インド東部オディシャ州で昨日2日、列車同士が衝突するひどい鉄道事故が起こった。史上最悪の事故に近いスケールだ。現在、238人以上が死亡し、900人以上が負傷したとのニュースが流れている。数字は更に、増えるだろう。 ニュースが映し出す事故現場では、3本の列車が、すさまじく破壊された姿で交錯している。い...
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🥻約5メートルの一枚布を巧みに身体に巻き付けて着こなす、シンプルながらも華やかなインドの民族衣裳、サリー。インダス文明の時代から数千年の長きに亘り、サリーはインド亜大陸に暮らす女性たちの身を包んできた。 絹や綿、絹と綿の混紡など、布の種類にはじまり、織り、染め、刺繍、紋様など、産地や品質によって無限...
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ヤズダニ・ベーカリーで故人を偲んだ後、いつも通りに、スターバックス・カフェへ。鋭い日差しが照りつける蒸し暑い日、フォート界隈をあるいたあと、ここで涼を取るのが常だった。 2012年、インド第一号店として開業したこのスターバックス。久しぶりに訪れれば、内装は以前からは一新している。個人的には、昔ながら...
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南ムンバイ、フォート地区にある「ヤズダニ・ベーカリー」。わたしにとって、この界隈を訪れるのは、日本人墓地に並んで儀式のようなものだ。1953年創業のこの店は、パールシー(ゾロアスター教)のファミリーが経営してきた。 2004年4月。わたしが初めてムンバイを訪れたときのこと。タージマハル・ホテルにチェ...
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昨夜、ムンバイからバンガロールに戻ってきた。4泊5日、ムンバイでの経験。旅の途中に書き留めきれなかったことを、この数日でできるだけ、残そうと思う。思えば日本旅の記録もまだ、少し残っているのだが……。 4日目は、ほぼ、一人で過ごした。ムンバイはバンガロールに比べると暑い。かなり暑い。それでも、南ムンバ...
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5月27日の夕暮れどき。講演を終えてホテルに戻り、サリーから部屋着に着替えてコーヒーを飲む。一息つきながら、窓越しに広がる摩天楼を眺める。少し疲れているし、日も傾き始めているが、今日は行きたい場所がある。 5月27日は、2004年に他界した亡父の命日だった。去年は、福岡のお墓にて、命日のお参りができ...
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常々、記していることだが、インドには、日本を好意的に見てくれる人がとても多い。インドが一つの国として独立した際、日本とインドが連携したという歴史的な経緯によって育まれた感情。あるいは、同じアジアの一国としての親近感。その一方で、多様性のインドとは対極にある極東の島国の特異性に対する好奇心。隔離された...
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ムンバイ。わたしがインドで、最も興味深く思っている都市。2008年から2年間、ムンバイとバンガロールの二都市を行き来する生活を送っていた。 当時、ニューデリーがワシントンD.C.ならば、ムンバイはニューヨークのようなものだ、と感じていた。商業とエンターテインメントが豊かな、多様性の極みの中の極み、ム...
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昨日、毎度おなじみ、インド各地の手工芸品が一堂に会するDASTKARを訪れた。このようなバザール、初日はまだ準備が整っていないところが多いので、普段は2日目以降に足を運ぶのだが、昨日は、勉強会の帰路、近かったので立ち寄った。 デリーを拠点に、ムンバイやバンガロール、チェンナイなどの都市で、「ネイチャ...
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わたしが属している、バンガロール在住女性の勉強会。毎週のように、メンバー宅(持ち回り)で、開催されている。すべてに参加することは難しいが、最低でも月に1、2回は極力、参加するようにしている。 今日は、ミューズ・クリエイションがしばしば訪問している慈善団体、ニューアーク・ミッションの創始者であるラジャ...
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14日、日曜日。バンガロールにて「ジャパン・ハッバ(日本祭り)」が開催された。2005年以来の年中行事だったが、パンデミックによる途絶を経て、今回は3年ぶりのリアル開催だった。 会場は、IISc(インド科学大学院)のキャンパスにある国立科学セミナー施設。年々、入場者が増え安全管理が困難になっていたこ...
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先月の一時帰国時には、主には和菓子を楽しんだ。季節を反映した和菓子を味わえたのが、またよかった。桜餅が終わり、柏餅の季節に入るころ。子どものころは、あまり好きではなかった和菓子が、歳を重ねるにつけ、おいしく感じる。 個人的には甘いものより、おかきやせんべい類が好きだったのだが、今回は、あまり食べる機...
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