2020年1月13日。義父のロメイシュ・パパが他界した。あれから2年。インドがCOVID-19のロックダウンに入ったのは約2カ月後。それまでに、葬儀や、デリー宅の大まかな片付けなど、葬送にまつわる手続きのあれこれをすませられたのは、本当によかったと改めて思う。
1年前の一周忌のときにはまだ、夫婦揃って精神状態が不安定だった。急逝前後の混沌を消化しきれぬままパンデミック世界に移行し、ずっと狐につままれたような気分だった。
現在もなお、世の中はまだ制約が多く不自由は尽きないが、少なくとも我々の精神状態は、ずいぶんと安定したように思う。
改めて思う。
あのときデリーへ飛び、きちんと火葬に立ち会え、葬儀をすませ、遺灰をヤムナ川に還すべく、長距離ドライヴでヤムナナガールまで赴き、夫の両親ゆかりの地へ赴けて、本当によかったと。
急なお別れは辛かったが、パパは今際の際(いまわのきわ)を、見計らっていたに違いない。
あの冬のデリーは、本当に寒かった。前年の師走の寒さも、老体には堪えていたのだと思う。一足先にデリー入りしていた夫から、危篤の知らせを受けて、わたしはデリーへ飛んだ。それからはもう、ガラガラ、ガラガラと、鈍い音を立てながら、早送りで流れた時間。
2年前の今頃の、デリーで過ごしたわずかな日々のうちにも、筆舌に尽くし難いドラマがあった。その中から掬い上げるように、エピソードを記録した。諸々の雑務の間を縫いながら、暖房の力弱く寒気が迫る部屋で、足元からの冷気と戦いながら、日々の出来事を記し、お別れの動画を作った。
睡眠不足も甚だしく、あのとっ散らかった精神状態の中で、よくも作れたものだと、我がことながら、感心する。むしろ思い出を形にすることによって、わたしは心の平静を保っていたようにも思う。
1カ月後の2月には、自分たちの家となったデリーの実家を片づけるべく、再び赴き、大掃除をした。これからは頻繁にデリーへ飛ぼうと思っていた矢先のロックダウン。日本にも、デリーにも、どこにも飛べない歳月が2年も続いている。
今年の春にはなんとか……! と静かに、しかし強く祈るような思いで。
ライフを海原に例えるならば。
これまで、クロールや平泳ぎ、背泳ぎ、時にバタフライも織り交ぜながら泳いできた。だがこの2年はといえば、ずっと場所で、立ち泳ぎをしているかのよう。時々仰向けになり、ぽっかり浮かぶ。時々潜って潜って苦しくなって、ぷは〜っと浮上する。
360度をぐるぐると……安部公房の『ユープケッチャ』のようでもあり。
以下の記録。坂田の家族というよりは、「とあるインド人男性の生涯」という視点で見ていただければと思う。英国統治時代から印パ分離独立を経て、現在に至るまで。動画からも、ブログの記録からも、インドの歴史が垣間見られる。
🌺ロメイシュ・マルハンのアルバム Memories of Romesh Malhan (9th March 1940 - 13th January 2020)
🌺ロメイシュ・パパの死にまつわる記録
危篤の知らせ。デリーでの火葬。葬儀のセレモニー、そして、遺灰を還すべくヤムナナガールへの旅。
➡︎ https://museindia.typepad.jp/2020/about-romesh-papa/
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