気がつけば、今週も終わり。本当は今週末、バンガロールに戻りたかったが、来週に延期である。ムンバイも、モンスーンの到来で過ごしやすくなり、ここにいても構わないのだが、やっぱりなにもかもが揃っているバンガロール宅の方がよい。
火曜日は友だちに会い〜
水曜日は歯科医で治療〜
木曜日は髪の毛切って〜
金曜日はお家で仕事〜
なにやらたいしたことをしなくても、月日は力一杯流れてゆく。やがて7月が終わり、8月が来て、また一つ歳を重ねるというものだ。
●GOOD EARTHでマグカップを買い求める。
ところで、上の写真は、GOOD EARTHで購入したマグカップ。出会い記念日を祝しての購入である。家財道具ミニマムなムンバイ宅は、一年前の移住当初に「一気買い」して以来、ほとんど増えておらず、食器も最低限しかない。色気がない。
1年前まとめ買いしていたマグカップも、2つが割れてしまい、従ってはムンバイ宅にもお気に入りのかわいいものを、と思い、まとめて6つ、買ったのだった。
持ちやすく、肌触りもよく、かわいらしく、とても気に入っている。GOOD EARTH ものでも、一番のお気に入りはブランケット。インドの気候にあった、本当に心地の良いブランケットなのだ。
●インドで2度目のヘアカット。いいかも!
インド移住後も、半年もしくは一年ごとにニューヨークを訪れることから、従来からいきつけだったIZUMI SALONでヘアカットをしてもらうのが常だった。
髪を切るためだけでなく、IZUMIさんに会えるのも楽しみだったから、それにロングヘアだから半年くらい伸ばしっぱなしでもまあいいや、という状況でもあったから、そうしていた。
しかし、IZUMIさんがハズバンドの祖国であるシンガポールに移住し、ニューヨークに行きつけのサロンがなくなったため、昨年11月と今年5月に日本に帰国したおり、カットしたのだった。
ところが、前回のカット。どうにも、前髪のあたりが重く感じる。
ついつい、自分で切ってしまった。すると、バランスが悪くなり、変なことになってしまった。ったく中高生じゃあるまいし、自分で切るなっちゅ〜ものである。
こうなったら、ついでにサイドも自分で切ろうかと思ったが、逸る心を抑えて、対応策に思いを巡らす。自分よりもヘアスタイリストに任せた方がいいだろう。たとえここがインドだとしても。
実はバンガロールで一度だけ、ヘアカットに行ったことがあった。20分ほど待たされて、カットは10分ほど。そろえるだけだったので、成果のよしあしもよくわからず、「ん?」という感じだった。
これまで幾度も記しているが、TAJやOBEROIをはじめとするインドの高級ホテルの多くは、「おしゃれなスパ」と「昔ながらのビューティーサロン」とが共存している。
おしゃれなスパは値段も高い分、優雅な気分でマッサージやフェイシャルなどのトリートメントを受けられる。
一方、昔ながらのビューティーサロンでは、ヘアカットに始まり、ヘアマッサージ、トリートメント、ヘナ、ネイルケア、フェイシャルなどさまざまなメニューが用意されていて、リーズナブル。
常に富裕層マダムたちで賑わっている。いや、女性ばかりではない。おっさんたちがネイルケアやフェイシャルを受けている姿も目の当たりにすることができる。なかなかに、見応えがある。
つまり、決してリラックスできる雰囲気ではないのだが、「使い勝手のいい存在感」なのだ。
ムンバイでは、TAJ MAHAL PALACEのビューティーサロンに、足の爪のお手入れが抜群にうまいおじさんがいるので、ペディキュアはそこに行く。ヘッドマッサージはTAJ PRESIDENTが徒歩3分なので、ときどき出かける。
全身マッサージはローカルなアーユルヴェーダの診療所……と使い分けている。
さて、昨日の朝。トライデントホテル(オベロイ)の用事をすませた後、ヘアサロンに赴いてみた。もしも、「よさげ」な人がいたら、切ってもらいたいと思ったのだ。
わたしが希望を伝えると、的確に把握してくれて、このようにカットするとよいですよ、とアドヴァイスをしてくれる。そのアドヴァイスがとてもよかったので、ランチのあとに予約を入れて、彼女に切ってもらったのだった。
他人の髪の微妙な変化など、なにがなんやらわからんだろうが、本人にとっては大きな変化である。
同じようにブローを再現できるかどうかはともかく、仕上がり直後はいい感じである。
だいたい、インドにだって、すてきなヘアスタイルのマダムはたくさんいるわけで、腕のいいスタイリストはたくさんいるはずなのだ。
にも関わらず、敬遠しすぎていた自分を反省する。
インド女性の、あまりにも、あまりにもな「髪の多さ」や「頭の形の良さ」に圧倒されて、自分のように顔の周辺が「辮髪的に」髪が少なく、断崖絶壁な後頭部に対し、うまく対応してもらえるかどうかとの懸念が、自意識過剰なまでにあったのだ。
それにしても、担当してくれたその女性、アヌージャは、とてもよいアドヴァイスをしてくれた。わたしのような髪質には、ヘナやアムラの成分が入ったシャンプーは避けた方がいいというのだ。
ナチュラルだからいいわけではない、ということはわかっていたが、しかし自分の髪にどのようなものが合うのかは、なかなかわからないものである。
わたしの髪は、乾燥しやすく細い方だとのことで(多分、平均的インド人に比べてだろうが)、シカカイやハイビスカス成分がお勧めだと言われた。
確かに、以前、2回ほどヘナのヘアパックをしてもらったが、今ひとつ、成果がよくわからなかったので、以来一度もやっていないのだった。
それから、よいニュースが一つ。ふふふ。
実は日本に帰国した時、たまたまテレビで、「抜け毛が気になる人のシャンプーの方法」をレクチャーしていた。それによると、ともかく地肌を優しくマッサージしながらシャンプーをするのがよい、といったことを言っていた。
どっちかと言えば、ガ〜ッと洗って、ガ〜ッと流して、はいおしまい。というワイルドなシャンプー派だったわたし。
ここ2カ月は心を入れ替える思いで、丁寧なシャンプーを心がけていたのだった。すると、アヌージャ曰く「新しい髪の毛がたくさん生えて来てますよ」とのこと。うれし〜!
自分では気づかなかった。
抜け毛が気になるみなさん。なるたけ自然の成分がやさしいシャンプーで、指先でじわじわマッサージしながらのシャンプー、お勧めですよ。
●人の死を、思う。
日々、人の死のニュースが溢れている。マイケル・ジャクソンもそうだけれど、個人的には、キャシー中島のお嬢さんの死が、父と同じ小細胞肺がんによるもの、と知って、心に響いた。
父は、彼女と同じように、咳が続いて、しかししばらくは「風邪であろう」と言われていて、それでも咳が止まらず、果たして最終的には、末期の小細胞肺がんだと診断されたのだった。
にもかかわらず、それから抗がん剤治療や民間療法が効いて、わたしの結婚式にインドまで来てくれて、結局は4年以上も生き延びられたのは、身近にいる家族の辛さは別としても、すごいことだったのかもしれない。
いつのときも「メメント・モリ」しているのでは、なにやら重い。誰もが、生まれて来て、そして死ぬ。
死は、普く生きとし生けるものの、一人一人に与えられた、あまりにも当たり前のことなのに、どうしてこうも、心を裂くのだろう。
こんなにありふれているのだから、「しょうがないな〜! 死んじゃったか!」というものであっても、不思議ではないくらいなのに。当たり前だが、そうはいかない。
米国在住時、メールマガジンを発行していた。引用の引用でわかりにくいかもしれないが、読んでいただければと思う。
●ささやかだけれど、役に立つこと。(2005年5月11日のメールマガジン)
以下(斜体の部分)は、ホームページの「片隅の風景」の項に、5月4日、記した文章だ。
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日本から米国に移ったとき、送った荷物の大半は、本だった。ニューヨークからDCに移ったとき、その多くを処分した。そして来月になるであろう引っ越しを前にして、更なる書物の整理を始めようと思う。
持っていく本と、人に譲る本と、捨てる本。もう、このたびばかりは、ひたすらの身軽を目指していて、だから小説の類はほとんどを、人に譲るつもりでいて、半ば目をつぶるような思いで、それらを書棚から引っぱり出しては、スーパーマーケットの大きな紙袋に詰めてゆく。
かつて読んだはずの、しかしストーリーはもう忘れ去ってしまった本ですら、最早、いいのだ。
夕食を終えてなお、まだ日が高く。部屋の隅に並べられた、いくつかの袋のうちの、入りきれなくて一番上に重ねられた、その一冊を、手に取る。窓辺のソファーに腰掛けて、灯りもつけず、薄暮の光を頼りにページをめくる。レイモンド・カーヴァーの短編集。『ささやかだけれど、役にたつこと (A small, good thing) 』。
パラパラとめくって、何気なく、目に止まった最初の一行から、読み始める。
"土曜の午後に彼女は車で、ショッピング・センターの中にあるパン屋にでかけた。"
交通事故で息子を喪った、余りにも悲しい夫婦と、やはり哀しきパン屋の主人の話。奇しくもそれは、表題作『ささやかだけれど、役にたつこと (A small, good thing) 』だった。
母親は、息子の誕生日ケーキを、パン屋に注文していた。しかし、その日、息子は死んだ。ケーキを取りにこない客に対して、しつこく、そして意地悪な電話をかけてくるパン屋……。
痛みと怒りが、怒濤のように押し寄せて、パン屋に押し掛ける夫婦。事情を知って、愕然とするパン屋。
"こんなときには、物を食べることです。それはささやかなことですが、助けになります"
深い悲しみの中で、焼き立てのパンをひたすらに食べる夫婦。最愛の人を喪失し、どんなに悲しいときにも、どんなに苦しいときにも、生き残る者は食べなければ。いつまでも癒えることのない傷みに崩れ落ちてしまわないように、生き残る者は食べなければ。
"オーヴンから出したばかりの、まだ砂糖が固まっていない温かいシナモン・ロール"を。
"糖蜜とあら挽き麦の味がします" というダーク・ローフを。
パンの匂いを嗅ぎ、飲み込むようにしてでも。食べられる限りパンを。
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父が他界してから1年が過ぎようとしている。母とは3日と空けず、電話で話す。この文章を書いた日の翌日、母が電話で言った。
「美穂がいいタイミングで、いいことを書いてくれていたから、ちゃんと食べなきゃね、と思い直したのよ」と。
母にとっては、父が病院に運ばれた去年の5月1日あたりが、精神的に最も辛かったようで、そのときのことがどうしても思い返され、なかなかきちんと食事を作る気力が沸かず、少し沈み込んでいたようだった。
この一年。限りなく存在感の強かった父の不在を乗り越えて、母は本当に、前向きによくがんばってきたと思う。もちろん、一年が過ぎたからといって、悲しみが消えたわけでも癒えたわけでもなく、いつだって新鮮な痛みが襲ってくるはずだ。
たとえば仕事を持っていたならば、それに没頭して気を紛らわすこともできるだろう。母は家で絵を教えていたとはいえ、主には専業主婦で父を支えてきたから、尚更の喪失感だと思う。
映画を観ることで気を紛らわしたり、敢えて街に出て買い物をしたり、友人と会ったり、妹とドライブへ行ったり、おいしいものを食べにいったり、自分なりの気分転換をしながら、なんとかこの一年を乗り越えてきたのだと思う。
それでも、ときにはとてつもない喪失感があるだろう。あれだけ「食べることが大好き」だった夫がいなくなり、そりゃあ、料理をする気力も失せるだろう。
それでも、やっぱり、元気で生きるためには、「しっかりとしたもの」を食べることが大切なのである。とても当たり前のことだけれど、簡単なことではない。
以前読んだときには、さほど心に留まらなかった、だから読んだことすら忘れていたこの短編を思いがけず読み、心を動かされた。それを記したことで、母が少し、励まされた。そのことを、わたしはうれしく思う。
数日後、バーンズ&ノーブルで原書を買った。"Where I'm Calling From"。この短編集には、やはり以前読んで気に入ったと感じたはずなのに、内容をすっかり忘れてしまった "Cathedral"をはじめ、30編ほどの短編が収録されている。
村上春樹氏の訳はとてもすばらしいと思うものの、英語でのニュアンスを、知りたくて読み直した。
"You probably need to eat something," the baker said. "I hope you'll eat some of my rolls. You have to eat and keep going. Eating is a small, good thing in a time like this," he said.
He served them warm cinnamon rolls just out of the oven, the icing still runny. He put butter on the table and knives to spread the butter.
甘くてやさしい焼き立てパンの匂いが漂ってくるようなこの一文に、生きるためのさまざまが凝縮されている気がして、胸が詰まった。
ちょうど去年の今日あたり、わたしは日本にいた。死が間近に迫っていてもなお、食が細くなってもなお、食べたいものを具体的にリクエストする病室の父に頼まれて、天然酵母の柔らかな食パンを探し求めて、商店街を歩いたことを思い出す。
パン屋にただよう、いい匂いを思い出す。世界中、普遍的に、パン屋にただよういい匂い……。
"It smells like a bakery in here. Doesn't it smell like a bakery in here, Howard?"
焼きたてのメロンパンを、もう柔らかな中身しか食べられなくなった父と、わたしは皮のパリパリしたところを、「おいしいね」と言いながら、分け合って食べたことを思い出す。
引っ越しまで、あと1カ月ほど。荷造りは、なかなか進まない。
(5/11/2005) Copyright: Miho Sakata Malhan