特にはおいしいスイーツに反応する人々が多く。なので写真も多めに載せておこうと思う。


滞在しているサンジェルマン・デ・プレのホテル近くで見つけたベーカリー、GERARD MULOT。数日前に発見してここにも写真を載せたが、実は有名店だったということが発覚。サイトを見てみれば、東京や福岡にも支店がある。再び訪れて、スイーツを買う。






GERARD MULOTは「庶民的なベーカリー」だが、すでに数回訪れてたLADUREEは、エレガントな高級店。「マカロン発祥の店」として非常に有名らしい。






さて、サンジェルマン界隈からセーヌ河畔を歩き、シテ島に浮かぶノートルダム大聖堂へ。ワシントンDC時代、ナショナルカテドラル(国立大聖堂)の向かいに住んでいて、毎日圧倒的な大きさの大聖堂を見ていたこともあり、初めて訪れたときのような衝撃はなかった。
しかし、古びてこその味わい、外観も内観も、その薄暗さと重厚さがいい。にも関わらず、カテドラル内は、大勢のツーリストが焚くカメラのフラッシュでまばゆく、厳粛な空気が薄れていたのが残念だった。
昨日のルーヴルもそうだが、写真撮影を禁止した方がいいのではないかとさえ思う。自分自身も撮っている立場でこう言うのもなんだけれど。せめてフラッシュ使用を禁止してもいいのではないか。ことに美術品などはフラッシュの光で傷みそうな気さえするのだが。
ちなみにわたしは、フラッシュを使うことはほとんどない。フラッシュを焚かないと光が足りず、手ぶれが気になることもあるが、そこそこ撮れるものである。





ノートルダム大聖堂を出た後は、小さな橋を渡り、シテ島に並んでセーヌ河に浮かぶサンルイ島へ。この島を訪れるのは初めてのこと。古くからの建物が立ち並ぶ小さな島で、見るべき建築物も少なくないようだが、目抜き通りの食料品店やブティックをのぞきながら歩くだけで、満ち足りた気分だ。


有名なチーズ店、生ハムの店、フォアグラの店、オリーヴの店などが点在する魅惑的なエリア。評判のジェラート店もある。もう、胃袋が足りない。
チーズ店では「トリプルクリーム・ブリ」という特製のチーズを買った。真空パックにしてもらえたので、スーツケースに入れて持ち帰ることにした。
また、家族経営の農家で作られたフォアグラを売る店にも立ち寄った。甘いデザートワインとともに味見をさせてくれた。極めて美味! 「脂っこくなく、クリーミー」なのが決め手のようだ。これも一瓶購入した。
その他ジャムやマスタードなど、インドでは手に入らない質のいい食材を少しずつ。あとは空港でワインやグルメフードを買って帰ろうと思う。
あいにく料理はいまひとつだったが、こぢんまりと雰囲気は悪くなく。
ワインを飲まずしてランチタイムとは呼べない。
とでも言いたくなるほどに、毎日ワインをばかり飲んでいる。
なにしろインドじゃSULAだもの。
書いている先から、寂しくなるもの。
ともあれ、突然決まったパリの旅。何の準備もなく、計画も立てずに訪れたけれど、とてもよき5日間を過ごせた。3年間も欧州を訪れていなかったことが信じられないほど、街が身近に感じられた。




そして何より、食べ物のおいしいこと。ワイン、バケット、クロワッサン、コーヒー、チーズ、ハム、オリーヴ、バター……素朴な食材のひとつひとつが、この国ならではの強い個性で、引きつける。
デミタスカップに注がれたエスプレッソ、きめ細かな泡が表面を覆うそれや、ハラハラと、かじればこぼれ落ちるクロワッサン、ハムとチーズを挟んだだけの、風味豊かなバケットのサンドイッチの、なんと「暮らしに必要不可欠」な感じだろう。
ともあれ、綴りたいことは山とあるが、旅情に浸っているいとまはなく。明日からはまた、インドで新しい日々。
ともあれ、旅は、いいものだ。また、近々。