終の住処は、高原都市バンガロールと決めたけれど、インドで最も心惹かれてやまない都市は、ムンバイ。2008年から2年間、南ムンバイのコラバ地区(カフパレード)を拠点に、バンガロールと行き来する生活を送っていた。 かつては、仕事で、プライヴェートでと、しばしば飛んでいた。決して過ごしやすいわけじゃない。...
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I requested so when I checked in. The room with a view of the Arabian Sea in the distance. Fantastic. The sunset over the valley of skyscrapers remind...
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2日目の南ムンバイとは打って変わり、3日目の昨日は新興エリアの北ムンバイへ。印パ(インド・パキスタン)分離独立した1947年以来、インドは社会主義的政策をとってきた。しかし、1980年代後半に起こったペレストロイカをはじめとする世界情勢の変化の余波を、インドも受けることになる。 1991年。インドの...
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今から12年前。食品関係の視察でムンバイを訪れていた日本の食品メーカーの人たちに、インドの食事情について1時間ほど語るという仕事を受けた。視察団全体のコーディネーションは、他の人が請け負っていた。 しかし、そのときの視察団との会話を通し、彼らの旅の行程が(これはありがちなのだが)、あまりにも短く詰め...
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5泊6日のムンバイ滞在も、今日で終わり。昼過ぎのフライトで、バンガロールに戻る。最後の2日は、誰に会うこともなく、一人で過ごした。若き日々、一人旅を重ねたころを思い出すなど、それはまた、稀有な時間だった。 どんなに写真を撮影しても、ネット上にアップロードしておかなければ、未来、紐解く機会がほとんどな...
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Chhatrapati Shivaji Maharaj Vastu Sangrahalaya。名前が長すぎるミュージアム。 1905年、皇太子(プリンス・オブ・ウェールズ/後の英国王ジョージ5世)のボンベイ来訪を記念して建立が決定されたミュージアム。当時は「プリンス・オブ・ウェールズ西インド博物館」...
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「インドの産業の父」と呼ばれるタタ・グループの創始者、ジャムシェトジー・タタ。グジャラート州で、パールシー(ゾロアスター教徒)一族の元に生まれた彼は、1868年、29歳のとき、タタ・グループの前身である綿貿易会社を創業。その後、綿紡績工場を操業し、インド有数の資本家に。以下、日本との関わりも深い同社...
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