あ〜もう、インドは、賢い貧乏とバカな金持ちでいっぱいだ!!
あ〜もう、インドは、賢い貧乏とバカな金持ちでいっぱいだ!!
もう、仕事なんかやめて、マハラジャみたいな暮らしがしたいな〜。っていうか、ハーレムみたいな暮らし。きれいな女性に囲まれてさ。まず、インド人が2人でしょ、それから東南アジアの、そうだなタイあたりから2人。日本人も2人ね。エレベータガールみたいな女の子。あと、白人も。スウェーデン人1人に、あと、イタリア人1人ってとこかな。
(よほど、なにか、辛いんでしょうか。夢見ることは、自由ですけれど……)
「明日、10時半に、ヴァスと一緒に朝食を持って伺います。メンテナンスには2時間ほどかかります。それでは、二人で楽しい週末の夜を過ごしてください」
夕べ、大家夫人のチャヤからメールが届いていた。南インドでは、約束の時間に遅れることは珍しいことではないということを、すでに学んではいたものの、彼女が時間通りに来るはずはないとわかってはいたものの、10時半には来客を迎える準備をしてしまう我。
時計は11時を過ぎ、「やっぱり、来ないよね」と夫に声をかけた瞬間に、玄関のベルが鳴った。40分の遅れだなんて、早いじゃん。と思いつつドアを開ければ、つぶらな瞳のキュートな少年が、紙袋を差し出して立っている。チャヤの次男らしい。彼女が遅れるので、朝食を届けてくれたのだとか。
紙袋をのぞくと、そこにはバラの花一輪と、ステンレス製のランチボックス。中にはマサラドサがたっぷりと入っている。
今日は急ぎの用事もないし、まあ、気長に待ちましょうと、朝食をすでにすませていたにも関わらず、1ついただく。本来なら、ドサは焼きたてで、ぱりぱりとしてるのがおいしいけれど、このしっとりタイプもまた、クレープみたいでおいしい。
夫の家族や親戚に比べると、大家夫人は「こてこて」かつ「べたべた」な付き合い方の女性。自分も仕事を持っていて忙しいはずなのに、わたしにあれこれと手助けをしてくれようとする。けれどわたしは、なるたけ「巻き込まれすぎない」よう、自分の意見を率直に述べるようつとめている。
とはいえ、あれこれと、店の情報を教えてくれたり、ちょっとした生活のアドヴァイスをしてくれたり、まだキッチンが整っていないだろうからと、こうして朝食などを届けてくれるのは(午後は遅めのランチを届けてくれた)、非常にありがたいことだ。
使用人の手は惜しみなく貸してくれるし、アパートメントの不具合はたとえ対応が遅れるとはいえ、善処しようという姿勢を見せてくれる。
親切なのは、彼女だけではない。お隣のご夫人も、だ。お隣は3人の子供がいるせいか、使用人がやたらにたくさんいて(5人はくだらないと思う)、人手過剰である。もちろんそれが理由だからではないけれど、「何か必要なものはない?」と、会うたびに声をかけてくれる。
昨日、夫の秘書となる女性が来訪した折、たまたま彼女と玄関先で遭遇した。彼女曰く、「コーヒーを用意して、持たせるから」と申し出てくれ(もう、我が家にもコーヒーメーカーはあるのだが、ミルクはない)、まるで喫茶店みたいにビスケットとコーヒーを届けてくれた。
しかもそれは、おしゃれなカップに入った「カフェラテ」で、シナモンまでまぶしてあった。粋である。
実に久しく、近所の人や他人との関わりが、限りなく希薄な世界で暮らして来た挙げ句、遠い日の日本にもあった、懐かしい感じの人との関わり方を、今になって体験している。ノスタルジア。
こういう経験ができることを、あれこれと牽制することばかり考えず、素直に、謙虚にありがたく、受け止めることのほうが、実は大切なことなのかもしれない。
今日もまた、長い一日だった。
突然だが、英語では、使用人をservant(サーヴァント)と呼ぶ。サーヴァントという言葉自体には、何ら抵抗はないのだが、日本語の「使用人」という言葉の響きが好きではないので、今後は「家政婦」という言葉を使おうと思う。でも、我が家の家政婦は女性ではないので、「家政夫」と呼ぶべきか。いや、「家政士」か。
便宜上、家政夫としよう。
さて、今日から家政夫モハンは我が家の一員として、暮らしをともにすることになった。彼の本職は料理人だが、家事一切を任せられるとのこと。家事を他人に任せることのない人生を送って来た身の上ではあるが、この際、やってもらえることはやってもらうつもりである。
そんなわけで、今日は家電の使い方などを簡単に教える以外は、彼の作業を見守ろうと思う。
朝食の準備にはじまり、ベッドメイキング、洗濯、掃除、その他もろもろ、休みなく働き、すべてにおいて、そつなくこなしてくれる。何もいわずとも、窓ふきなど細かな掃除も率先してやってくれる。非常にうれしい。
まだ掃除をしていない食品の収納棚や食器棚などは、熱い湯で拭くなどわたしがあらかじめ「行動にて」示すと、彼も理解してくれててきぱきと拭いてくれる。すべてが着々と、整ってゆく。
今夜はスジャータとラグヴァンが来ることになっていて、モハンの本格手料理を初めて食べる夜でもある。しかし、彼が必要とする調理器具が一切ないため、午後は二人で、先日出かけた、あの「埃パラダイス」なキッチン用品店、Jamalsへ行く。モハンの選ぶにまかせ、わたしはわたしで、店内を徘徊。
調理器具を一揃え購入したあとは、ニルギリでスパイスなどを少々調達し、帰宅。新しい調理器具の準備を整えるモハン。キッチンは、最早、わたしの世界ではなく、彼の世界である。彼はキッチンで食事もとるため、彼用の椅子も買っておいた。
夜、スジャータとラグヴァンがやってきた。初出勤だった夫も帰って来た。リヴィングルームでワインを飲みつつ、ナッツなどを食べつつ、すっかり「インド化」した我が家で団欒のひととき。すべての準備をモハンがしてくれるので、わたしは何もすることがない。その感覚が妙である。
やがてキッチンからいい匂いが立ちこめて来た。ダイニングテーブルには夕食の準備が整えられている。何もしなくて、自動的に食事がそろうことの不思議。
今夜は食材の都合上、ヴェジタリアンメニュー。肉や魚の調達先は、スジャータにお勧めの店を教えてもらった。来週にでも、一緒に買い物に出てくれるとのことなので、そのときに購入する予定である。
さて、上の写真が、今夜の夕餉の様子である。皆が食事を始めると同時に、モハンがチャパティを1枚ずつ焼き、各々の皿に背後から、焼きたてを1枚ずつ、まるで「わんこそば」のごとく追加していくのである。この間、「瞬間チャパティ製造機」をよほど買おうかと思ったが、やっぱり1枚ずつ伸ばして焼くのが料理人の作法である気がする。買わなくてよかった。
まだ、絵も花もない、がらんとした家だけれど(トイレのドア、誰か閉めて!)、少しずつ、家らしくなってきている。
自分の家なのに、自分の家でないような、やはり不思議な感覚。


義姉スジャータと、ヴァラダラジャン博士(ラグヴァン)。ヴァラダラジャン博士はIISの教授である。いかにも博士らしく、いつもいかしたヘアスタイルである。それはさておき、今夜のメニューはダル(豆の煮込み)、ジャガイモとピーマンの煮物、サグパニール(ほうれん草とカッテージチーズ)、そしてヨーグルトとキュウリのサラダ。どれもわたしの好きな「浅めの味」でヘルシーな味わい。とてもおいしい! 当面、彼のレパートリーを尊重してあれこれと料理をしてもらい、たまにわたしも自分で作ろうかと思う。でも、落ち着くまでは、まだいいや。
インド移住直後にして、このようなクリスマスパーティーに参加できたことは、とてもいい経験だったと切に思える、それは催しであった。
そもそもは先週、デリーに滞在中、アルヴィンド(夫)がインドのHDFCという金融会社(銀行/ 住宅開発銀行) に勤める遠縁の叔母に会ったのがきっかけだった。彼女はHDFCのナンバー2。現CEOであるディーパック・パレック氏とともに27年間勤めており、強い信頼関係にあるという。その彼女がアルヴィンドをパレック氏に紹介してくれたのだ。
彼女がアルヴィンドのために、24日にムンバイでパレック氏との打ち合わせを、そして翌25日にはクリスマスパーティーへの参席(夫婦同伴)を手配してくれたため、とても急ではあったが、わたしもムンバイに飛ぶことになった次第。
すでに24日、パレック氏ほか数名と打ち合わせをすませていた夫は、非常に気さくで寛容な様子のパレック氏に感銘を受けており、翌日のパーティーを楽しみにしていた。
さて、わたしがバンガロアを発つ直前になって、「明日のドレスコードはカジュアルだって。テーマはシトラスらしいから、イエローのシャツを持って来て」と、夫から電話が入った。
シトラス。柑橘系。アルヴィンドにはレモン色のシャツを持って行くとして、わたしはどうしたものか。状況によって判断しようと洋装(茶色)とサリー(赤&ゴールド)をスーツケースに詰め込んでいたが、茶色はシトラスから遠く、従って洋装は却下である。
米国からの荷物はまだ到着していない上、最低限の衣類しか持参していなかったわたしには、パーティーに着ていけそうな服と言えば黒か茶色の洋装、もしくはピンクと上記のサリーしかないのである。新しいサリーでも買いたいところだが、サリーはブラウスの縫製が必要だから、今すぐに、というわけにはいかない。
ゴールドはオレンジとレモンをかけあわせた色。赤はルビーレッドのグレープフルーツ。少々強引ではあるが、シトラスと言えなくもないだろう。持ち合わせのサリーでお茶を濁すことにした。
会場は、インド門に面したおなじみのホテル、Taj Mahal Palace。わたしのお気に入りの場所でもあるSea Loungeだという。開場は正午だと聞いていたので、30分ほど遅れて到着した。案の定、500名近くが集まるというそのパーティーの会場はまだがらんとしており、わたしたちは数番目のゲストだった。
レモン色のシャツにカーキ色のパンツをはいたパレック氏は、昨日会ったばかりのアルヴィンドを、まるでなじみの友人を迎えるような気軽さで迎えてくれた。
「君がミホだね(すでに名前を覚えてくれている)。サリーがよく似合うね! 自分で着たの? それはすばらしい! アルヴィンド、ドレスコードはカジュアルなんだよ。盛装し過ぎだよ」
念のためにと、ジャケットを着ていた夫は、ジャケットを脱ぎ、タイを外し、ホテルのスタッフに託す。


Taj Mahal Palaceで行われたパーティー。パレック氏曰く、毎年異なる場所で開催しており、Sea Loungeを使うのは今回が初めてだとのこと。毎年、屋外で開いていたが、昨年、このホテルのプールサイドでパーティーをしたおり、暑さのあまり失神した男性がいたとのことで、今年から屋内にしたのだとか。ちなみに去年のパーティー当日、ムンバイは摂氏36度にもなったという。今年は日本でいうところの「初夏」程度で、暑さは感じなかった。
まだゲストが少なかったこともあり、パレック氏の家族ときちんと挨拶をし、自己紹介をすることができたのはよかった。
パレック氏の息子、アディティヤは、アルヴィンドと同様、ボストンのMITを卒業したあとニューヨークの企業に勤務。現在はフィラデルフィアのWhartonのMBAに通っていて、卒業間際である。ニューヨークで出会った中国人女性、アレスと最近結婚したばかり。卒業後はインドに戻ってくる予定だとのこと。
妻が日本人か中国人かの違いを除いては、夫のバックグラウンドと共通点が多いこともあり、パレック氏はアルヴィンドに親しみを覚えているのかもしれない。
アディティヤとアレスもまた、フレンドリーなカップルだ。アレスとわたしは、このパーティー会場でただ二人の東アジア人だったこともあり、わたしは何度かゲストから、「あなたがアレスね!」と間違われたりもした。
海外で教育を受け、働いた経験のある若い世代に、パレック氏は期待しているのであろうか、パーティーが開場してしばらくの間、彼はアルヴィンドに「僕と一緒にいなさい。できるかぎりの人を紹介してあげるから」と言い、夫の将来に関わりのありそうな人物を次々に紹介してくれる。


シトラスがテーマということで、女性はオレンジや黄色、グリーンなどのサリーが目立った。あくまでもカジュアルということで、素材も軽めのものを着用している人が多かったが、それでもそれぞれの女性たちが身にまとう布の美しさに、目を奪われてしまう。
わたしはここ数年来、夫の会社のCEOが主催するクリスマスパーティーに毎年出席し、米国的富裕層によるゴージャスなパーティーというものを体験して来た。
おおよそ米国の人たちは非常にフレンドリーで(英語には、丁寧な表現はあるにせよ、敬語、謙譲語を使い分けなくてもよいという点において、日本語で会話するそれよりも気軽さが倍増するともいえる)、パーティーに於けるカジュアルな会話の運び方というものを心得ている人が多い。
一方、インドでのパーティーもまた、非常に気の置けないリラックスした雰囲気が漂っている。たとえば今回のパーティーでは、参加者の多くがインターナショナルなバックグラウンドを持っているため、会話に共通項が多い。
出会う人、自己紹介し合う人、みな欧米とインドを中心に、世界各地を飛び回る人ばかり。夫婦そろってキャリアを持っている人が多いから、妻同士で話をしていても退屈することがない。
そんなわけで、夫があちこちで誰かと話している間も、わたしは人と話したり、すばらしいサリーを着ている人やジュエリーを身に着けている人に近寄って行ってほめたり、カラフルな料理を味わったり、おいしいデザートを味見したりと、楽しいひとときだ。
もうすでに会場は大勢の人々であふれかえっているにもかかわらず、パレック氏はそんなわたしを見つけては、「ミホ、退屈していないかい?」「楽しんでる?」とまるで親戚のおじさんのように声をかけてくれる。サリーを着た東洋人は目にとまりやすいせいもあるだろう。
「日本にゆかりのある人物がいるんだ。ぼくに付いておいで」言いながら、人波をかきわけつつパレック氏が紹介してくれたのは、1993年から1995年の間、駐日インド大使を勤めていたプラカシュ・シャー氏とその夫人だった。
シャー氏はマレーシアの大使、国連特使(アナン氏とともにイラクへ赴任していた)を経て、現在は国際ビジネスコンサルタントとしての仕事をしているという。夫人は最近、「人間愛」をテーマにした小説を執筆したばかりで、近々出版されるとのこと。
自宅はムンバイに近い都市、プネにあるとのことだが、家に滞在することは稀で、たいてい世界のどこかを飛び回っている暮らしだという。
「家にいるよりも、このホテルに住んでいるほうがずっと長いんです」
とご夫人。どっしり(ごてごて)としたシルヴァー・ジュエリーを身につけ、まるで舞踏家のような強烈なメイクを施している。それでなくても大きい目が、太いアイラインでくっきりと隈取りされていて、正視して会話するのに少々エネルギーを要する「眼力」の持ち主だ。
とはいえ強烈に個性的なそのファッションがとても似合っていて、一度会ったら二度と忘れられない雰囲気の女性である。
シャー氏は日本を離れる直前、お別れパーティーに参加するため、神戸に赴いていた。日本を離れる予定だったその翌日、あの神戸大震災が起こり、九死に一生を得たという。
出会った人々との会話を書き連ねているときりがないので控えておくが、自分さえ「その気」になれば、いろいろな人たちとお近づきになれ、さまざまなビジネスチャンスに遭遇するきっかけをつかめるということを痛感した。
わたし自身は、これから先、何をどうしたいのか、まだまだ不透明だ。ただ、夫とはまったく異業種でありながらも、人との出会いを重ねることで、自分のやるべき、進むべきが見えてくることも大いにありそうだと感じた。
ところでキングフィッシャー(インドの大手ビール会社&航空会社)のCEO、ヴィジャイ・マーリャ氏もパーティーに参加していた。キングフィッジャービアは、我々愛飲のビールであり、キングフィッシャー航空は、夫が好きな「セクシーなお姉さん」がいっぱいのエアラインである。
マーリャ氏はメディアを通して見知っていた通りの、イタリアンマフィアみたいなムードを漂わせた個性炸裂のファッションであった。やや長髪に、恰幅のいい体格。背中に「炎」のような赤い刺繍が入ったデニムのジャケットを着てサングラスをかけている。
ちょうどパレック氏と話しているところだったので、ご挨拶だけでもさせていただこうと近づいた。
「あなたの会社が今、バンガロアに建設中のプロジェクト、完成を楽しみに待っています」とコメントして握手。存在感の強い、オーラ発散型の男性であった。
彼の会社は今、バンガロア中心地の広大なエリアに、一大コンプレックスを建造中だ。何年先に完成するのかは知らないが、完成すればバンガロアの「都市化」が更に加速されることになるだろう。無論、そのころわたしたちがまだバンガロアにいるかどうかは、定かではないのだけれど。
インド財界人のあふれかえる、しかしまったく気取りのない宴は数時間続いた。わたしたちは少しも持て余すことなく、結局、フライトまで時間があったこともあり、最初から最後まで、じっくりとパーティーを楽しんだ格好となった。
すべてはアルヴィンドの遠縁の叔母様、そしてパレック氏の計らいのおかげである。思いがけず、いい経験をさせてもらったと感謝。
それにしても、毎度思うことだが、人の上に立ち成功している人は数多くいるだろうけれど、周囲、ことに若い世代に対して奢った態度を見せることなく、寛大に誠実にふるまえる人物というのは、自らの偉業を誇示することなく、自ずと知られてしまうことになるのだ、ということだ。
「いいパーティーだったね」
「うん。楽しかった」
「パレック氏は、僕のこと、気に入ってくれたみたいだね」
「うん。そう思うよ。すごく、気遣いのあるすばらしい人だったね。」
「本当に」
パーティーの余韻に浸りつつ、渋滞のムンバイ市街を走り抜け、空港へと向かう。


Sea Loungeに連なる、海に面した4つのバンケットルームがすべて開放され、パーティー会場となっていた。それにしてもだ。濃くてきらびやかな顔を連続して間近に見たあと、トイレの鏡などで自分の顔を見ると、いいしれぬ衝撃があるね。あまりの淡白さに我が顔ながら驚く。薄味と言うか淡白と言うかめりはりがないというかなんというか。夫が写真を撮る際、必ず「ミホ! 目を開けて!」って言う理由がわかるね。っていうか、開けてるってば!! 「ミホ、マスカラはないの?」「つけまつげ、したら?」「整形、する?」と、今日もまた言われた。う、うるさい!!


窓の向こうにはインド門。海を望む通りには、いつものように多くの人々が行き交っている。パーティーのドレスコードは「カジュアル」とのことだったので、実際、非常にカジュアルなファッションの人々も見られた。そのせいか、肩のこらない、楽しげな雰囲気だったのかもしれない。
デリーの濃霧が影響して、冬のインドの国内線は遅れるのが最早常識だ。空港の待合室をうろうろとしていたら、何人かの人に、「あなた、今日、タージでのパーティーに参加してましたね」と声をかけられる。東洋人のサリー姿はやはり目立つようだ。
機内では映画監督の妻だという女性と隣合わせになった。そこでもまた世間話が始まる。彼女の夫はインドの超有名俳優であるシャールク・カーンの映画も何本も撮ったことがあるとのことで、
「シャールク・カーン、今度紹介してあげるわよ」
とまで言う。それはいくらなんでも、社交辞令にしたって調子がよすぎるんじゃないか。ただ飛行機の席で隣り合わせた人に会わせられたんじゃ、超多忙なシャールクが迷惑だろうに。
ちなみにシャールク・カーンっていう人は、すごいのだ。日本には該当する俳優がいないくらいの人気独占ぶりだ。
日本に於ける「ペ」人気を軽くしのぐ、持続性のある人気男優で、映画以外にも広告やらなんやらにやたらめったら露出しているから、彼の顔を見ない日はないといっても過言ではない。
クリスマスイヴの夜、彼の出演するエンターテインメントショーがデリーで開かれたのだが、ウマとロメイシュは出かけたらしい。ウマの目的はシャールク・カーンだったらしい。ウマ、密かに大ファンだったらしい。
シャールク・カーンはさておき、そんなわけで、とても書き尽くせないほどのいい経験ができたパーティー。遠出した甲斐があった、実に有意義なクリスマスであった。
今日から始まるWhartonのアラムナイ。伴侶のために用意されたツアーに参加するため、10時に集合場所へ。建物の前には、ショッキングピンクの大きなツアーバスが停まっている。きっと多くの人たちが参加するのだろう。
受付で登録をして、さて周囲を見回せば、参加するのは十名足らず。しかもそのうち3名は日本人。ご主人がWhartonの卒業生だという女性と、奥様が東京のWhartonの事務局に勤務なさっているという男性。
それから、ボーイフレンドがインド人で、スピーカーとして参加しているというシンガポール在住の中国人女性、ご主人がWhartonの教授だという米国在住の女性とその娘二人。
Global Alumniというだけあって、インド周辺に限らず、日本からまでも参加者があることに驚いた。
まずはプリンス・オブ・ウェールズ博物館を見学したあと、いくつかのファッションブティックでショッピング。男性参加者はここで引き上げられ、女性ばかりでのツアーである。
全般に派手できらびやかな色彩の衣服を好むインドにあって、ムンバイのファッションは、より一層その傾向が顕著である。パーティーなどに現れる女性たちは、ボリウッドの女優さながらに、ラメやスパンコールなどをきらめかせた衣服を身に纏っている。
そのような、装飾マキシマムなファッションを目前にして、参加者は感嘆しつつも、当然ながら買う人はない。数軒目で訪れた、おなじみfabindiaで、みな素朴なコットンやシルク製の衣類を求めていた。
途中で携帯電話にアルヴィンドから電話。
「ミホ、今日のディナーパーティー、伴侶も参加していいんだって。おいでよ」
もう! バンガロアを出る前、「わたしはパーティーに招待されていないの?」と尋ねたときには、「ぼくだけだよ」なんて言っておきながら! パーティーに着ていけるような服を持ってこなかったのは失敗だった。こんなことならサリーを持ってくるんだった。
インドのパーティーじゃ、たいてい、みなきらびやかだから、わたしとしても、女に生まれたからには、きらびやかで勝負したいのである。パーティーはおしゃれをできる数少ない機会だからね。
そんなことはともかく、ランチのあとは、子供同伴のアメリカ人母の要望もあって、海に浮かぶムスリム寺院、Haji Aliを見学することに。ここがもう、とんでもなく「インド的」な場所でほんとに。汚いは臭いはで、10メートルが100メートルにも感じる濃密さだ。
物乞い、身体障害者が路傍に溢れ、どこを向いても正視に耐えられない。人間そのものが魑魅魍魎と化している。5歳と9歳のだという娘たちが泣き出すんじゃないかと心配になったが、母は強い。世界のいろいろな現実を見せておきたい、という熱意が伝わってくる。
「経験、経験。なんでも経験だから」
と、子供たちの手をしっかりと握りしめて、連れて行く。
これまでも、さまざまな場所に連れて行かれたのだろう彼女たちは、健気に母に従っている。偉い。強い。がんばれ!
喧噪の寺院を見学したあとは、さらにヒンドゥー寺院へも行く。すでに中国人のランさんは引き上げていて、ガイドを除いては、わたしと日本人女性のマヨさんだけとなった。こうなったらもう、ツアーというより個人旅行である。
熱心なアメリカ人母子とガイドが靴を脱いで寺院内を見学するのを、わたしたちは、「靴、脱ぎたくありませんよね」と、言いつつ、外で待つ。
マヨさんは、米国の大学を出て、東京にて米国の金融会社に勤めていらっしゃるとか。インドは今回、初めての訪問だという。
ヒンドゥー寺院を出る頃にはもう、すでに夕方6時近く。ホテルに戻ってシャワーを浴びて、夜のパーティーに出かける準備をしなければ。


ミュージアム見学のあとはショッピング。インド的高級ブティックを訪れ、派手派手ファッションを見学。とてもすてきなサリーを発見したので、ちょっと試着させてもらったりもした。2000ドル也。右はどこかのショッピングモール。ここでランチを食べる。


本当はショッピングが主のはずだったツアーだが、「ショッピングはもういいね」ということになり、寺院などを見学することに。しかし……。バスを降りたとたん、鼻を突く腐った海の悪臭。海に浮かぶ、ムスリム寺院、Haji Aliが見える。
ああ、あそこね。へえ、あんな細い道を歩いていくんだ。しかし臭いね。さ、バスに戻ろうか、と思いきや、あれ〜? バスの姿は見えず。うげ〜、あそこまで歩くの?! こりゃやられた。線香の煙やらゴミやら揚げ物やらなんやらかんやらの臭いが入り交じった猛烈に臭いエリアを通過して、海上の参道へ。


寺院へと続く「天国の道」であるはずが、ここは「地獄への道」としか思えない。しかし、写真で見ると、どうにもこぎれいに見えるから困ったものだ。手足のない男たちが路傍に横たわり、大声をあげて注意を引く。遠い昔、福岡の筥崎宮の放生会という縁日で見た、傷痍軍人たちを思い出した。子供にあの光景は暗い。「経験」とはいえ、子供たち、辛いだろうな、これを見るのは。寺院にたどり着いたら楽園か、と思いきや、ここもまた、なにやらぐちゃぐちゃで、アイスクリーム売り、土産物売り、靴預かりの人々……。


ムスリム寺院で懲りたかと思いきや、ヒンドゥー寺院へも行くと言うアメリカ人母。たくましいね。わたしはもう、疲れたよ。待ってるから、見ておいで!
ツアーから戻り、ホテルで身支度を整えたあと、ディナーの会場であるTurf Clubへ向けて車を飛ばす。ムンバイもまた、渋滞の町だ。昨今はバンガロアの渋滞が何かと取り沙汰されるが、ムンバイは町が大きい分、移動にもより時間がかかる。
ホテルから1時間近くもかかってたどり着いたそこに、建物は見当たらない。屋内でのイヴェントかと思いきや、競馬場横の広大なエリアを用いたオープンエアのパーティーだ。前方には巨大なスクリーンと特設ステージが見える。
すでにカンファレンスの会場から直行していた夫と合流し、しばらくは会場の一隅で、参加者と語らいながらのカクテル。やがてテーブルに着席し、コメディアンのトーク、ダンスや音楽などのエンターテインメントが披露されるのを眺める。
ここでもまた、多くの人々と言葉を交わす機会を得た。
詳細を記せば尽きないので割愛するが、自分の母校でもないのに、すっかり自分の同窓会に出席してるかのような、打ち解けた気分のひとときだった。
わたしは、アルヴィンドと出会ったことによって、自分の過去からは育まれることのなかった現在を、あたかも自分のもののように、享受している。面白いものだ。
日本と米国とインド。この三つの祖国を主成分に、今のわたしができていることを、日増しに強く、感じている。
●服を買いに町へ出る。タクシードライヴァーに負ける
今夜もまた、Whartonのディナーに参加する運びとなった。しかしながら、パーティーに着て行きたい服がない。昨日は、黒いシャツと黒いパンツに、カラフルな刺繍のカシミアストールでお茶を濁したけれど、同じ服で出かけるのはつまらない。そんなわけで、今日の午後は、買い物に出かけた。
自分の服を買うことだけを目的に出かけるのは、とても久しぶりのことだ。このごろのムンバイは、空港付近のバンドラ地区が「クール」で、新しい店などもたいそうできているようだが、いかんせん遠過ぎる
今日のところはやや近場の、クロスロードというショッピングモールに行こうと思う。タクシーのドライヴァーにその旨を告げると、何を買うのかと問う。服だと返答するに、しきりと他の店を勧めはじめた。
彼らがコミッションをもらっている店へ強引に連れて行かれるのはいやだから、
「行かない」
と言っているのに、しつこい。間口は狭いがデパート並みだとか、品質がいいとか、無闇に勧める。
「行かないってば!」
と半ば怒鳴るように言っているのに、諦めない。しつこいしつこい。
「黙ってクロスロードに行ってよ」
それでも、ひかない。ああもう、なんて鬱陶しい男だ!
「タクシーのドライヴァーはすぐだますから、わたしはいやなのよ!」
とまで言っているのに、
「絶対に、あなたの気に入る服があります!」
と、自信満々に断言するから、こりゃまたびっくり。
おうおう、そこまで言うのか。あなたがわたしの好みを知っているとは、そりゃ初耳。絶対に、あるんだな、わたしの好みの服が。わかった、立ち寄ってやろうじゃん。そのあなたの勧める店ってやつに!
わたしの反撃にも一切ひるまぬドライヴァーに根負けして、彼が断固として勧めるその店へ行った。
タクシーを降り、店のドアを開ける。ん……? なかなかいい感じ……?
あら、このブラウス、素敵かも。でも、ちょっと派手よね。いやいや、ムンバイでこれは地味な部類かしら。あ、こっちのこの黒いブラウスはいいんじゃない? ちょっとスパンコールきついけど、パーティーならいいわよね。
……あるじゃん。わたし好みの服が。
こいつは一本とられたな。ドライヴァーに勧めれたこの店で、結局、ブラウスを買ったのだった。少々派手だが、ま、インドだし。
せっかくだから、今日は服探しを楽しもうと、その後、クロスロードへ行き、それからオベロイホテルのショッピングセンターに行き、更には帰りにコラバ地区の繁華街を歩いたりもしたのだが、「これ」といった服は見つからなかった。
コラバ地区の、裏寂れたハンドバッグ店で、しかし買ったばかりのブラウスと合いそうなバッグを見つけただけに終わった。つまり、今日のショッピングは、「ドライヴァーのお陰」で、達成したといえるだろう。たまにはドライヴァーのいうことも、素直に聞いてみるもんだな。っていうか、全然素直じゃなかったけど。
さて、夜、夫とホテルの部屋で待ち合わせ、今夜の会場であるTaj Mahal Hotelへ向かうことにしていた。一足先にホテルに戻り、着替え終わったところで夫も戻って来た。開口一番、
「ミホ、何それ。ちょっと派手すぎない? あんまり洗練されてないと思うよ、そのファッション。それで行くの? ちょっと後ろ向いて。う〜ん。ちょっと変だけどさ〜。他にないんでしょ? いいよ。好きにすれば」
ずいぶんな、反応である。そんなに派手〜? ここはムンバイだよ。店の中で最も「地味な部類」の服だったんだから。
●今夜もまた、Whartonのディナーパーティーに
また、どうでもいい話題に文字数を割いてしまった。さて、そんな服の話はさておき、イヴェント最終日の、今夜はディナーパーティーである。Taj Mahalのボールルームでの、まずはカクテルパーティーへ。
米国から出張のついでに来た人、わざわざこのイヴェントのためだけに来た人、わたしたちのように米国から移住したばかりの人々、中国、シンガポール、香港、日本など、周辺アジア諸国の人々……。国籍、年齢、職種、さまざまに異なる人たちが、Whartonというキーワードを寄る辺にして、この場所に集っている。
上の写真は、University of Pennsylvania (Wharton)のプレジデントであるAmy Gutmann氏である。今回、ムンバイでのグローバルアラムナイの実現に尽力されていたようで、スピーチの端々からその情熱が伝わってくる。
冒頭で簡単に触れていたが、彼女の父親は、ナチスの手から逃れるために、ムンバイに久しく暮らしていたのだという。父親と母親にとって深い意義を持つこの地を、今回彼女は初めて訪れたとのことだが、ひとかどならぬ思い入れがあるようだ。
先日、INDIA MEDIAに紹介した記事で、「Whartonはインドへ学生を買いにショッピングに来た」と、やや下品な言い回しで表現されていたけれど、彼女らが、今後のアジア経済の発展を期待し、米国とのつながりを密にしていこうと働きかけている様子がつぶさに伝わった。
「あなたが、未来です!」
「ビジネス、経済のグローバリゼーションに、わたしたちは貢献しましょう!」
去年はシンガポールでこのアラムナイが行われた。今年はこのムンバイ、来年は香港が会場になるという。ぜひ、行かなければ。
……いや、わたしは卒業生ではないのだけれどね。
タージマハルパレスのボールルームで、まずはカクテル。すでに顔見知りの人たちもちらほら。ラッフル(抽選)が行われたところ、昨日ツアーでご一緒したマヨさんのご主人が、賞品の一つに当選なさった! ムンバイで最も有名なファッションデザイナー、Tahilianiのギフト券だ。とはいえ、お二人は明朝、日本に帰国。使い道がないからと、なんとわたしにそのギフト券をくださった! いや〜、なんだか申し訳ないけれど、ものすごくうれしい!
カクテルのあとは、隣のボールルームに移動してのディナーパーティー。インド料理とコンチネンタル料理が、多彩に用意されている。デザートもたっぷり。知らずのうちに、赤白ワインが、次々にグラスに注がれていて、夫もわたしも、気がついたらもう、すっかり酔いが回っている。
食事を終えて、記念撮影。背後に立っていらっしゃるのがマヨさんと、ご主人のナカツカさん。わたしの隣は、シンガポールからのカップル。デリー出身のアルヴィンドさんと、中国出身のランさん。
こちらのアルヴィンドさんは、今後バンガロアでビジネス展開をなさるとのこと。来月にも来訪するとのことで、再会を約束。この夕食のあと、一同、ホテルの1階にあるクラブへ。シガーの煙が立ちこめ、騒音みたいな音楽が流れる中、人々としゃべり続けて、すっかり喉が枯れてしまった。
イヴェントを終えてホテルに戻ったら、ドアマンに「グッドモーニング、マダム」と言われた。腕時計を見たら、すでに午前1時を過ぎていた。
酔っぱらい顔でやばいが、これがタクシードライヴァーお勧めの店で買った服だ。クリスマスツリーの装飾ではない(ようやく今頃、クリスマスツリーの撤去作業が行われていた)。
日本的感覚で言うと、ちょっぴり派手かもしれないが、マンハッタンの五番街のヘンリーベンデルあたりだったら、300ドルくらいの値段は軽くつけられそうなクオリティ。ハンドバッグはスパンコール、ビーズきらきらのインド的パッチワーク、ハンドル部分がカラフルな石。ブラウスとバッグを合わせても80ドル以下。リーズナブルでした!
夕べ、夫はムンバイから戻った。次の出張まではまだ間がある。久しぶりに、のんびりとした気分の週末だ。朝、落ち着いた気持ちでヨガをするのも久しぶりのこと。買ってきたばかりのバルコニーの緑が、朝日に照らされるのを眺めながら、穏やかな心持ちで身体を伸ばす。
夫はクリケットの試合を見ている。今日のわたしは何をするにも集中できず、本を開いては閉じ、地図を開いては閉じ、ラップトップを開いては閉じ、まだ済んでいない引き出しの整理をしようと思っては閉じる。
さて、今夜はヴァラダラジャン家でパーティーである。ランチを終えたあと、モハンはヴァラダラジャン家へ、スジャータに頼まれていた圧力釜を携えて出張サーヴィスに出かけた。そろそろ我が家でも「引っ越し祝いパーティー」を企画したいところだ。モハンがいるから、準備も以前よりはずっと楽だろう。インドの食材で、どういうパーティーメニューを作るか考えるのは、楽しいものかもしれない。
ヴァラダラジャン家はIISのキャンパス内にあることは以前も記したが、先だっての襲撃事件を機にセキュリティーチェックが厳しくなっており、以前はふらりと入られたゲートでは、停車し、行き先や名前を記入せねばならないようになっていた。9/11以降のマンハッタンやワシントンDCのことを思い出す。世界中が、益々「世知辛く」なっていく。
さて、スジャータ宅ではいつものように、ラグヴァンの弟、マドヴァンとその妻、それからIISの教授仲間とその妻子が訪れていた。そこに、今回初めて対面する夫妻が登場。しばらくは、それぞれに話をしていたのだが、料理の準備が整い、食事を始めたころから「バンガロアに於ける食品の調達」の話題になった。
話題を独占して語り部になっているのは、今日初めて会ったM氏である。
「ラッセルマーケットや地元のマーケットで野菜を買うのもいいけど、無難なのはセントラル(ショッピングモール)だな」
「あそこには、アルコールもあるし。ワインの種類も豊富だよ」
「値切ったりしなくてもいいところが、いいよね」
「わたしたちは、ラッセルマーケットで魚を買ってるわ」と、誰かが言えば、
「うわ、あそこは汚くてダメ。わたしは入れない」と言う人あり、
あそこの魚がいい、あそこの肉はいい、いや、あの店はだめだと、たいへんな盛り上がりようである。
さて、そのM氏であるが、聞けば数十年、軍隊の高官として働いていて、スリランカやインド北部などに久しく駐留していたことがあったという。まるで物語を話すように、しかし決して誇張や押し付けがましさがない語り口で、彼は戦地の様子を教えてくれる。
戦士たちの士気の所在、死に対する戦士らの恐怖心、忠誠心の危うさ、戦う意味の喪失……。いくつもの死を目前に見て、いくつもの屍を超えて来た彼。更には第二次世界大戦時の日本兵の話。敗戦の後も、久しく密林に暮らしていた横井さんや小野田さんの話……。重苦しいはずの話題だが、しかし、説教臭さのない軽やかさがある。
「ずいぶん、ストレスの高い思いをしていらしたんですね」
あまりに月並みなコメントを発したわたしに、彼は笑いながら、
「いや、ストレスが溜まるって言うよりも、ぼくはいろんなことが面白かったよ」
It was intersting.
常に死と隣り合わせのぎりぎりで生きて来た人の精神の在り方を、そうでないわたしたちが知り得るはずもない。
途中、彼はキッチンに入り、しばらくモハンと話していた。戻って来た彼曰く、
「彼は北の出身だって言うから、土地の言葉で話してきたんだよ。あのあたりの土地のことは、ぼく、よく知ってるから。実に貧しいところだよ。仕事らしい仕事がないから、男たちはみな町へ出稼ぎにいく。村には、女と子供しか残ってなくてね。
彼は、村に帰ったら、自慢気にみんなに話すんだと思うよ。バンガロアっていう都会に住んでる、米国帰りのビジネスマンと日本人妻の家庭で働いてる……ってね。
貧しいところではあるけれど、自然は美しい。ああいうところを、君たちも一度は見ておくべきだと思うよ」
わたしはいつか、インドの国内を放浪したいと思う。しかし、アルヴィンドと結婚した以上、たとえ彼がインド人であれ、バックパッカーな旅は実現しないだろう。一人旅に出る以外は。
歳を重ねて、ラグジュリアスなホテルやリゾートに滞在することに慣れてしまった昨今だが、心の奥底に潜む旅情は、決して豪奢なそれに結びつかない。
「わたしは、いつか、そういう村にも、訪れたいと思っているんです。バスを乗り継いだり、山越え谷越えで不便だろうけれど」
「ぼくも行ってみたいな。いつか行こうよ」
と、アルヴィンド。「まじかい?」 と突っ込みたいが、我慢我慢。
「そうそう、君のような、ヴェンチャーキャピタリストこそ、ああいうインドの素顔を見ておくべきだ!」
M氏は笑いながら、半ば、いや、思い切り、厭味を言うが、決して厭味に聞こえないところが人徳か。
「僕は、ゴビ砂漠の西の果てで見た景色を忘れられない。清らかな湖と大地。その向こうに小高い山があって、さらに遥か彼方、雪を戴いた山並みが見晴るかせる。空はどこまでも青く澄み渡り、雲は白く……。あの光景は、本当にすばらしかった」
生きるか死ぬかの行軍の中で見るその景色は、平安のうちに訪れて見るそれと、まるで違って見えるのではなかろうか。
「ゴビ砂漠は、ミホも行ったことがあるんですよ!」
まるで自分のことのように嬉しげに話す夫。わたしが訪れたゴビ砂漠はモンゴルの、荒涼たる大地だったけれど、西にはそんな景色が広がっているのかと思うと、益々旅情がかき立てられる。
今日もまた、新しい出会いと新しい世界の話に恵まれ、夜が更けてゆく。
帰り際になり、M氏夫妻が自分たちの自家用車の一つを披露してくれた。上の写真の、まるでポケモンみたいな顔をした車がそれだ。これは単なる自動車ではない。電気自動車なのだ。大人二人、後部座席には小さな子供が二人乗れるスペースがある。REVAというインド製の車で、バンガロア郊外の工場で生産されているとか。
一回の充電で80キロ走行できる。バンガロアの中心街をうろうろと走るには、うってつけの車だ。
●初めて見る電気自動車に興味津々のわたしたちとマドヴァン。近所の犬も、しっぽふりふりやってきた。
●M氏及び車内の様子。確かに狭い車内だが、しかし近場を運転するには全く問題ない。排気ガスにまみれながらオートリクショーに乗るよりはずっといい。なにしろ、排気ガスがでないところがすばらしい。
●自宅の電源から充電できるお手軽さ。どの家庭にもある差し込み口。まるで「家電」みたいな車だ。
●内部の仕組みを見てみよう。非常にこざっぱりとしている。スペアタイヤ以外は、よくわからないな。
●驚くほど静かに、発進! おう、動いた動いた! まるでゴーカートみたいだ。それにしても静か。楽しい車だ。
このREVAという車、バンガロアで生産され、今、多くの車両が英国で販売されているという。インドもやるじゃん。こういう車がもっと増えるといいね、と、諸事情はわからないものの、シンプルにそう思う。
帰宅して後、しかし、そこはかとない「日本的な顔」のことが気になり、インターネットで会社を検索してみた。REVA INDIAのサイトをざっと見る限り、やはりインド拠点の会社だ。
しかし、どうにも日本の匂いがする。今度は日本語で調べてみた。そうしたら! やはり日本の自動車だったのである。富山県にある
タケオカ自動車工芸という、いかにも素朴な雰囲気の会社が作っている車だったのだ。
それにしてもこの会社のホームページのキャッチコピーはいかしている。くらくら来たね。
この車、日本ではよく知られているのだろうか。いずれにしても、"そいつは Good!"な車であることには違いない。欲しくなってしまった。
●社交その1:バンガロアに住む異邦女性たちのグループに入会
バンガロア(バンガロール)に移住する前、義姉スジャータに、この組織のことを教わっていた。OWC (Overseas Women's Club of Bangalore)。バンガロアに在住する、外国籍の女性たちのためのクラブだ。移転したらいち早く参加してみたいと思っていた組織だったが、なにかと多忙な日々が続いていたため、今日になってようやく、毎週、開かれているティーパーティーに参加することができた。
会場は、空港近くにあるホテル、Leela Palaceのライブラリーバー。ここで毎週木曜日の10時から12時まで、コーヒーやティーを飲みながらの集まりがあるのだ。入会に必要な申込書とパスポートの写し、写真を携えて出かける。
入会の手続きをしてくれたのは、在印25年余という米国人女性。毎月配られる会報誌"The Rangoli"を開きながら、会の説明をしてくれる。
週に一度のこの会合の他、月に何度か、伴侶を交えての会、また季節や祝日に合わせたイヴェントなども企画されているようで、非常に面白そうだ。
会員は現在400名ほどいるそうだが、主には駐在員夫人とあって、入国、帰国の入れ替わりが激しいようである。本日の参加者は50名程度だっただろうか、主には欧米の白人女性、それからコリアン、インド系米国人の姿が見られた。
現在ホテル住まいで、今アパートメントを探している人、あるいは、数カ月後に移住予定のため下見に来ている人など、未知なるインド生活の足がかりとして、この組織に入会し、情報を得ようとしている人も少なくないようだ。
わたしは、自分の身辺がようやく落ち着いてからの入会だったが、本来なら、先にこのような場所で人々のアドヴァイスを仰ぎ、情報を得て、効率的に買い物などをするべきだったのかしらとも思う。
何名かのメンバーと知り合いになり、連絡先を交換し合う。カリブ出身の女性、インド系米国人女性、自らの仕事で赴任した米国の女性、デンマーク出身の女性、英国人の夫を持つロシア人女性、ニューヨークとバンガロアを行き来している日本人女性……。この小さなライブラリーバーから、地球儀が見えてくる。
ニューヨークやワシントンDCは、バンガロアが遥か及ばぬほど「インターナショナル」ではあったが、それはあまりにも大きな概念となっていて、敢えてその形に触れて確かめてみる、という機会は少なかった。バンガロアでの「インターナショナル」は、米国のそれとは異なる。うまく説明がつかないのだが、インドにおける国際的な場面というのは、端的に言えば、面白い。
また、縁あって、不便な第三世界へ来てしまった人たちが、支え合おうとする真剣さや熱意が感じられる。丁寧に書かれ、編集された会報誌を見ていると、その熱意が伝わってくる。
イヴェントカレンダーをはじめ、生活情報、旅行情報、使用人やドライヴァーの求人、クラシファイド、ヴォランティア情報、育児、教育情報などが、シンプルにまとめられている。年に一度は、生活情報を満載したガイドブックも発行しているとのこと。2月に本年度版が出るらしいので、購入するつもりだ。
来週は、伴侶を招いての会もあるらしい。夫も会報誌を読んで感心していた。今度は二人で一緒に出かけようと思う。

●社交その2:由緒あるバンガロアクラブの(準)メンバーに
上記の会合の帰り道、Bangalore Clubへ会員証を受け取りに行った。こちらのクラブは、誰でもがメンバーになれるわけではない、この地では非常に由緒ある社交クラブである。そのクラブの、正会員である義父ロメイシュの手配で、わたしたちは「準会員(家族会員)」になることができた。
1868年創立、英国統治時代に設立されたクラブで、ウィンストン・チャーチルをはじめ、歴史に名を残す著名人らが会員だったという。現在、正会員になるには、10年待ち、20年待ちという「競争率」の高さで、実はチャヤ夫人でおなじみ我が家の大家、バティヤ夫妻ですら、入会待ちなのだ。
なのに、新参者の我々が、しかもインド人でないわたしまで、準会員とはいえ、出入り自由の身になった。ふふふ。なぜかといえば、それはロメイシュの尽力のお陰である。アルヴィンドがまだ小学生のころ、マルハン一家はこのバンガロアに一時期、住んでいたことがあった。ロメイシュの転勤が理由だ。
そのとき、ロメイシュは、やはり何年かかけて会員になっており、以降20年余り、会員同士のネットワークを広げて来た。わたし自身、これまでも、クラブへはロメイシュと一緒に訪れたことがあった。古くからの読者はご記憶かもしれないが、彼が、
「ミホ、ここにはね。男性しか入れないメンズ・バーがあるんだよ」
と、ものすごく嬉しそうに告白してくれた、あのクラブである。
わたしたちがバンガロア移住を報告した瞬間から、わたしたちが自由にクラブに出入りできるよう、彼は入会のための「同意書集め」を開始してくれた。正会員5名の同意書を得られれば、家族を準会員にできるという仕組みらしい。聞けば簡単そうだが、正会員が同意書を書けるのは1年間に一人だけと定められており、そうたやすいことではなかったようだ。
結局は、すでにインドを離れていた人々(フランスやドバイ、英国など)に資料を送り、同意書を集めてくれたのだとか。いくら時間に余裕のあるリタイアの身とはいえ、わたしたちの便宜を図ってくれたのは、切にうれしい。準会員でも、クラブの施設は自由に使えるし、イヴェントやパーティーにも参加できる。
米国時代とは異なるソーシャルライフを、ここでは楽しめそうである。しかしながら、夫は相変わらず、
「このアパートメントは快適だけど、バンガロアは嫌いだ」
「渋滞はひどいし、言葉は通じないし、故国に帰って来た気がしない」
と、日課のように口にしているので、近い将来、デリーやムンバイに行くことになるかもしれない。わたしとしては、どんなに短くても1年、できれば3年はここで腰を落ち着けたいと思うのだが、人生、思うようにいかないものである。いや、なんとかして、ここでの在住期間が長くなるよう、運命を操る努力をせねばならない。
(どんな?)
正会員のカードはATMカードみたいにしっかりしたものだが、おまけ会員は、この簡素なもの。でも、これで出入りが自由にできるのだから、いいのである。