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今朝のデリーは雨模様。
街の埃が洗われて、空気が少し、澄みそうだ。
さて、ホテル缶詰作業は本日で終了の予定。
外に飛び出せる明日を楽しみにがんばりましょう。
ところで昨日の食事もまた、
ホテルに隣接するモールにて。
ランチは、AMICIというイタリアンの小さなカフェレストラン。
ホームメイドのパスタ、フェトチーニがおいしかった。
夜は軽めにと、訪れたB-BAR。
日本食ほか、オリエンタル料理(パンエイジアン)が出される店。
すてきな雰囲気。
が、アルコールメニューの激しさに、最早笑える。
麦焼酎いいちこが、ボトルで1万ルピーを超え、梅酒が約3万ルピー。
フランスワインは、数十万円のものも、ございます。
インドを日本に伝えるための仕事をしているわたしとしては、
いろいろと、いろいろと、
インドについてを、
考えさせられる夜でした。
モールに併設されているホテルに3日間、籠っての作業も無事終了。
時間を無駄にしないためにも、食事はモールですませた。
それはかつてない経験で、しかしモールで長時間を過ごすことで、
人々の「変化のようす」「変化しないようす」をしみじみと目の当たりにし、
かつてない発見もあった。
それにしても、食のヴァラエティの豊かさ、制約のなさに、驚く。
「インドでは、牛肉が食べられない」などと、大雑把に語るなかれ。
以前から、食べられる店はいろいろとあったが、
このごろはもう……。
先月末にはロサンゼルス発、個人的に懐かしのジョニー・ロケッツがオープン。
ビーフバーガーがメインの店である。
上京したてのころ、六本木のジョニー・ロケッツに行ったものだ。
「アメリカの味だよね」などと、いいながら。
そして夜は、すでにお気に入りとなったAmiciで釜焼きピザを。
これがもう、おいしくてびっくり。
バンガロールにも、来て欲しい!
さて、今日と明日は、これから街への視察だ。
ぐ〜んと羽根を伸ばして、行ってきます!!
バンガロールにはないこのお店。
すてきな柄のテキスタイルの宝庫。
しかしオンラインショップでお買い物可能。
ということを、先ほど知った。
これからは、気軽に購入できるではないか!
うれしくも、危険!
The Shop (←CLICK!)
バンガロールに暮らしている義姉スジャータは、
折しも現在、デリーの実家に滞在中。
朝食時、今日の視察先について話していたら、
「クラフト・ミュージアムがいいわよ。ロティカ(義姉の義母)が、最近できたレストランがとてもいいって、勧めてたから、行ってみたら?」
アカデミックで冒険家で、豊かな知識の宝庫、ロティカ。
彼女のお勧めなら間違いないと、赴いた。
そうしたらもう、最高に、楽しいランチ。
インド各地の名物料理を、
モダンにアレンジした料理の数々。
テラスの雰囲気もすてきだし、
お料理もどれもおいしい。
なにしろ、典型的な北インド料理の「外食」にありがちな、
ヘヴィーさがない。
ここはまた、来なければ!
スジャータ、ロティカ、ありがとう!!!!
しその天ぷらならぬ、ホウレンソウの揚げ物が添えられたチャート。
良質の素材が旨い!
シッキム風ヌードルスープ。人が食べている様子を見て、
エンジェルヘアのパスタかと思ったのだが、
これまた、美味なスープ麺。
豆とご飯のお粥、キチリ。これもまた、胃に優しくて幸せな味。
マリネされたチキンのグリルに豆のサラダ。
ホウレンソウの蒸しパンもまた、風味豊かでおいしかった。
食後のコーヒーも数種類。主にはカルナタカ州のもの。
普段飲み慣れている、美味なサウスインディアン・コーヒーを味わえて幸せ。
このお店、日本人の口にも、きっと合うはず。お勧めですよ!
■Cafe Lota (←CLICK!)
初めてインドに来た2001年7月。
インドの家族に連れられて来た、この紅茶専門店。
ミッタルとレガリア。
どちらもそれぞれに魅力的だが、
個人的にはレガリアの、
オーガニックのマスカテルが好きだった。
このごろは、あまり紅茶を飲まなくなり、
たくさん買うこともないのだけれど、
今日はミッタルで、おもしろいものを発見!
ターメリックをスライスしたものを、乾かしたもの。
毎朝、オーガニックのターメリックと
オーガニックの蜂蜜をお湯で割ったものを飲んでいる我々夫婦。
ターメリックの粉っぽさが難だったが、
これならば、数片をひたせばよいとのこと。
ターメリックの風味も新鮮に違いない。
よりいっそう、ヘルシーに、一日を始められる。
ささやかに、うれしいお買い物。
5日間に亘るデリーでの任務完了!
最初の3日間はホテルに籠っての作業。
そして残りの2日は市内の視察など。
この時期のデリーにしては、天候にも恵まれて、本当に助かった。
さて、クライアントを空港までお見送りしたあとは、
スパへ直行、マッサージを受ける。至福の達成感!
夜、実家へ戻って家族と夕食。
料理人ケサールの作る北インドの家庭料理は、最高。
身も心も、ほっと落ち着く。
やがて夫がデリーに到着。
彼と家族とデリーで週末を過ごし、
月曜日、わたしはバンガロールへ、
火曜日、夫はデラドゥーン出張へと飛ぶ。
土曜日の今日は、ゆっくりと書き物をしたり、読書をしたりして、すごそう。
デリーのINAマーケット。
ショッピングモールとは裏腹に、
いつ訪れても変わらぬ様子のローカルマーケットは、
「デリーらしさ」が満ちあふれている。
こういう光景を目にすることこそ、旅の醍醐味。
異国に暮らすということは、毎日が「旅の途中」なのだ。
仕事そのものも、Pleasure。
どんなに不都合が多くても、
不便から生まれる創造が生きる場所。
やっぱり、楽しい。
バンガロールで開催される、数あるクラフトフェアの中でも、
毎年、一番楽しみにしてたのは、Dastkar主催のネイチャー・バザールだった。
しかし、2年前からバンガロールへは来てくれなくなった。
会場の問題などもあったようだが、
本拠地のデリーに、拠点となる会場を得たからだ、との話も聞いた。
初めて、その拠点とやらに、足を運んだ。
今回、バザールとバザールの狭間で、店舗数はとても少なかったけれど、
やっぱり、欲しいものが、見つかってしまう。
質のよいオーガニックのカモマイル・ティーとクルミ、
そして、フェアトレードの革のバッグなど。
このバッグ、革の手触り柔らかく、シンプルで軽やか。
かなり気に入った。
次回のデリー来訪時には、バザールと重なりますように!
というか、バンガロールの人たちにも楽しんで欲しいから、
バンガロールにもまた、来て欲しい!
■Dastkar (←CLICK!)
この家を初めて訪れたのは、結婚式のために渡印した2001年。
それ以前から、そしてそれ以降も、変わらぬ様子の家。
1階のフロアは、人に貸し続けている。
2階は、かつてダディマ(祖母)が暮らしており、集いの場だった。
3階は、私たちや、ゲストのためのフロア。
4階は、義父ロメイシュと、義継母ウマが住んでいる。
4階の様子は知らないけれど、
食事をするたびに集う2階や、滞在する3階は、
時間が止まっている。
めまぐるしく変化していた、たとえばモールで見た様子が、
まるで非日常、シアターで観劇してきたのではなかったかと、
錯覚に陥ってしまうほど。
今でも現役の、小さなオーヴン。
料理を保温するのに使われている。
庫内はもちろん、オーヴンの上も使える。
電子レンジを使うより、風味を損なわなくていい。
今、こういうのが売っていれば、欲しいくらいだ。
ちなみにこれ、義理の両親が新婚のころ、
今は亡き義母がロンドンで買って来た英国製らしい。
1969年のこと。
45年も、毎日毎日、働き続けている。
すばらしい。
毎朝、果物のほかに、ほんのり甘いミルク粥。
それからホール・ウィートの小さなトーストを2枚。
1枚は、目玉焼きと一緒に。
そうそう、黄身の白い卵もまた、とてもデリー的。
バンガロールの卵の黄身は、ちゃんと黄色いから。
これは鶏の餌の種類によるものだと思う。
ひょっとするとデリーの卵も、
黄色が主流になりつつあるのかもしれないけれど、
少なくともマルハン家のそれは、色白。
もう1枚は、コーヒーを飲みながら、
バターとジャムをつけて食べる。
今回は、ホームメイドのジャムが2種。
アルヴィンドの従姉妹の妻、タヌーが作ったマーマレード。
義姉スジャータが作ったグースベリー(食用ホオズキ)のジャム。
タヌーもスジャータも、とても料理が上手なのだ。
たとえ料理人がいる家庭に育っても、
インド料理だけでなく、さまざまな料理を、作ることができる。
冬のデリーの風物詩、グースベリー(食用ホオズキ)。
これもまた、わたしの好きなフルーツ。
こうして丸くボール状にして、売られている。
ランチタイム。料理人ケサールのキッチンを見学。
普通のチャパティとは風味が違うのでAtta(全粒小麦粉)の銘柄を聞こうと思ったら、
義継母ウマが「大豆の粉をブレンドしているのよ」とのこと。
と、義姉スジャータは、
「わたしはオーガニックショップのマルチグレインや、
石臼で挽いた粉も使うわよ」とのこと。
精製小麦粉を使ったパンや、白米よりも、
ずっと栄養価が高いチャパティ。
もっと頻繁に食卓に出さなければ。
ランチは軽めのヴェジタリアン。
スパイスはマイルド、辛みは一切ないマルハン家の料理。
なにしろ、ロメイシュもアルヴィンドも、辛い料理が苦手なので。
やさしい風味のダール。
柔らかく煮込まれた茄子。
そしてグリーンピーとマッシュルームの煮物。
このグリーンピーが本当においしい。
風味豊かな懐かしい味。
子供の頃、妹が生まれる前に預けられていた祖母の家で、
豆剥きの手伝いをしたことを思い出す。
子供の頃は、強い風味の「ピースごはん」が苦手だったが、
風味の浅い豆が主流の今となっては、懐かしくて、おいしい。
この味を、バンガロールでは見つけられない。
「デリーには、四季があるからね。寒い時期に、この豆は味が強く出るのよ」
デリーの冬の食卓に欠かせない赤い色した京ニンジン風も、また。
時が止まった……といえば、3階には、さまざまな昔の家財道具が眠っている。
ちょっと探検してみれば、こんなアンティークなミシン。
木箱のケースがとてもすてき。
そしてこの先、いったいどれほど、
眠り続けるのでありましょう。
一週間の仕事を終えて、土曜日。
終日、実家でのんびりと過ごす。
本当は書き物や読書に励むつもりが、
午後は夫婦揃って平和に昼寝。
夕方、夫と二人、家の裏の公園を散歩。
なんとなく、語り合いつつ、歩く。
マルハン実家に勤続25年以上のドライヴァー、ティージビール。
彼ら一家は実家に併設の家屋で暮らしている。
この公園では、そんな使用人の子供たちもまた、楽しげに遊ぶ。
その子供の様子を見ていたアルヴィンド曰く、
「ティージビールの長女、大学2年なんだって。バイオケミストリーを専攻しているらしいよ」
義父ロメイシュが、子供たちの学費を援助していることは知っていたが、
そんなに優秀な子供に育っていたとは知らなかった。
ロメイシュの叔母は、デリーにおいて複数の女子大を創設した人物なのだが、
その叔母が運営する大学の一つに通っているとのこと。
聞けば、次女は長女よりもずっと優秀らしい。
でもって、一人息子は、今ひとつらしい。
それはともかく。
UP州の田舎から出稼ぎに来た夫婦の子供が、
こうして学問的にも優秀に育ち、明るい未来を手にしていることを、
本当にすばらしいことと思う。
わたしたちも、子供たちの未来を育むサポートをしなければ、と、
切に思う、夕暮れ時であった。
クリケットやサッカーをする青年たち、
編み物をする使用人の女性たち、
けんけんぱー(?)をして遊ぶ子供たち……。
人も、野良犬も、平和な公園。
夕べのディナーは、ノンヴェジタリアン。
柔らかく煮込まれた骨付きマトンのカレーが主役。
タマネギを多めに、トマト少なめに煮込まれたグレイビー。
辛みがなく、油脂が少なく、マイルドな味わい。
キャベツの千切り炒めは、ピーナッツがまぎれている。
これは料理人ケサールではなく、ドライヴァーのティージビールのアイデアらしい。
ティージビールの本職はドライヴァーだが、マルハン家の「執事」であり、
家事全般にセンスがあるのだ。
ジャガイモは、メティ(フェヌグリーク)の葉がたっぷりと。
胃腸によく、消化を促進するメティ。
我が家でもときどき登場する葉野菜だ。
そして冬のデリーに欠かせない、赤ニンジンのデザート。
ガージャル・ハルワ。
外で食べると甘過ぎ、バターとミルクが多すぎ、でこってりだが、
ケサールの作るそれは、ニンジンの風味と甘みが、ちゃんと生かされている。
おっと、こちらは今朝の目玉焼き&トースト。
なんということはない、両面焼きの目玉焼き。
これに塩こしょうをかけて、ナイフとフォークで切り分けながら、
それなりに、恭しい感じで食す。と、おいしさが増すのだ。
こちらは、全粒小麦のミルク粥。
わたしが目玉焼きトーストを食べていたら、
ロメイシュ・パパに「おいしそう!」と、真似された。
彼はサニーサイドアップがお好みのよう。
マルハン家で最も新しい家電は、数年前にわたしが持ち込んだコーヒーメーカー。
コーヒー豆も、お気に入りの南インド産を持参の上。
わたしの滞在中は、普段コーヒーを飲まないパパも、お召し上がりに。
家族が集う、食事の時間。大切な時間。
ごちそうさま!
わたしたちが訪れるとき以外は、
ほとんど誰も使わないマルハン実家の2階。
普段はベッドルームとリヴィングルームを使うだけだが、
今回は、古い家財道具などが置かれている部屋をのぞいてみた。
古いアルバムが、引き出しの中にあってなお、
たっぷりと埃を被って、眠っている。
いくつかの、フォトフレームもまた、打ち捨てられたように。
真っ先に目に飛び込んで来たのは、夫の亡母アンジナの父。
手前の女性は、インドにゆかりのある人なら知っているであろう、
インディラ・ガンディ元首相。見るからに、強く鋭い存在感。
実業家であった祖父は、政界(コングレス)に身を置いていた時期もあり。
このような写真も残されていた。
ちなみに亡母の旧姓は「プリ」。
マルハンも、日本的にはいかがなものか、な名字だが、
「坂田プリ美穂」というのも、なかったな、と思う。
まだ、マルハンの方が、よいようだ。
ついでに義姉スジャータの名字「ヴァラダラジャン」というのも、
日本人にとって、発音するのもスペルを相手に伝えるのも、超困難。
「坂田ヴァラダラジャン美穂」
くどい。くどい上に、ふざけた感じさえ漂う。
名前って、大切ね。
微笑ましすぎる、この一枚。アルヴィンドの両親と、中央はたった一人の従兄弟。
アルヴィンドと義姉スジャータの、酷似した脚線美!
アルヴィンドの眼鏡といい、澄ました表情といい、
……笑える。
厳格だった「プリ」側の祖父。
翻って「マルハン」側の祖父は、日本でいう林野庁のようなところに勤務していたのだが、
「パーティー好きな夫婦だった」という話ばかりを聞く。
散財して蓄えを使い果たし、晩年、身体を壊した父のために義父ロメイシュが苦労したことを、折に触れて聞かされる。
今のこの実家も、若いころにロメイシュが働いて、ダディマのために購入した。
その後、大幅に改築し、今の4階建ての家になったのではあるが。
タキシード好きだったという、祖父。右隣がダディマ。
クリスマスの帽子を被り、見るからに、パーティがお好きな様子。
こちらは、屋外のパーティの様子。
英国統治時代につき、英国人との交流も深かったようである。
これはロメイシュとアンジナの結婚式の光景。
わたしの育った日本での環境とは、悉く異質の世界。
現在よりもむしろ、過去を遡るときに、
国際結婚の面白さを実感する。
先日、バンガロールの拙宅に来訪したランジート伯父の話もそうだが、
まだみなが存命のうちに、
過去の話をインタヴューして書き留めておきたいとも思う。
事実は、小説より奇なり。
思えば、バンガロールにいるときには、
夫と二人で「町歩き」をすることがない。
町歩きをしたくなる場所がない、というのが正解だ。
年に一度のニューヨークほか、旅先に集中している。
だから日曜日、夫と二人で出かけたのは、新鮮な感じだった。
昼ごろ向かったのは、数日前にクライアント女史と赴いたクラフト・ミュージアム。
先日、十分な現金を持っていなかったので買えずにいた、
ペーパーマシエの小さなトレイをいくつか買い求める。
1年半前にカシミールのスリナガルを訪れた際、
ペーパーマシエの工房も見学した我々。
それなりに審美眼が備わったがゆえ、品選びも熱心だ。
それにしてもあのときは、
夫の突然の「飛び入り参加」に、心底呆れたものである。
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左側のトレイは、最後まで迷って、買わなかった。
シンプルで技巧は浅いが、モダンなデザインを選ぶか。
高度な技術が駆使された、伝統的な、少々「詰め込み過ぎ」なデザインを選ぶか。
インドの伝統工芸を選ぶときに、悩むポイントはそこにある。
技巧に走り過ぎればいい、というものでもなく。芸術性と実用性のバランス。
そして、1回訪れて心奪われたCafe Lotaへ。
前菜には例のチャートを注文。
デリーに生まれ育ったアルヴィンドも、いきなり満足。
そしてこの、新鮮な麺のシッキム風ヌードル。
ちなみに、麺の下には、茹でられた葉野菜が敷かれている。
この、見るからにおいしそうな料理は、フィッシュ&チップス。
この独創性がすてき。
ポテトはサツマイモ。
砂糖を絡めていない大学芋、という感じ。
これは、ココナツ風味が利いたコンカン風フィッシュカレー。
グレイビーが重すぎず、しかし風味豊かで、バスマティライスとよく合う。
食前にはニブパニを。食後にはチャイを。幸せな満腹感。
食後、Dili Haatに寄ってみたが、あまりの人の多さに、即撤退。
やっぱり、DastkarのNature Bazaarの方が、かなり洗練されている。
次回は、バザールの時期に! とまたしても思う。
実家のすぐそばだというのに、
アルヴィンドが訪れたことがないというHauz Khas Villageへ。
去年訪れた時とはもう、店の様子がほとんど変わっていて、
栄枯盛衰の早いことに驚く。
とはいえ、アルヴィンドは初めて訪れたゆえ、
お洒落なブティックなどを数軒、眺めつつ、ゆっくり散策。
足場は悪いが、人だらけのDili Haatよりは、歩きやすい。
この日は好天、肌寒かったものの、いい日和だった。
休憩に入ったカフェで、お茶のつもりがつい、
我々お気に入りのKingfisher Ultraで乾杯。
おいしい!
カフェの窓から、公園のクジャクが見えました。
そしてマルハン家での、今回最後の夕飯はヴェジタリアン。
ロメイシュ・パパとウマは、友人の銀婚式パーティに招かれていて不在。
スジャータと3人での食卓。
インドのレンコン、小ぶりで、やさしい味。
そしてデリーのパニール(牛乳たっぷり新鮮チーズ)のおいしいこと。
これはバンガロールでは決して味わえない、まろやかさ。
外でおいしいパニールが手に入らないので、たまに自宅で作る。
牛乳を沸騰させてレモン汁を垂らし、分離させたものを布で漉し、
冷蔵庫で冷やし固める。
が、こんな風においしくできない。
なにしろ、ふわふわとしている。
スジャータは、「牛乳の味がいいのだ」というけれど、
それだけではない、なにかコツがあるのだろう。
ともあれ、わずか1週間の間にも、
公私ともに有意義なデリー滞在であった。
今回は間を置かず、また3月、訪れる予定。楽しみだ。
2001年7月。蒸し暑さ絶好調のデリーにて、結婚式を挙げているときの写真だ。
それでなくても汗だくで、眉毛だけは死守したものの、序盤で化粧も剥がれ落ち、にもかかわらず、儀式では火を焚かねばならず、祭司のマントラ→火に油(ギー)を注ぐ→祭司のマントラ→火に油(ギー)を注ぐを繰り返し、すさまじい熱気。
初めてのインド、初めての結婚式。ありとあらゆる出来事が、最早、戸惑いを通り越して、面白すぎた。
読めない式次第に、何度も笑いが込み上げているわたしに、
「ミホ、結婚式のときには、新婦は神妙にしていなければ。泣いたりさえ、するものなんだから」と言うアルヴィンドの、その足下を見て、更なる大きな笑いの波に襲われたことを、鮮明に思い出す。
儀式は素足でのぞむように、と言われていたから、我が両親も、わたしも、もちろん素足だったというのに。なんで靴下を履いているのよ、あなたは!
しかも、この激烈に暑い中!
結婚式の写真を見るたびに、靴下姿のアルヴィンドが面白くて、つい噴き出してしまう。
そして数日前のデリー実家にて。古いアルバムをめくっていて、思わず目が釘付けに!
ロメイシュ・パパ!!
一晩でぐんぐん伸びた豆の木には敵わないけれど、
我が家のヤシの木、この7年の間に著しい成長を遂げ、
無数の根は土の養分を吸い取り、
鬱蒼と生い茂る葉は光を遮り、
お陰で芝生は成長が鈍く、花もなかなか開いてくれない。
ついには、葉っぱを伐採することに。
頑丈なはしごは上まで届かず、頼りない竹製のはしごが頼り。
隣の敷地(ITC Tech Park)が工事をしているため、パーティションが立てられている。そのせいもあって、光が足りなかった。
が、葉をどさり、どさり、と落とすにつれ、光が気持ちよく入ってくる。
見上げる分にはさほど大きく見えない葉だが、どれも2、3メートルはある。
ちなみに下の写真は、7年前のもの。
ヤシの木は、どれもわたしの背丈ほど。
わたしの太ももほどの「細さ」であった。
ほんとうに、よく育ったものだ。
月曜日にデリーからもどってきた今週。
あっというまに過ぎてしまって、今日はもう金曜日。
来週の『ジャパン・ハッバ(日本祭り)』に向けて、各チーム、絶賛準備中。
今年は、布、紙チームそれぞれに2つのテーブルを借りた。2つのテーブルで、商品を販売。もう2つのテーブルでは、おてだまや書道、折り紙などのデモンストレーションを行う予定。日本に関心を持ってくれる人たちと、楽しく交流を図れることを願って。
ちなみにミューズ・クリエイション。赤ちゃんのご同行はノープロブレムです。
本日、「スペシャルな指揮者」にご来訪いただいての、真剣な練習でありましたチーム歌。専門家のアドヴァイスはすばらしい。みなさんの潜在力がぐんぐん引き出される感じ。音楽の専門用語や詳しいことはほとんどわからないわたしだが、理論を理解したら歌に深みが出て、進化するのだなと実感した。勉強になりました!
本日のおやつはスコーン。ヴァレンタインズデーだから、というわけで、ハート型❤
先日、デリーで購入して来たおいしいジャム。ヒマラヤの麓で作られたビターオレンジのマーマレード。おいしいんです。生クリームとジャムを添えて、スコーンの味が引き立つ。
というわけで、かつて拙ブログに頻出していた元ローカルフード探検隊のU-KO隊員、バンガロールへ。確か2年前に帰任していたはずだけれど、やたらよく会っている気がする。
去年はたまたま彼らのインド旅のタイミングがよく、8月9日、「アルヴィンドの誕生日」に、サプライズで親子3人で来てくれた。
今回は、彼女が一人旅の途中。我が家に「自分の誕生日」に登場。
ちなみに彼女、バンガロールに到着した際、アルヴィンドと空港でばったりと会っていたらしく。昨年末の我が帰国時も、旅帰りの彼女とぎりぎりで会えるなど、否応なく縁がある我々。
せっかくのご縁なので、朝、近所のベイカリーでお誕生日ケーキを頼んでおいた。シンプルなデコレーションゆえ、花形の蠟燭(これは家にあったもの)が、なんだかピッタリ。
ヴァレンタインズ・デー。「女性が好きな男性にチョコレートを贈る」というのは、日本特有の習慣。数年前からインドでも、ヴァレンタイン商戦が賑やかになりはじめたが、それはあくまでも、欧米のスタイルに近いもの。
愛し合うカップルが、花などのプレゼントを交換したり(主には男性が女性へ花を贈る)、あるいは、二人で夕食に出かける。
富裕層や外国人を顧客に持つレストランは、2月14日のみの特別メニューを準備。それにしても、今年のヴァレンタイン商戦は、例年になく、バブルに派手。欧米のそれよりもはるかに、バブル感を漂わせており。
夫がタージグループのインナーサークルのメンバーであることから、バンガロールにあるタージ各ホテルのヴァレンタイン関連のイヴェント情報が届いたらしいが……。
英国統治時代の伝統を引き継ぐ高級ホテル、タージ・ウエストエンドからは、「ディナー&宿泊(1泊)数十万円」という案内が届いたらしく、夫は大いに呆れていた。
我々は、最寄りのタージの、お気に入りのレストランへ。
テーブルのデコレーションがすてき。お店の雰囲気がいいと、気持ちがぐっと盛り上がるものだ。実はここ数週間、なにかとバトルが多発している我々夫婦。しかし、おいしいものを食べているときには、たいてい休戦する。食事はとても大切なのである。
弾き語りの男性に、早速リクエストをする夫。わたしからは、懐かしの"Right Here Waiting For You"(リチャード・マークス)を。夫と出会う遥か前に好きだったラヴソングだが、気にすまい。
料理は4コースメニュー。ドリンクは、スパークリングワインにはじまり、白、赤、白と、選んだ料理に合わせて4杯が提供される。もっとも、グラスになみなみ注がれているわけではないので、わたしたちには、「ちょっと飲み過ぎたかな?」程度の、いい塩梅だ。
貝柱のグリル、マッシュルームとくるみのスープ、鴨のミルフィーユ風、ロブスターのグリル……と、いずれも美味なる料理であった。
外のバーでは、驚くほどに大勢の若者が集っていて、「ドレスコードはミニなのか?」というくらい、超ミニスカートを履く女性だらけで、もう、本当に驚く。
「あんな服、みんなどこで買うの?」と、目を丸くして夫。
今のインド、欧米のファッションと、なんら変わりはないのです。
It was July 2001 that I visited India for the first time. I was in New Delhi, my husband’s home town, for our wedding. “What an old-fashioned airport!”. It was my first impression of India just after landing. An old and small building, dusky illumination, poor quality immigration form, and staff who seemed to be languid… At that moment, I realized why my husband suggested to me to go to the bathroom before the aircraft landed. The restroom of the airport seemed to be an old type too.
I went to New Delhi on a business trip last month. 13 years from that day, the airport has completely changed. There is nothing left of how it used to look. Not only the airport, but also the cityscape has been changing dramatically. I visit New Delhi once in at least a year, and I notice new shopping malls or luxury hotels are built each time. On the other hand, the local market and mall from old times are still thriving and visiting such places makes me relieved.
In this trip, my client stayed at a hotel which was located next to the “City Walk Shopping Centre” and we had a chance to have lunch and dinner at the mall. Most of restaurants and cafés have recently opened. Starbucks café was there and full of customers. I saw an Irish Bar which has elegant interior decoration and was not serving “domestic” kingfisher beer. The authentic Italian pizzeria, Amici Café, was serving fragrant pizza which was baked in a brick oven.
One of the most impressive restaurants was “Johnny Rockets”. Johnny Rockets is the Los Angeles based hamburger restaurant franchise, and is famous for a beef burger and a milk shake. The brand new restaurant was located in the centre of the shopping mall. The open air dining was overtly showing the interior to people coming and going. I thought they would be selling only chicken, lamb, and vegetable burgers, but in fact, at the top of the menu was tenderloin (beef) burger. It was quite surprising!
One day, we went to the “B-Bar”, which is an oriental cuisine restaurant and bar. When I saw the drink menu, my eyes were glued to a page which was listing Japanese alcoholic beverages. One bottle of Shochu (barely liquor) was over Rs. 10,000 and plum wine was about Rs. 30,000! Compared to the original price, these were over 10 times the value in Japan. I also found a bottle of French wine which was priced over 1 lakhs rupees. It was more laughable than surprising.
Year after year, it is getting difficult to express the change of lifestyle in India to the people of other nationality. Especially in Japan, the media rarely talk about India. The information is limited and the people’s knowledge of India is very poor. In India, nobody eats beef. In India, most of males wear turban. In India, everybody want to take a bath at the Ganges…When I introduce India to Japanese people, the introduction part always get longer, because some explanation is necessary before getting to the main point. Now I am afraid that the introduction parts will be longer and longer.