夫の亡母の兄である、Ranjit伯父、そしてNina伯母の家に招かれた夜。大家族が多いインドにあって、夫の家族や親戚は非常に少ない。夫の唯一の従兄弟であるAdityaとTanuも合流し、6人での会合。たぶん10年ぶりだ。当時はまだ子供だった従兄弟夫婦の娘たちは、今、米国の大学に進学している。
これまでも折に触れて記してきたが、夫の家族の物語は、インド独立の歴史を知る上でも、個人的に、とても興味深い。
実業家であり政治家だった祖父。彼は鉄鋼会社と製糖会社を経営していたが、製糖会社が「サラスワティ」という名だった。わたしが好きな、芸術や学問、音楽を司るヒンドゥー教の女神だ。弁財天の起源でもある。
彼の書斎に飾られていたというタゴールの彫像。文学を愛するフリーダムファイターでもあった祖父の形見だ。これは新居に飾るべく、今回はバンガロールに持ち帰る。西ベンガル州のクリシュナナガールで作られたものらしい。タゴールの表情が、あまりにもリアルで、少々怖いほど。
夫の実家には、祖父の形見は、あまり残されていない。しかし、このタゴールや百科事典、そして日本旅の際にもらったのであろう漆器や古伊万里などがある。さまざまにご縁を感じる。
伯父の家には、祖父の姉婿(伯父の伯父)が香港に駐留していた際に集めたという中国の骨董品が飾られている。夫とともに映る仏像もその一つだ。その彼としかし、伯父は会ったことがないという。伯父は1941年、日本軍のマレー作戦により、コタバルの船上で戦死した。今回、調べてみて驚いた。太平洋戦争の端緒は真珠湾攻撃だと思っていたが、そうではなかった。
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「マレー作戦は、1941年12月8日に太平洋戦争で日本軍が実施した南方作戦内のイギリス領マレー方面の作戦。マレー作戦は太平洋戦争において全ての他の作戦に先行して攻撃を開始した(同時開始予定の海軍の真珠湾攻撃が作戦の都合上1時間以上繰り下げられたため、当作戦が事実上、太平洋戦争の開戦である)」Wikipediaより抜粋
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ともあれ、激動の時代に、収集された骨董品の数々が無事にデリーに届いている背景もまた興味深い。おいしい料理をいただきながら、しかし会話に夢中となる夜。伯父も従兄弟も、ビジネスでしばしば日本を訪れており、福岡や有明にも足を伸ばしている。過去、現在、そして未来の、個人レベルでの日印交流についても改めて、思いを馳せる夜。
なお、インド・パキスタン分離独立を巡る、夫の家族の物語については、ブログに長大なる記録を残している。ひとつの家族のエピソードを通して、当時の状況の片鱗を、臨場感をもって確認できるかと思う。関心のある方はどうぞご覧ください。
🇮🇳🇯🇵8月15日。インドの独立記念日と日本の終戦記念日が同じ日なのは偶然ではない。印パ分離独立を巡る家族の物語など
https://museindia.typepad.jp/library/2021/08/815.html
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