2014年、今年最後の朝だ。青空が広がり、吹く風は心地よく、麗しい声でさえずる小鳥たちが乱舞し、平和なひととき。
緑に包まれた庭で、朝日を浴ながら、NORAも、仏像も、人間も、力を与えられているようだ。
実は先日、1年のうちにまたぐんぐんと伸びきった椰子の葉を伐採すべく、業者を呼んだのだった。我が家に隣接するITC TECH PARKはここ数年、その広大な敷地内にて工事中につき、我が家との境界に高いパーティションを設置した。それはそれで構わないのだが、なにしろ日当りが悪くなった。加えてヤシの木が伸びに伸びて、庭の芝生が成長不良。
こんな風に、頼りない陽光だけが、葉の隙間を縫って庭に落ちて来る状況だった。
というわけで、今回の業者はJustdial.comを検索、なかなかにいいところを見つけられた。なにしろ、前回は、はしごがなければ伐採できない兄さんたちだったのが、今回は肩の筋肉が発達した木登り職人が登場。
はしごが届かないポイントからは、スイスイと木登りをして伐採してゆく。
葉っぱは、実は、とても大きい。不定期に、枯れ葉がドサッと落ちて来るのだが、年々、その大きさがアップしてゆき、片付けもたいへんだ。
周囲の鉢植えなどを傷つけないよう、葉にロープを括り付けて、じわじわと下へ落とす。いい感じ。
どうせ半年もたつと、また空を覆うが如くに成長する葉につき、思い切り伐採してもらう。そうしたらもう、庭を埋め尽くさんばかりに、椰子の葉。
数名のスタッフが、それらを束ね、抱えて外へ。椰子の葉の処分も、彼らがやってくれる。非常にてきぱきと、いいサーヴィスであった。少なくとも、今年の始めに来てくれたお兄さんたちに比べたら、ずっと。
ちなみに8年前の子ども椰子の木の様子。
同じ庭だとは思えない。
ところで今朝、TIMES OF INDIA紙で、印象的な記事を見つけた。先日会ったばかりのセイジェルの功績が紹介されているのだ。TIME社の成功の裏には、2011年に現職に就任して以来の、彼女の活躍が大いに関係しているとのこと。本当に、かっこいいなあ。
無論、彼女はインド系米国人だが、ともあれインドでは、企業のトップに位置し、社会的に大きな影響を与える女性たちは多い。
インドの女性の虐げられている部分ばかりが、メディアに取り上げられ世界に発信されがちだ。ここに住んでいる人たちでさえ、女性たちの活躍している様子、活躍できる土壌があるということを、知らない人は少なくない。少なくとも日本よりはずっと、地位ある女性の社会進出は確実だということを、記しておきたく。記事をお読みになりたい方は、下をクリックしてどうぞ。
■Bengaluru the secret of Time’s success (←Click!)
その一方で、本日やはりTIMES OF INDIA紙の一面を飾ったこの記事。
これは、いけない。
実は数日前、バンガロール市内の繁華街で、爆弾テロがあった。チェンナイからたまたま旅行に来ていた30代の女性が亡くなり、ほか数名が怪我をしたとのこと。
インドでは、日常的に、大小のテロ行為が見られ、このようなニュースは多かれ少なかれ、折に触れて新聞紙面を飾る。海外のメディアにも取り上げられた大きな事件としては、まず、わたしたちが移住したばかりのころ、2006年7月11日に発生したムンバイでの列車爆破事件。200名を超える死者、700名以上の負傷者が出た。
そして忘れもしない、我々がムンバイとの二都市生活を送っていた時期の2008年11月26日には、ムンバイ同時多発テロが発生した。この件については、過去にも幾度となく記したので、ここでは詳細を記さない。ともあれ、その後も、インドの各地で、「さまざまな理由/原因」によるテロリスト攻撃は、起こっている。
小さいところだと、わたしが知る限りでも、数名の死傷者が出るテロ行為はこの9年のうちに3回ほどあった。
結婚した直後、ニューヨークとワシントンD.C.で二都市生活を送っていた2001年9月11日にも、わたしたちの身近で同時多発テロが発生。以来、自分の生き方については、本当に考えさせられる出来事が続いたものだ。
個人的な出来事までに言及するときりがないので、このへんにしておく。ただ、諸々を身近に経験して思うのは、「テロに遭遇しないように気をつける」というのは、基本的に不可能だということ。テロは、テロが起こりそうにないと思っている時に、思いがけない場所で起こるものだ。
テロが起こった直後、厳戒態勢の中で次なるテロが発生、というケースは、多分、稀だろう。つまり、その直後だけピリピリとしていても、仕方のないことである。むしろ、交通事故などに気をつける方が、よほど賢明だ。
だからといって、なにも気をつけることはない、というのも違う。インドにいる以上は、テロが起こりやすいとされる国にいる以上は、常日頃から、それなりの緊張感を持って暮らすべきあろう。そのあたりの塩梅は非常に難しく、過度に緊張しているのでは、やはりよくない。各々が、自身の行動に責任を持ちながら、「考えて行動するべき」ことでもあるだろう。
ただ、こういうことは、やってはいけない。
数日前のテロを伝える記事には、大晦日から新年にかけての警戒態勢についてなどが記されている。そこに、事件から2日後、現場を訪れて、笑顔でセルフィー(自撮り)する観光客の様子が、一面に掲載されているのだ。
キャプションには「火曜日、バンガロールのチャーチストリートの爆破現場でセルフィーを撮影する観光客。事件後2日目にして、界隈は通常に戻った」とある。
それでも、まだ事件が起こって日が浅い。背景に立つ人たちも、悲劇が起こったことに対する神妙さが感じられる背中で、直立をしている。そこで、記念撮影をすべきではない。
多分、彼らは、まさか自分たちの顔が新聞に載るとは思っていなかっただろう。なんとなく、大きなカメラを抱えたフレンドリーなインド人に、笑顔を向けてしまったのかもしれない。それにしてもだ。悲劇の起こったばかりの場所で、笑顔で写真におさまるのは、やはり慎むべきだっただろう。
たとえば、日本での深刻な事件の現場で、外国人が楽しげに写真を撮っているのを見て、どういう印象を受けるか、と程度のことくらいには、思いを馳せるべきだろう。
「日本人」と書かれていなかっただけでも幸いだ。だが、彼らは紛れもなく日本人である。わたしも面識のある二人ゆえ。だから敢えて、顔は隠しつつも、書くことにした。
海外での行動は、個々人の領域を超える。
たとえばわたしの場合。世間で形容される際には、「バンガロールのコックスタウンに住む美穂」とか、「ライターの美穂」とかではなく、まずは「日本人女性の美穂」となる。
わたし自身もだから、自身の行動については、気をつけねばならないと、常々思っている。人ごとではない。一人の行動が、日本人全体の印象を左右することさえあるのだ。海外での生活も18年半。改めて気を引き締めなければと、自らをしても、思う大晦日の朝である。