2020年1月。義父のロメイシュ・パパが急逝した。筆舌に尽くしがたい混沌の日々を、デリーで過ごした。
その翌月2月。さまざまな「処理」や「片付け」のために、再びデリーへ。
夫は、事務的な仕事を。そしてわたしは実家の大掃除に明け暮れた。人に頼めない、諸々の取捨選択。悲しみをエネルギーに転換するように、思えば阿呆のように働いた。片付けの達人であるわたしも、ほとほと、疲れた。
それ以降は、頻繁にデリーを訪れ、新たな仕事も始めようと考えていた。しかし3月の予定は、COVID-19によるロックダウンにより中止。以来、タイミングを逸し続けて2年8カ月。パンデミックを経て、ライフに対する考え方も、少なからず変化した。
空港に降り立てば、歳月の隔たりを感じさせない身近な空気。そのくせ、観光客よろしく、写真撮影をするなど。
勤続30年余りのドライヴァーに出迎えられ、自宅へ戻る帰路。いつも陽気な笑顔で出迎えてくれるパパはもういないのだと思うと、胸が迫った。
そんな感傷に浸る間もなく、荷物を降ろしてまもなく、所用で外出。日が暮れて、ようやく帰宅。
わたしたちがデリーに来ると、パパはいつでもうれしそうに出迎えてくれた。そして書斎のGodrajの鍵付きクローゼットを開けてアルコールを取り出し、
「美穂、今夜はなに飲む? ビール? 白ワイン? 赤ワイン?」
と、尋ねるのだった。わたしと一緒に飲むことを、いつも楽しみにしてくれていた。
久しぶりに冷蔵庫を開けたら、2年8カ月前に買っていたスパークリングワインが、ぽつんと横たわっていた。
パパ、今日はとりあえず、これを開けるよ。
人生つくづく、いろいろある。文字に残せぬさまざまがある。それでも、生きているからには、自分の使命を見定めて、ちゃんと生きねば。
3年前、わたしがバンガロールで撮影したパパは、わたしを眺めながら、わたしをも見守ってくれている。
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