The Jomon pottery is a type of ancient earthenware pottery which was made during the Jōmon period(14,000–300 BC) in Japan. The artistry of Jomon pottery was discovered in the 1950s by Taro Okamoto, a Japanese avant-garde artist.
昨日、友人とメッセージのやり取りをしているとき、「縄文人」という言葉が出た。その直前、書棚を整理しているとき、今年はこれを紐解こうと取り出したのが、「クロニック世界前史」だった。
そして今日、月に一度のYPOフォーラム・ミーティングで、友人らと今年の抱負を話しているとき、「不易流行」を説明した。
打ち合わせを終えて、縄文時代が気になり、岡本太郎の本を引っ張り出した。今日、我々が知る、ぐねぐねとした縄文土器は、そもそも「工芸品」とみなされ、美術史どころか、教科書にさえ取り上げられていなかった。
縄文の美を再発見し、日本美術史を書き換えたのは岡本太郎だ。
岡本太郎と縄文の出会いは、東京国立博物館の一室。考古学の遺物として陳列されていた異様な形の縄文土器に偶然出くわして、彼は叫んだという。
「なんだこれは!」
その後、岡本太郎は、1952年に美術雑誌の『みずゑ』誌上で「四次元との対話―縄文土器論」を発表。以後、縄文土器は「原始美術」として美術書を飾るようになり、日本美術史が書き換えられたという。
1万年以上前の芸術が、彼によって長い眠りから目覚め、その姿を我々に見せてくれていると思うと……。時空を超えて、素の人間の力、地球の息吹が吹き込んでくるようだ。
今日、ミーティングのあと、発作的に「縄文土器」を描きたくなった。ペンを持つということは、模写をするということは、対象をじっくりと見つめるということなんだと、今更ながら「描写する」ことの奥深さを感じる。
数年前、ミューズ・クリエイションのメンバーとゼンタングルのクラスを受けたことがあった。あのとき、絵を描くということが心を鎮め、瞑想のような働きをすることを感じられた。
筆圧が強すぎてペンダコを作ったり、ペンをこぼしてインクで汚すのもまた、五感を刺激する大切な過程なのだ。
ところで岡本太郎のこのシリーズ。全5巻のうち、手元には3巻しかないのだが、非常に興味深い内容だ。とくに『宇宙を翔ぶ眼』はインドの遺跡などについても言及されている。
ちなみに氏のインドの描写は、時代を超えて、魂が震えるほど、ほど「おっしゃる通り!」なので、写真の箇所だけでも、ご一読を。束の間の旅行で、この境地に達した彼の洞察力と感受性は、言うまでもないが、すさまじい。
なにしろ、読書量が極めて少ない、昨今の我。少しずつ、紐解いていこう。
次の一時帰国時には、岡本太郎美術館にも行きたいな。
🎨数年前に知って大いにはまった「びじゅチューン」。縄文土器先生のことを思い出して見直した。見直して、あまりのすばらしさに感動した(笑) 縄文土器先生と、語り合いたいな〜。このシリーズ、本当に楽しいです。お子様がいらっしゃる方は、ぜひ、お子様にも見せてあげてほしい。
ちなみにわたしが初めて「びじゅチューン」を知ったのは、アムステルダムで『牛乳を注ぐ女』を見た後、なにかを調べようと検索していた時。たまりません。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。