師走初日。今朝は、今年最後のFM熊本収録。14年目を締めくくる話題は、インドの話題を超えて「歴史を学ぼう」。かくいうわたしは、学生時代、特段の思い入れがなかった歴史や地理の勉強。学ぶことの必要性、重要性を感じたのは、社会人になってからだ。
海外に暮らしていれば、その国の歴史はもちろんのこと、母国である日本の歴史や文化の背景を知っておくに越したことはない。日本に住んでいるとき以上に、海外では「日本人であるわたし」を認識する場面が多いからだ。
海外に出る機会が少ない人でも、今や異国との交渉なくして生きてはいけない。日本国内にいても、異文化交流は少なからずあるだろう。たまに海外旅行に出かける人ならば、旅行前に背景を下調べしておくと、旅の醍醐味は格段に増す。
わたしが大学卒業後に上京し、旅行ガイドブックを編集するプロダクションに就職したのは昭和時代の終焉、1988年だった。新米編集者として、その年、初めて経験した海外取材先は台湾。38年に及ぶ戒厳令が解かれた翌年であり、蒋経国総統が逝去、李登輝首相が就任した年でもあった。
台湾で、日本語を話せる年配の人と出会い、日本統治時代が半世紀も続いていたことを知る。教科書では数行でしか言及されていないその事実の「重み」を肌身で感じながら、衝撃を受け続ける取材旅行でもあった。歴史を知らなければ、編集できないと実感した。
その翌年1989年、シンガポールやマレーシアの取材した際には、「英国統治」「コロニアル文化」「大東亜共栄圏」「昭南島」「昭南旅館(ラッフルズホテル)」といった言葉の背景を知る必要があった。
昭和天皇が崩御、平成時代が始まった1989年はまた、日本のバブル経済がピークに達したと同時に、米ソ冷戦時代が終結、ベルリンの壁が崩壊し東西ドイツ国境が解放された激動の年だった。
イデオロギーが大転換した重要な年でもある。
1990年、ゴルバチョフ書記長はノーベル平和賞を受賞。そんな最中、わたしは小さな広告代理店に転職した。海外ドライヴ取材を特集記事とする昭和シェル石油の情報誌の編集をすることになったわたしは、当時、隔月で2カ国をドライヴ取材していた。今では考えられないほど、馬車馬のように働いていた。
1991年1月、湾岸戦争の開始に伴い、海外渡航の自粛が相次ぐ中、しかし旧西ドイツのフランクフルトから旧東ドイツのベルリンまで、ドライヴ取材を敢行。その後、南フランスのピレネー山脈からアンドラ公国、スペイン国境を経てプロヴァンスを取材、稀有な経験をした。今であれば間違いなく、中止になっていただろう。
いずれの海外取材も、当該国の歴史的背景や文化を学ぶ必要があった。無論、当時は目先の仕事で手一杯、十分な予習もできず、今思えば無知の極みで無謀でもあった。今のように情報がすぐ入手できるわけではない。何かを知ろうと思うと、図書館へ行ったり、書籍を購入したりする必要があった。
ともあれ、社会人になった直後に、濃密な海外取材と編集作業を経験したわたしは、世界史、日本史、地理を学び、異文化に対して敬意を持って接することの重要性を身を以て体験し続けてきた。その延長線上に、ニューヨークがあり、米国があり、インドがある。
学べば、地球を俯瞰してみやすい。偏見を持つことや隣人(隣国)との諍いの哀しさがわかる。謙虚になる。無知にも関わらず、わかったふりをして、異国や異文化や他者をジャッジすることの恥ずかしさもわかる。
若者向けセミナーで語っているメッセージにも、歴史を学ぶことの大切さを常に掲げている……と綴るに尽きない。ともあれ、自由に飛べない今だからこそ、歴史や地理を知ろう、学ぼう。話はそこからだ。
年に数回、日本のアマゾンで書籍を購入している。毎回テイストが異なる。今回は、オーディオブックで聞いた『最速で身につく世界史』(角田陽一郎著)が、極めてわかりやすく印象的だったので書籍も購入した。世界史を学ぶ導入として、本当におすすめ。坂田にとっての「1989年の重要性」も理解していただけるだろう。
以前購入した歴史関係の書籍。パラパラとめくるだけでも楽しい。
今年より「手書き」を意識的に増やした。明治以降の歴史と自分史を重ね合わせて年表を作ってみた。諸々俯瞰できるのがいい。
我が高校時代、約40年前の教科書。世界史の教科書の序章は、一読に値する。また大航海時代の地図の、まさに極東な日本(ジパング)の位置についても、思いを馳せたい。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。