一昨日の日曜夜。Clubhouseにて2時間余り、一人語りをした。出会った当初のエピソードは、これまでも断片的に各方面で話してきたが、じっくり語ろうと思うと、芋づる式にエピソードが出てくる出てくる。
90分ほどに縮めようと編集をしつつ、自分の話を客観的に聴きながら、諸々、呆れる。まず話っぷりの雑さに呆れる。セミナーなどではギリギリ「きちんと」感を出しているが、あれだな。Clubhouseは、友人らを目の前にして打ち解けて話す状態そのまま。今後は、もっとエレガントに話そうと反省させられた。
まあ、そんなことはさておき。話の内容がこれっぽっちもエレガントじゃないから、仕方ないかな、とも思う。
よくもまあ、わたしたち、お互いに「勘違い?」みたいな出会い方で、5年も付き合い続けて、よくも結婚して、しかも未だにライフをシェアできているものよ。
自分でも、自分の意思決定の理屈がわからなすぎて、首を傾げる我が人生。プライヴェートなエピソードの中にも、国際結婚にありがちな思い込みや先入観、インドに対する予備知識(のなさ)など、相当に奇抜な話がちりばめられている。かなり楽しめる内容となっている。
お時間のあるときにでも、どうぞ。
[CONTENTS]
・それはニューヨークから始まった。30歳のわたしは、なぜ米国へ?
・1年前の29歳の時、3カ月間、英国語学留学している際のひらめき
・1996年2月、運命を予測するような出来事
・「自分は大丈夫だ」と暗示をかけるように渡米の準備をしていたころ
・晴れてニューヨークへ。語学留学の経緯と日本男子とのルームシェア
・日本にいたころの、痛い&不毛な恋愛経験。1990年代のジェンダー事情
・初めてマンハッタンに到着した時の感激。東京での辛さとの対比
・アルヴィンドと出会ったときのこと
・出会った場所(書店バーンズ&ノーブルにあるスターバックスカフェ)の詳細
・映画『ユー・ガッタ・メール』のトム・ハンクス&メグ・ライアンと重なる
・パソコンやスマホが普及する前の、穏やかな書店の光景
・ドラマ『ロング・バケーション』の木村拓哉と山口智子と重なる二人の年齢
・自分とはあまりにも掛け離れて、むしろ面白いほどの、夫のエリートっぷり
・ろくに英語が話せないわたしと「天然?」な夫との、いい加減なやりとり
・夫の中にあった日本人女性に対する「刷り込み」は偉大なる彼の祖父の言葉
・夫が子ども時代に祖父(訪日経験あり)と暮らさなければならなかった背景
・祖父は政治家であり実業家(製鉄会社ISGECと製糖会社を設立)
・製鉄会社は伯父→従兄弟に継がれ、2012年は日立造船と合弁会社設立
・初めてのデートでいきなり15分ほど遅刻。しかも悪びれない様子
・わたしと出会った当初、彼は精神的に極めて落ち込んでいる状況だった
・2度目に会うつもりはなかったのに。すさまじい日本映画を鑑賞する羽目に
・当時のニューヨークにおけるエンターテインメント情報事情
・それは1976年公開の『愛のコリーダ』。超問題作の「完全ノーカット版」
・藤竜也の男根が幾度となく! シヴァ神のリンガ(男根像)信仰の伏線か
・社会的影響力の大きい夫のインド人家族親戚らが、我がインドとの出会い
・夫に惚れた瞬間とは……?
・同棲生活の準備で知る、夫の実態。DIY経験ゼロ……など
・学生時代のパートタイムジョブ。妻はウエイトレス。夫はジュネーブのスイス銀行
・英語力の上達とともに、妻の本性があらわに
・時は流れて2001年新年。業を煮やして、ついに結婚を詰め寄る我
・双方の家族の方が結婚を待つ姿勢。最後まで決心できなかったのは夫
・同棲時代にインド家族が来た時のエピソード。最初の晩餐はステーキハウス
・ABBAのCDを聴きまくり、CHICAGOを4回も見に行った義父ロメイシュ・パパ
・国際結婚である上に年上の妻という、インドではレアなケース
・夫はフィラデルフィアのMBA卒業後、ワシントンD.C.で就職
・2001年7月インドで挙式。10月にニューヨークで披露宴の予定だった
・7月盛夏のニューデリーで結婚式を決める。わたしにとって初のインド上陸
・末期の肺がんから一時的に回復していた父親が、「地の果てでも行く」と宣言
・喜劇でしかない、知らぬが仏。初インド&結婚式@ニューデリーの一部始終
・911。我々の住むニューヨークとワシントンD.C.がテロのターゲットに……
◉2001年7月、インドで結婚式を挙げたときの記録。懐かしい感じのホームページhttp://www.museny.com/mihosakata/album-india0.htm
☟以下は、この話にまつわる先日のブログを転載。
本日、日本時間午後8時、インド時間午後4時30分。米国での出会いと結婚、インド移住。何かにつけて濃いエピソード満載を語ります@Clubhouse。
今、「周年」と入力したら、なぜか「執念」と出てきた。出会い25周年、結婚20周年。我々夫婦にとって、今年は節目の年。出会いの経緯などは、拙著『街の灯』やブログにて断片を綴ったり、あるいはYouTubeの動画でも少し語ってきた。今夜は、自分自身がこの奇妙かつ波乱に満ちた国際結婚を振り返るべく、ひたすら語ってみようと思う。
そもそもニューヨークで1年間、語学留学をするつもりだったのに、なぜか直後にインド人と出会い、米国に長居。しかも結婚式のときには「こんな国、絶対住めない」と思ったのに、3年後には自分から住みに行くべく画策し、嫌がる夫を説得する作戦……。自分でも自分がわからない。
添付Clubhouseの告知に記している通り、前回「ジェンダーのこと」を話し合ったことで、自分たちのことを振り返ろうと思った。みなさんの話を聞いているうちに、自分の話もしたいと思ったが、絶対に長くなるとわかっていたので、別途、時間をとることにした。「ジェンダー」と「結婚」は、切り離せない話題。
当人たちだけでは成り立たない、家族や親戚、社会との関わりのなかで成り立つ結婚生活。米国、日本、インドでの経験に加え、第三者の経験から学んだことも織り交ぜながら、この25年間を振り返ってみようと思う。2時間程度じゃ絶対無理だと思うが、一応、収めたい。途中、質問などもお受けします。
……と、告知してみたが、どう考えても、25年を語れるわけがないと、今悟った。詰め込むこともなかろう。
とりあえず、今日のところはインド移住前までの「夫と出会って10年」を語ろうと思う。
☟日印国際結婚の話題に留まれない。記憶が一気に蘇る。今日は、出会ってから結婚、インド移住を決めるまでの9年間の話で終わりそうだ。仕事より「恋話」にフォーカスするつもりだったが、すべて混沌と入り組んでいる。これは25年前、米国行き数カ月前の日記。30歳のわたしが、不安を蹴散らしながら、「大丈夫」を繰り返して、自らを鼓舞していたころ。最初のページはなぜか人類史。次のページは啓示のような出来事が記されている。自分で選択してきたようで、自分は定められたルートを歩んできたのか。
☟以下は、坂田の半生を語る動画でも使用している資料。参考までに米国編を添付。
🇮🇳🇯🇵世界を旅し、海外に暮らし働く①
福岡&下関での子ども〜学生時代/20歳で初めての海外。ドメスティックな環境から海外へ飛び出した経緯など
🇮🇳🇯🇵世界を旅し、海外に暮らし働く②
東京での旅行誌編集者&ライター時代/バブル期の極貧生活、旅の日々、歴史を学ぶ重要性、フリーランス独立の経緯など
🇮🇳🇯🇵世界を旅し、海外に暮らし働く③
ニューヨークで現地採用から出版社起業/インド人男性との出会い/就労ヴィザの自給自足/日本語フリーペーパー発行
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