9月15日土曜日、ミューズ・クリエイションのチーム・エキスパッツによる第2回ビジネス勉強会を実施した。
今回、講演をしてくださったバンガロールの製薬会社、メドライク (Medreich)社の副社長、重光真氏のお話をお聞きしながらまとめた議事録を、翌日曜日に整理し、重光氏にご送付。内容の確認をお願いし、ネット上での公開を承諾していただいた。
故に、当日の貴重なお話をかなり忠実に、多くの方々とシェアすることが可能となった。ありがたい限りだ。
前置きを含め、かなり厖大な記録となったが、インドでのビジネスに携わる人にとっては、極めて参考になるお話、エピソードが満載だ。どうぞ、じっくりと目を通していただければと思う。
★第2回ビジネス勉強会のご案内★(イヴェント告知記事より転載)
9月15日(土)に開催される、ミューズ・クリエイション「チーム・エキスパッツ」企画のビジネス勉強会のご案内です。昨年に続き、2度目の今回は、バンガロールの製薬会社、メドライク (Medreich)社の副社長、重光真氏をお招きします。
Meiji Seikaファルマは、3年前にインドのメドライク社を買収し、バンガロールに新工場を設立、ジェネリック医薬品の製造や販売を軌道に乗せています。
なかなか順風満帆にはいかないインドにおけるビジネス。
多様性に満ちた広大なこの土地では、都市によっても社会慣習や文化など、ライフスタイルや考え方が異なり、それらもまた障壁を高くしている一因です
日本と比べると、著しく異なる環境の中、大小のハードルを乗り越え、荒波を交わしながら「インドで作り、日本で売る」ために尽力されている具体的なエピソードなども含め、お話をいただく予定です。
なお昨年は、横河電機インディアの当時社長、村田努氏のお話を伺いました。10年以上に亘るインド駐在を通しての、さまざまな経験談を惜しみなくシェアしていただき、非常に有意義で勉強になるひとときでした。
たとえ業種は異なれど、異文化に生まれ育った人たちと力を合わせてビジネスを進めるに際しては、学ぶところが極めて多いと考えます。
Meiji Seikaファルマがメドライク社を買収して直後、4人の日本人駐在員が赴任された。その4人は、わたしがビジネスとして行っているところのミューズ・リンクスのセミナーを受講してくださり、またミューズ・クリエイションの慈善団体訪問にも参加されるなど、個人的にも交流があった。
ミューズ・クリエイションのチーム・エキスパッツの前身であるところの「男組」の初代メンバーは、彼ら4名を含む数名であった。彼らがチーム・エキスパッツ結成の端緒だったともいえる。
以下、重光氏のお話をご覧いただければ想像に難くないと思うが、4名の駐在員各位はバンガロール赴任中、多忙を極めていらっしゃり、お会いする機会は少なかった。それから1年あまりたち、重光氏が副社長として赴任された。
重光氏もまた、ご多忙である中、昨年のチーム・エキスパッツ企画第1回ビジネス勉強会や、坂田主催のセミナーに参加してくださるなど、折に触れての交流があった。
今回の勉強会をお願いしたのは、7月の出来事にさかのぼる。ある日、重光氏から、メッセージが届いた。
週末、会社の記念日で大勢の社員やその家族(数千人)が集まるセレモニーがあり、そこで何名かの女性社員が日本の浴衣を着てダンスを披露することになっているという。
浴衣は駐在員のご家族の手配で集められていたものの、一名だけサイズが合わず、XLの浴衣が必要だ、ひいてはどこかで浴衣を借りられないか、というご相談だった。
XLサイズの浴衣。そんなレアな商品がこのバンガロールで入手できる場所は……まさに我が家だ!
「わたしの高校時代(つい最近)の浴衣、お貸ししましょうか?」
とメッセージをお送りしたところ、重光氏自ら、その日の夜、引き取りにいらしたのだった。
ビールをお出しし、キュウリのぬか漬けをつまみに、お仕事のお話をお伺いする。
そのときのお話に感銘を受け、これはもうぜひとも、多くの人たちにシェアしたいと思い、「近々、勉強会を実施するのでお願いしたい」との旨を伝えたのだった。
社内イヴェントの、出し物のコスチュームのために、数千人規模の会社のトップが自ら、さりげなく、しかし確実に動かれることにも驚いたし、そのイヴェントの規模、そして買収した会社の伝統的な行事を、従来通り踏襲し、盛り上げようとされている様子にも、感じ入った。
◎本題に入る前に、ざっと読んでおいていただきたいインドビジネスの背景
1947年に印パ分離独立した直後、ネルー初代首相をはじめとするこの国の首脳は、インドの産業の基軸を構築すべく、その一つをエンジニアリングに据えた。米国のMIT(マサチューセッツ工科大学)に倣い、IIT(インド工科大学)を国内に複数開設し、人材の教育を図った。しかし、独立以降、久しく続いた社会主義的経済のもとでは、優秀な人材の雇用機会がなく、若者の欧米志向と相まって、「頭脳流出 Brain Drain」傾向が顕著だった。
インドの優秀な人材は、欧米先進国の経済成長に貢献。さまざまな業界で、インドの人々の尽力は大きな影響を与えてきた。インドの頭脳流出の趨勢を変えたのは、1991年のインド経済の自由化だ。ペレストロイカのあおりなどで、不況に陥ったインドは、経済政策を抜本的に見直さねばならない時期にあった。以降、海外資本が徐々にインドへ進出し始める。
海外就労していたインドの優秀な人材が母国へ戻り始める「頭脳循環 Brain Circulation」の傾向が見られはじめたのは、2000年以降だ。Y2K問題を契機としたインドIT企業への注目、米国のITバブルの崩壊、911(世界同時多発テロ)などもその背景にある。
その当時から進出していた日本企業も少なくなかったが、しかし数として顕著に増え始めたのは、2005年以降であろう。日本のメディアでもインド経済の急伸が伝えられ、東南アジアの向こう、インドへの進出はひとつのトレンドのような意味合いを持ち合わせ始めていたように思う。
しかし、インド進出に際しては、その一筋縄ではいかない難関の多さに、多くの企業が困難に直面してきた。
2008年、リーマンショックの直前にインドの製薬会社ランバクシーを買収した第一三共。しかしその直後からランバクシーの不正事案が次々と発覚。大問題に発展した。
2009年にタタの携帯電話サーヴィス部門と合併会社「タタ・ドコモ」を設立したNTTドコモ共々、2014年にインド撤退を発表している。NTTに至っては、撤退交渉に手間取り、完全に提携解消が決着したのは去年2017年のことだ。
↑セミナーにコーヒーブレイクは重要。坂田、またしてもショートブレッドを焼く。
◎NTTドコモ、第一三共が撤退する中、インドに打って出たMeiji Seikaファルマ
インドにおける日本の大手企業の失敗に、インド進出を踏みとどまる企業も増えるかのように見えたその時期。2014年6月、Meiji Seikaファルマ(株)は、インドの医薬品製造メーカー、メドライク社の買収を発表した。
メドライクはバンガロールに拠点を持ち、国内外の製薬大手から医薬品の受託製造を手掛けている。2005年から後発薬(ジェネリック)にも参入し、インド国内に加えて欧州やアジアやアフリカなどの新興国で販売してきた。
2015年3月に買収手続きが完了した直後、4名の日本人駐在員がバンガロールに赴任、新工場の設立などに尽力されていた。現在では、日本へ輸出すべく医薬品の製造も開始している。
※以下が本題だ。パワーポイントの資料及び議事録、ともに重光氏の了承を得て掲載している。
・1985年に入社。1989年本社異動直後、初の海外出張がインドだった。出張の直前に社長に呼ばれて「インドで通訳をせよ」と命じられる。当時の自分は英語ができたわけではなかったが、その場に居あわせたインド人の英語が少しわかったことが、その理由だったのだと思う。
・社会主義政策下のインドは、今とは様相が全く異なった。車が通れないほど多くの人々が道路を往来し、また道に連なって横たわっている。喧騒と雑踏に衝撃を受けた。
・当時は、海外出張の際、日本への連絡はテレックスを使用していた。ファクシミリ以前の連絡手段で、タイプライターが電話回線に直結し通信する。また、当時「台頭したばかり」の重量感ある携帯電話も持参していた。インドでは、テレックスはほとんど通じなかったが、携帯電話はそれよりは高頻度で通じた。
・出張中、国内線のエアインディアがストライキを起こし、仕方なく鉄道駅へ行くも、今度はテロが起こって列車が爆破され、乗れないなどのトラブルに巻き込まれた。
・工場へ視察へ訪れた際、日本との作業工程の違いに驚いた。たとえば、試験管やビーカーを使って実験をするという作業。それらを洗うだけのために、複数のスタッフがいた。蛇口をひねる、洗う、ふく、きれいかどうかチェックする、という作業を分業で行う奇妙な光景を目の当たりにした。多くの人々に雇用機会を与えていたのか、とも察せられるが、ともかくは人の多さが奇異だった。
・出張先の主な都市は、ハイデラバード、ムンバイ、チャンディガールなど化学工場があるところ。お酒が飲めない州もある中、ホテルの地下を延々と下りて行き、厳重なドアを開け、金庫に収められたウイスキーを出してもらったこともある。
◎初の「海外赴任」もインド
・入社5年目の海外初出張でインドを訪れて以来、数多くの国へ出張してきた。インドへも、何度も出張ベースで訪れていた。2014年、海外生産部へ異動し、メドライクの事業に本格的に携わる。
・Meiji Seikaファルマは、2014年6月に、メドライクを買収し、2015年2月に、買収手続きを完了した。
・2015年2月に買収手続きが完了して、駐在員4名がバンガロールへ単身赴任。買収直後のメドライクの「基盤」を整え、「工場設立」に携わる。彼らとは、PMI当時から一緒に取り組んできた。
・2016年、メドライクの副社長としてバンガロールに単身赴任。入社30余年にして、初めての海外赴任。過去の海外出張経験は豊富であるものの、周囲は、他国駐在経験者が多い中、自分自身にとってもかなりのチャレンジだった。
・自身は、生産技術、製造、品質保証関連が専門。FDAの通訳や、CEマーク取得などに携わってきた。また、日米欧医薬品国際調和会議において、海外の同業界の人たちと交流を図ってきた経験が、インドでのビジネスに役立っている。
・胃腸が丈夫だったので、どんな国でどんなものを食べても大丈夫だったが、インド赴任後、人生で初めて食あたりを経験したので、自分で料理を作るようになった。
◎インド人に対する、個人的な印象
・日本における「人付き合い」とは、会社同士、組織同士が重視される傾向。しかしインドでは、ポジションを問わず、個人でのネットワークが重視される。一度会って会話をすると、相手を覚えている。出会った経緯や、そのときのエピソードまでもきちんと覚えている人も多く、人間同士の繋がりを大切にしている印象。
・一方で、言葉は悪いが、情報がだだ漏れ。「ここだけの話」は通用しない。悪気があるわけではなく、「稀有な情報を持っている」ということのアピールか。ゆえに、絶対に外部へは漏らせない重要な話は、誰にもしない。
・日本では、インド人は嘘つく、嘘をつかない、といった話が取り沙汰されるが、「嘘」の意味合いが違う。会話の流れのなかで、仕事の功績などを語る際、10%を90%くらいに「盛る」。その際の、パーセンテージは極めて主観的な問題で、完全に嘘をつこうと思っているわけではないと身受けられる。自分自身は、「そのくらいの心意気でやっている」という思い。インドの人が99.99%と言ったら、そのときは70%と受け取る。99%は50%……という具合に。数字を額面通りには受け取らない。「特別なこと」に対する意識、感覚が、日本人とは異なる。
・Meijiは、基本的には日本の伝統的なスタイルを重視する古い体質。従来から、グローバルビジネスを掲げていたとはいえ、メドライク買収に関しては、思い切った選択だった。第一三共のランバクシー買収と売却という時期と重なっていたこともあり、周囲からも「なぜインドか」と問われることも多々あった。
・Meiji Seika ファルマ(株)という社名。英語とカタカナ、日本語混じりで、何かと表記しづらいが、命名した人は、敢えて「この名前のような会社」にしたかったのではないかと察する。日本の伝統を守りつつ、グローバルに打って出たいという思い。
・メドライクは1976年、バンガロールに創業。事業内容はB to Bの、マルチナショナルな製薬企業。最初の20年は国内市場のみだったが、以降はグローバルに展開を開始。
・メドライクLTD.は現在、バンガロールに6つ、ハイデラバードに1つ工場を持つ。インドを生産拠点として、医薬品製剤の受託製造(CMO)・受託開発製造(CDMO)およびジェネリック医薬品の開発・製造・販売を行ってきた。欧州、アジア、アフリカなど世界各国に向けて、グローバルに展開している。
・たとえばメドライクは、ファイザーなど、知名度の高いMulti Nationalの製薬会社の多くの薬剤を製造している。インドの病院で使われている薬のトップ10は、社名こそ大手製薬会社が冠されているものの、実際はメドライク製が約半数を占める。
・Meiji Seika ファルマが、約20年に亘ってインドとのビジネスを行ってきた経験から、ジェネリック薬品を製造している会社の中からメドライクに白羽の矢を立てた。
・Meiji Seikaに足りなくて、メドライクが優れていることの理解に努めた。買収の経緯も踏まえ、赴任前後の3年ほどに亘って、インドに関する勉強をした。
・第一三共の件もあり、買収には不安はあったが、メドライクしかないという確信があった。同社の海外ネットワークは大いに活用できる。「うまくいくまで帰れない」と、腹を決めて来ている。
◎インドにおける特許制度と製薬業界が盛んな理由
・インドに特許制度ができたのはつい最近のこと。特許の存在が「国民のために益を及ぼさない」という背景があった。国としては、特許制度は、むしろない方がインドのためだという考え方。
・受託生産と知的財産無視の安価生産技術。ドクターは多いが実験は得意ではない。基本的に「裁判で負けなければ正しい」という考え方。
・インドで製薬産業が盛んな理由は、従来3つあった。
1. 人口が多く、同時に優秀な人材が多い。
2. GE品新製品のの開発や廉価な製造を実現できる技術や歴史がある。
3. 特許制度がなかった。
本来、新薬開発に10年以上かかるので、特許を取得して開発期間中や販売開始後の他社の製造が特許期間中にできない仕組みが先進国にはある。
インドの場合は、特許プロセスがないので、製造プロセスが比較的単純な化学医薬品の場合は特に、新薬が特許申請された直後から情報をコピーして、インドにて同じ物質を製造することができる。
特許が切れた薬の製造(ジェネリック)にしても然り。既に長い期間に製造ノウハウと実績を貯めているので、競争力がある。欧米の製薬会社も、その傾向を遺憾に思うと同時に、理解し、活用してもいる。
◎インドにおける医薬品の根源は「国民が病気に苦しまない」ということ
・製品の効能に関係のない、たとえば錠剤の表面の肉眼では見えないような小さな黒い点(汚れ)などをして、品質が悪いとする日本。
・一方、品質管理が徹底していない、たとえば90%のコンディションでも、多くの人を救える方がいい。ゆえにインドでは、物作りの規制を意図的に緩くしている点がある。
・GCP (Good Clinical Practice:治験を実施する際に守るべきルール) は、日本は世界で一番厳しい。一方、インドは早く安く薬を出して、人を助けることが最優先。
・治験に関して、製薬会社は先進国で実施する前に、インドでPilot Study(予備実験)を行う場合がある。いわば人体実験であるが、もしも治る可能性があるのならば、「治験をやって欲しい」「実験台になってもいい」という患者がいるのは、歴然たる事実。お金が入るのであれば尚のこと。それを法で規制すると、救われない人が大勢出てくる。
・海外出張では中国へ最も頻繁に訪れていた。インドと中国の違いは、インドの場合、キーパーソンがわかりやすいということ。一番声が大きく、主張する。中国では、最初にキーパーソンは出てこない。最後に出て来たトップが、鶴の一声でどんでん返し、というケースが多い。インドの方が、トップダウンが明確ゆえ、グローバルにはインドの方が受け入れられやすいとも考えられる。自己主張は強く、損得勘定もわかりやすい。
・たとえ10年後の話でも、相手の利益を考えながら話を進めることが大切。インドに関しては、ネガティブな面もあるが、個人的にはインドが好き。細かいことには拘らない。しかし大切なことはスピーディにシンプルに決める。個人のネットワークで仕事が広がり、ある意味フレキシブル。日本人にとってはやりにくい点があるかもしれないが、世界の変化が激しく、将来の予測が困難な中、インドのフレキシビリティ、ビジネス力は参考になる。
・インドでのビジネスに際し、優れていると思われるのはスピード。柔軟性。コスト安。グローバル。
・一方の課題は、インフラストラクチャーの問題。日本の常識が通じない。インドと日本は、極端に異なる常識。良し悪しはつけられない点も多い。日本にも問題がある。多くの国を見て来たからこそわかる。マネジメントの仕方も違う。ビジネススクールで教える内容が違う。
・インドにおいては、議事録ほど無駄なことはないとされる。稟議、あり得ない。
・決定権のある人間が明確。その人が責任を取ればいいというのがインド式。日印共同で仕事をする際、その点をわかっていないと混乱する。残念ながら、親会社からその点を十分に理解をされているかといえば、否である。駐在員の中で言われる「OKY:おめえが、ここにきて、やってみろ」を痛感している人も少なくないだろう。
・インドに対する理解。メドライクに対する課題。Meijiがグローバル化する上での課題。たとえ異業種であれ、多かれ少なかれ、日本企業は、グローバル化を図る上で、同じような問題を抱えているはず。グローバル化へのプロセス。
◎買収したからと、Meiji流を押し付けず、メドライクのやり方を活かす
・2014年7月の基本合意から半年後の正式契約後に、技術者2名、ファイナンシャル担当2名が駐在。日本向けに商品を作るための新工場を立ち上げ、社員の教育を行った。
・日本へ行ったことのない人たちに、日本の品質、物作りを伝える仕事。約1年の準備期間は艱難辛苦と試行錯誤の連続。
・一番は、お互いに信頼できる関係をつくったこと。技術的なことよりも「彼がやるんだからやろうよ」という信頼関係の構築。ガヴァナンスとリスペクト。その両方をつかむ努力。
・100%株買収を実施したからには、買収元の経営陣がドンと乗り込むというのが普通の流れ。ゆえに、メドライク従業員らは、不安だったはず。しかし、そうはしなかった。基本的にこれまで彼らがやってきたことを尊重した。
・そもそものオーナー、および辞職を望んだ人たち以外は、新生メドライクに残った。かつての経営の仕方をそのまま引き継ぐ形をとり、4人の駐在員が基盤を整えたあと、経営陣(副社長)として自分が赴任した。
・自分自身は、当初、インド人経営陣の中で孤立無援の状態だった。面倒なことは伝えず、いい話しか伝えないということもあった。しかし敢えてそこは肯定した。ただし、困った事態が発生したら、すぐに現場に飛んで行き、対応するよう努めた。上から押さえつけるようなことはせず、「生温い」と言われても、リスペクトを優先した。
・従来の方針を尊重してもらえてありがたいと言われる一方、Meijiがなにをしたいかわからないとい声も聞こえる。しかし、相手に敬意を払うことは大切。
◎押し付けないが、しかし確実に、日本流のビジネスを、伝える
・「日本人はこう考える」ということを伝えるのはとても難しいが、会社の方針、ミッション、ヴィジョンなどを、アクションガイドラインに沿って、説明してきた。日本の企業は、お客様の声を聞くことを優先する。しかしインド企業は、お客様ではなく、自分たちの利益獲得が優先。その辺りも、意識のすり合わせが大切。
・「品質管理」というテーマで、日本のスタンダードを理解してもらうのは、一筋縄ではいかない。日本における品質管理の定義は、医薬品に限らず世界市場では特殊。100個あったら、寸分たがわず100個同じものを作ることが望まれる。「コスメティック・クオリティ」と呼ばれるそれは、日本人だけが拘る。では、明治時代、あるいは終戦直後の日本は、果たしこうだったか。
・高度経済成長の時代、「ちょっとでも違う物はなおそう」とし、「小さな相違の撲滅と統一品質」を重視した。小さな相違は「異なることや将来の不良への予兆」と判断。ゆえに、厳密さが重視された。その重要性をインドの人たちに理解してもらい、実践に導くのは難しい。そもそも、その「完全なる同一品質」を意識して、周辺が設計されていない。
・多くの日本の企業が採用している。PDCA(Plan Do Check Action)を、メドライクでも採用しており、「継続的改善」を試みている。経営者に自ら「継続的改善」のリーダーシップを求め、リソース配分の責任を明確化している。
・日印の強みをバランスよく生かす。たとえばインドは、インフラが弱い。しかし設備投資額は安い。安くて信頼できる設備を構築することは困難だが努力すれば可能。
・ユニット7と呼ばれる日本向けの工場を建設する際、費用を安くするために、建築物設計を自分たちでやった。機械設備も、全てを日本製にすると予算が莫大なものとなるので、「譲れない特殊な装置」のみ日本製、あとは日本製より廉価な欧州製を揃えた。言葉とメンテナンスの問題を考えると、欧州の方が実践的。
・社内における安全管理のシステムが、日本とは大いに異なる。従業員を大切にするという考え方の相違。社員の作業や工場設備の安全性を追求することが、商品の品質管理の向上とも結びつく。メンタリティの問題について根気よく説明する必要がある。
・日本は信頼ベース。納期の遅れは将来の売り上げに直結するということを叩き込む。1日の遅れでさえ重要である。インドではそれでもいい。否定はしないが、日本では信頼を失うということを伝える。
・自らやってみせること、の重要性。「こうしろ」と指示するよりも、自分でやる。ゴミを捨てる。お弁当の器を洗うなど。すると周囲は驚きつつも、「これが日本流なのか」と開眼し、意識変化の契機となる。
・日本におけるパッケージングの徹底はまた、世界でも稀有。なぜ包装が大切なのか、説明するときに日本の商品を見せ、構造を観察させつつ、具体的に相違を説明する。日本は「包装さえが本質」だという価値観の伝授。
・インドの製薬企業が日本で成功しにくいのは、日本市場の特殊性に対応しにくいから。ゆえにその点を根気よく伝えて理解を促すことが大切。
・インドでは、包装の機械、資材などの準備が完全に整うまで数年かかるため、それまでは薬剤をバルクで日本に輸送し、包装する。
◎Meiji Seika ファルマ、メドライクの将来の展望
・かつてジェネリック医薬品は、軽視される傾向にあった。しかし日本の高齢化、個人、企業の高齢化などに伴い、廉価な医薬品を普及させることの必要性を認識し、15年ほど前から取り組んできた。
・日本の市場が受け入れ、世界の市場に通用するものをインドで安定供給することがテーマ。
・日本の市場で成功すれば、さらに別のマーケット(米国等)にも挑戦したい。
◎インドに来て学んだこと
・挑戦のバリアが違う。
・ターゲットをいかに分析するか。日本人は計画に沿いすぎる。
・インドのモノ作りの職人技。スキルの高度さ。技の継承など日印共通。
・経営判断の速度がはやく、読みが鋭い。モチベーションの重要性。
・メールのルールが大切。Ccの順番、Regardsの書き方なども意外に重視する。
・ノープロブレムを前向きに捉えたい。
・ノーと言わない。可能性が少しでもあればやりたいということ。
・議事録、ある意味いらないかな、と思うようになった。
・モチヴェーション、親身になる、思いやりの心。
・計算は早いが。日本的な解析は不得意か。
日本の方が、古い考えから抜けられない、この国に、答えがたくさんあるような気がする。シナジー。異なることは面白いという考え方でいたい。
グローバル化とは、まずは売上や利益の海外比率を上げること。そのための努力として、技術・組織・拠点等の基盤を構築し、製品を展開し、最終的にはグローバルに調達・生産・販売や開発等を進めていくことと理解している。インドでの挑戦はその流れに沿ったものであり、ある意味大きな新しい一歩を踏み出していると考えている。
(以上、重光真氏の講演より)
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【メドライク初代駐在員4名がミューズの活動に参加されたときの記録】
●「食」セミナー、調理実習、親睦会。ミューズ「男組」結成。(2015年7月)
●ミューズ・クリエイション「男組」も加わり子供と遊ぶ!(2015年7月)
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【参考資料】
◎明治HD系、インド中堅後発薬を買収
●日本経済新聞(2014年6月11日)
明治ホールディングスは11日、傘下の製薬会社Meiji Seika ファルマがインドの中堅後発医薬品メーカー、メドライクを買収すると発表した。メドライクの発行済み株式すべてを近く2億9千万ドル(約295億円)で取得する。メドライクが持つアジア・アフリカ地区の販売網を生かし、後発薬の海外販売を拡大する。
メドライクはインドのバンガロールに拠点を持ち、世界の製薬大手から医薬品の受託製造を手掛けている。2005年から後発薬にも参入し、インド国内に加えて欧州やアジアやアフリカなどの新興国で販売している。13年3月期の連結売上高は1億5700万ドル(約160億円)。
Meiji Seika ファルマは主に国内で後発薬を販売している。今回の買収でアフリカでの販路や、低コスト生産拠点を確保する。自社の医薬品をメドライクの販路に乗せ、世界で販売することも視野に入れている。明治ホールディングスは長期経営計画の中で、アジア・新興国向けの医薬品販売を拡大する方針を打ち出していた。
◎印後発薬メーカーのメドライク、買収を完了 明治ホールディングス
●日刊インド経済(2015年2月19日)
明治ホールディングス(本社:東京都中央区)は13日、事業子会社のMeiji Seikaファルマとグループ会社が12日、印後発薬(ジェネリック医薬品)メーカーであるメドライクの全発行株式を取得するために必要な手続きを全て完了したと発表した。
◎インド法人Medreich Limitedの株式取得資金の融資について。海外展開支援融資ファシリティの一環として、日本企業の海外M&Aを支援
●株式会社国際協力銀行 プレスリリース(2015年3月3日)
株式会社国際協力銀行(JBIC、総裁:渡辺博史)は、本日、「海外展開支援融資ファシリティ」*1の一環として、株式会社みずほ銀行、株式会社三菱東京UFJ銀行、株式会社りそな銀行、三井住友信託銀行株式会社、三菱UFJ信託銀行株式会社及び株式会社三井住友銀行の各民間金融機関との間で、Meiji Seika ファルマ株式会社(以下「Meiji Seika ファルマ」)によるインド法人Medreich Limited(以下「メドライク」)の株式取得に必要な資金の一部に係る貸付契約を締結しました。
本件は、JBICが各民間金融機関との間でそれぞれ締結済のM&Aクレジットライン設定のための一般協定に基づき、各民間金融機関を通じて融資を行うものです。(買収総額約287百万米ドルに対し、JBIC融資承諾額計約172百万米ドル限度)。
メドライクは、インドを生産拠点として、医薬品製剤の受託製造(CMO)*2・受託開発製造(CDMO)*3及びジェネリック医薬品の製造・販売事業を、欧州、アジア、アフリカなどに向けて展開する企業です。本買収により、Meiji Seikaファルマは、医薬品の低コスト生産・生産数量拡大のためのインフラを獲得するとともに、低価格薬剤の需要増加が見込まれるインドやアジア・アフリカ諸国におけるジェネリック医薬品の販売網を獲得することで、ジェネリック医薬品事業とアジア・新興国を中心とした海外事業を拡大し、医薬品事業の持続的成長を企図しております。
本融資は、日本企業による海外でのM&Aに必要な長期外貨資金を本邦金融機関と連携して機動的に供給することで、日本企業の海外における事業拡大や新たな事業展開を支援し、日本の産業の国際競争力の維持及び向上に貢献するものです。JBICは今後も、日本の公的金融機関として、民間金融機関と連携しつつ、日本企業による海外M&Aへの支援を行っていきます。
◎Meiji Seika ファルマ GE子会社「Me ファルマ」新設 低薬価品の長期安定供給図る 製造はインド、MRは使わず
●ミクスOnline(2017/05/10)
Meiji Seika ファルマは5月9日、後発医薬品(GE)を製造販売する完全子会社「Me ファルマ」(東京都中央区)を設立し、営業を開始したと発表した。GEが、薬価の毎年改定で薬価が急速に下落すると予想される一方で、高齢化や地域包括ケアで増える需要に応えるため、グローバル生産体制を持つインドの生産子会社メドライクでの原薬調達・製造と、MRを使わない営業体制で、ローコストオペレーションを徹底し、数度の薬価改定を経て低薬価となったGEでも長期にわたる安定供給を可能にするビジネスの実現を図る。今後、需要増が見込まれる生活習慣病のGEを中心に扱う。
薬価の毎年改定により、GEの安定供給にはローコストオペレーションが必須になる。その中で、コスト効率の高い原薬調達と製剤製造を行えるメドライク社が、日本向けの品質に合わせた商業生産体制を整えたことから、新会社をスタートさせた。社員はMeiji Seika ファルマから出向した約20人。高いコスト競争力と高品質を兼ね備えたGEメーカーを目指す。
このビジネスモデルを検討してきた吉田優氏がMe ファルマ社長に就き、9日に行った記者会見で、薬価の毎年改定が導入されることでGE事業環境が共存から生き残り競争へと「大きく潮目が変わる」と指摘。「(毎年改定により)単価が下がることでお届けすべき患者さんに(必要な薬剤を)お届けできなくなるのではないかというのが発想の原点」と述べ、「ジェネリック医薬品を安定してお届けし続けるためにMe ファルマをつくった。(製剤バルク製造を担う)メドライクのグローバルな生産体制と、(検査・包装を担う)小田原工場に代表される品質管理体制を融合することで、日本品質のジェネリック医薬品をお届けしたい。これができるのは我々くらいしかないという自負を持って行う」と抱負を語った。
Meiji Seika ファルマの小林大吉郎社長は会見で、「基礎的な医薬品を安価でも提供し続ける、その任の一端を担うため、今回のビジネスモデルを提案した。その安定供給の需要に応えたい」と話した。
Meファルマでは、Meiji Seika ファルマが扱う中枢神経や呼吸器、感染症領域以外の、生活習慣病、消化器病などの領域のGEを扱う。具体的な売上目標など事業計画は明かしていないが、10月からMeiji Seika ファルマや他社から承継した7品目を順次販売し、まずは新会社や製品の知名度の浸透に取り組む。
18年度以降、Meiji Seika ファルマや他社からGEを承継することを中心に製品の拡充などを進め、事業拡大を図る。既に採用されている他社のGEを切り替えていくことが基本になるため、医療施設の製品見直しや卸の推奨品の見直しなどの機会を捉えて攻勢をかける。新たな地域医療提供体制の動向を見極めて、市場開拓を進める。
営業体制では、チェーン薬局や地域医療連携推進法人などグループ病院の担当者を配置し、提案活動を行う。MRは配置せず、コールセンターやホームページ、IT活用による情報提供を進めるほか、医薬品卸との共同販売体制を検討する。副作用等安全性情報の収集・管理は、Meiji Seika ファルマによるバックアップなどで対応する。
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インドで、日本向け医薬品の生産体制を構築。
異文化と格闘しながら、プロジェクトを成功に導く。
2014年6月、Meiji Seika ファルマはインドの医薬品製造メーカー、メドライク社の買収を発表した。このM&Aにより、Meiji Seika ファルマはグローバルで大きく成長を果たすための強力な基盤を手に入れることになった。このプロジェクトを成功させるべく、インドで奮闘した4人のメンバーに迫る。
PHASE 01 インドの買収先企業に赴き、現地のスタッフと協業。衝撃と驚愕の連続。
Meiji Seika ファルマは、日本の製薬業界のなかでも早くからグローバル展開に力を入れてきた企業だ。
いまから半世紀以上前の1954年から抗生物質の輸出を開始し、以降1970年代から2000年代にかけて、インドネシア、タイ、中国、スペインに医薬品の生産・販売を担う現地法人を次々と設立。そして2010年代に入り、さらなる事業拡大を図るための重要戦略として実行されたのがメドライク社の買収だ。メドライク社はインドのバンガロールに本拠を置く医薬品製造メーカーであり、世界の製薬大手企業より医薬品の受託製造を請け負っているほか、自社で開発したジェネリック医薬品を、インド国内はもとより欧州やアジア、アフリカなどの新興国で販売している。
Meiji Seika ファルマは以前より、自社の得意領域である感染症と中枢神経系の新薬の開発に加えて、高品質なジェネリック医薬品を提供することにも注力しており、「スペシャリティ&ジェネリック・ファルマ」を目指すべきビジョンとして掲げている。そして今後の医療情勢の変化を踏まえ、安心・安全なジェネリック医薬品をより安価に、安定的に供給する生産体制の構築が必要とされていた。メドライク社を傘下に収めることで、Meiji Seika ファルマはジェネリック医薬品を低コストで大量に生産する能力を獲得し、ビジョンの実現に向けて一気に飛躍できる環境が整った。
そこでまず、インドから日本市場にジェネリック医薬品を供給すべく、現地で新たに建設される工場内に日本向け製品の生産体制を構築するプロジェクトがスタートした。
このプロジェクトに深く関わったメンバーの一人が吉松だ。品質管理・品質保証の専門家であり、現地で立ち上げる製剤工程に日本基準の品質をもたらすためにインドに赴任。当初、吉松はそこで文化の違いに衝撃を受けたという。
「工場で製造を担うメドライクのインド人スタッフたちと一緒にプロジェクトを進めていきましたが、現地での会議は各自が自由に意見を言い合うスタイルで、収拾がつかないこともしばしば。また、トップダウンの指示系統ができあがっており、現場から提案を上げるという文化がなかった。そこに日本のメーカーである我々の思想を持ち込むのは、並大抵のことではないと感じました。さらに、メドライクの品質管理担当のスタッフが実際に作業しているのを見ると、器具の使い方を十分習熟しておらず、きちんと精度が出る手技で試験が行われていなかった。こんなレベルなのかと驚愕しましたし、果たして日本向けの品質を持った医薬品を彼らと協業しながら製造できるのか、最初は不安しかありませんでしたね」。
PHASE 02 価値観の違い。言葉の違い。さまざまな障壁をどう乗り越えていくのか。
生産技術担当の樋口もまた、現地でインド特有の文化に頭を悩ませていた。樋口に託されたミッションは、日本で技術検討した製剤製造を移管すること。当時まだ入社4年目ながらこのプロジェクトに参加し、2ヵ月に一度のペースで現地に長期出張していた。
「私の所属部署は海外への生産技術移管を手がけており、私も入社3年目から海外の現地法人への出張を経験してきました。しかし、メドライクとのプロジェクトではこれまでと同様には仕事が進められなくて……トップダウンの風土が強く根づいていたために、工場の現場にはたくさんスタッフがいるのに『これは私の担当ではない』となかなかチームとして機能していない。彼らに粘り強く働きかけて、スケジュール通りに業務をこなしていくことには本当に苦労しました」。
エンジニアリング部門を担当する天野も、このプロジェクトで重要な役割を務めた一人だ。頻繁にインドに出張し、日本向け製品の生産設備を導入していくことに奮闘した。
「インド人は大らかというか、時間感覚が緩くて、進捗が遅れてもまったく気にしない。そんなスタッフたちを動かしながら、少しでもスケジュールを遅らせないように機械を導入するのはとても難儀でした。時には会話によるコミュニケーションがうまくいかず、大げさな身振り手振りを交え、必死に言いたいことを伝えていきました…
そんなやりとりを重ねるうち、彼らも『天野がそんなに熱心ならやるよ』と。また、今回はメドライクに納入実績のあるイギリスやドイツのメーカーから機械を調達することになり、それも私にとっては未知の経験。日本の設備なら当然備わっている仕様がついていないことも多く、そのたびに面倒な折衝が求められ、とても大変でした」。
こうして製造工程を立ち上げていく一方、メドライク社の研究所と協業して日本向けの新たなジェネリック医薬品を開発する取り組みもスタートした。そこに参加することになったのがキャリア入社の有坂だ。
「インドに出張してメドライクの研究者たちとの開発会議に参加することになったものの、最初はそこで何が議論されているのかまったく判らなかった。それまで独学で英語を勉強してそれなりに自信があったのですが、インド人の英語は訛りがあるので全然理解できなくて……しばらくは言葉の壁に苦しみ、何も存在感を示せない自分が情けなかったですね」。
PHASE 03 苦労の先に感動がある。大きく成長できる。こんな経験は日本では味わえない。
さまざまな問題に直面して大変な思いを味わったメンバーたち。しかし、重大なプロジェクトを担う使命感と責任感が彼らの原動力となり、文化の違いなどの障壁を乗り越えていった。吉松はこう振り返る。
「ただ指示を待っていたインド人スタッフたちと深く関わることで、次第に彼らのほうから提案が上がってくるようになりましたし、また、スキルが未熟だったスタッフたちに正しい品質管理技法を伝授すると、瞬く間に習熟。彼らが変わっていくのを目の当たりにした時は、私も大いにモチベーションが上がりましたね。こうして品質管理体制を築いてインド赴任から帰国する際、スタッフ一人一人から『教えていただいてありがとう』と感謝の言葉をいただき、その時は思わず胸が熱くなりました」。
エンジニアリング担当の天野も、インド人スタッフたちとの交流がいちばん心に残っていると言う。
「インド人は同僚と一緒に酒を飲むような習慣はないのですが、彼らと一緒に設備導入を完了させた時、メドライク側のリーダーが『記念にサケパーティーをやろう』と持ちかけてきて……その時は同じ思いを共有できたと感じて嬉しかったですね」。そして2017年夏に日本向けの新たな製造ラインが本格稼働し、日本向け製品の出荷がスタート。生産技術担当の樋口は言う。
「担当製品が日本に向けて初めて出荷された時は、本当に大きな達成感がありました。苦労の連続でしたが、日本ではまず味わえない経験を通して非常に成長できたと感じていますし、若いうちからこうしたチャンスを与えてくれた会社に感謝しています」。
メドライク社との共同開発に携わる有坂も、日々成長を感じているという。「当初はあまり貢献できませんでしたが、懸命に努力し、いまではメドライクの研究所長から直々に意見を求められる機会も増えてきました。苦手だったインドのカレーも平気で食べられるようになって、精神的にも肉体的にもタフになりました」。
天野もこのプロジェクトを通じて、異なる価値観を持つ人材を率いて事業を推進していくマネジメント力が大いに鍛えられたという。プロジェクトは現在も進行中であり、有坂と樋口はいまなお、日本とインドを往来している。インドは電力供給が不安定で、停電も頻繁に起きる。そんな状況下でも設備が稼働し続けられるよう、保守技術を日本並みに向上させていくことが今後の課題だ。
これからインドにおいて日本向け製品の生産をさらに拡大していく方針であり、日本国内ではそのメドライク製品の新たな販路として、2017年、Me ファルマ社を設立。患者さんのために、将来にわたって高品質かつ安価なジェネリックを安定的に供給するための体制が整った。さらにその先には自社の医薬品をメドライクの販路に乗せて、アジア・アフリカ地域をはじめ各国で販売することも視野に入れている。
Meiji Seika ファルマの医薬品は、国内だけでなく、世界の人びとの健康をこれからも支え続ける。60を超える国や地域に加え、新たな販路獲得に向け、さらなる挑戦は続く。Meiji Seika ファルマのグローバル戦略は、まさにこれからが本番だ。
◎吉松 紀彦:小田原品質保証室(1996年入社/応用生物工学専攻修了)
入社後、小田原工場の技術課で製剤技術を担当し、その後、品質管理と品質保証に従事。2014年から2017年にわたってメドライク社に2年半赴任し、現地での品質管理・品質保証体制の構築を指揮した。
ジェネリック製剤研究室
◎ 有坂 昌也(2015年入社/薬学部卒)
同業からの転職。前職では製剤研究に従事し、Meiji Seika ファルマ入社後も同様の業務を担当。現在、メドライク社との協業による日本向けジェネリック医薬品の開発プロジェクトに参画している。
◎樋口翔 :生産技術部 製剤技術室(2013年入社/薬学部卒)
入社3年目より、国内で検討・確立した製剤技術を海外拠点へ移管する業務を担当。2016年からはメドライク関連業務を担当するようになり、インドで新たに建設された工場への生産技術移管に力を注いでいる。
◎ 天野 勝仁:生産本部 エンジニアリンググループ(1996年入社/工学部卒)
入社後、小田原工場に3年、その後自社の技術を外販するエンジニアリング会社に5年在籍し、現在は本社の生産本部に所属。今回のプロジェクトではメドライクの新工場への生産設備の導入を担った。
※所属・内容は取材当時