先週の土曜の夜。ムンバイ在住だった夫の元同僚が、バンガロールに移住したので、そのハウスウォーミング・パーティに招かれた。実際は彼の誕生日でもあり、家族や親戚、親しい友人たちが会しての宴だった。
わたしは、直接の知り合いはいないだろうと訪れたのだが……。満面の笑顔で「MIHO!」と声をかけてくれる女性がいる。見覚えのある彼女……。昨年12月、友人に招かれて訪れた「スーフィー音楽の夜」でお会いしていたディープシカ(Deepshika)だ。夫の元同僚とは昔からの友人だという。
あの夜、サリーを着て踊りまくっていたわたしが印象に残っていたとのことで、共通の友人を介してわたしのインスタグラムを知り、フォローしてくれているという。
彼女のプロフィールを聞いて驚いた。20代のころ、7年間に亘り、インド陸軍に属していたという。入隊の経緯や軍での様子を聞けば、つい深入りしたくなる興味深さ。2020年にNETFLIXで公開された『グンジャン・サクセナ』というインド映画がある。インド空軍初の女性戦闘機パイロットが、入隊後、カルギル戦争で活躍するまでの物語を描いた実話だ。そのカルギルにも駐留していたことがあるとのこと。
ところで、我が夫の親しい友達にチャル・シンハ(Charu Sinha)という女性がいる。彼女は、印パ紛争の最前線であるカシミールのスリナガルで、何万人もの部隊を率いるIPS (Indian Police Service) のオフィサーだ。わたしはお会いしたことはないのだが、いつかお目にかかりたいと思っている。……しかし、夫がチャルの話を始めるのを遮るように、わたしはもう、朝子さんの話をせずにはいられない。
女性兵士だったディープシカは、当然ながら、日本軍の支援によって誕生したインド国民軍の婦人部隊(Rani of Jhansi Regiment)を知っている。もちろん、その指揮官だったラクシュミー・スワミナタンのことも。
先日も記した通り、その日はデリーに住む伯父(夫の母の兄)の誕生日で、夫は祝福の電話をした。その電話で、夫の曽祖父が、ラホールで行われた「インド国民軍(INA)裁判」の重要な弁護士だったということを知ったばかりだ。
インド国民軍の将校のひとりだったプレム・サーガル。曽祖父は、彼の弁護に尽力したとのことである。そのプレム・サガールの妻が、上述のラクシュミーなのだ。
身近に日印の歴史が改めて迫ってくる奇縁を感じていた。
しかしこのような話は、「わかる人にしかわからない」から、取り敢えずは活字に残しておこうと思っていた矢先のこと。彼女もまた、「このような話は、関心のない人には、まったく理解してもらえないけれど、わかる人には、鳥肌ものよね〜!」と口にして、共感するばかりだ。
年齢を重ねるごとに、「運命の赤い糸」あるいは、「赤ほどまではないにせよ、しかし大切な糸」が増え、それらが複雑に絡み合い、脳裏で「色とりどり」が、混沌としている。赤い糸だけを、そっと引き抜くのが、難しいほどに。
ほぼ初対面にも関わらず、会話はたいへん盛り上がる。さらには彼女が子供時代に、強い感銘を受けたドラマが「おしん」だという。そう。1983年から1984年にかけて放送されたNHK連続テレビ小説だ。
当時わたしは高校3年。ゆっくり朝ドラを見られる状況ではなく、「寒くて辛いシーン」しか思い出せない。しかし、「おしん」が一斉を風靡したことや、その後、世界各国で配信されたことは知っていた。インドでは、国営放送Doordarshanで1992年に放映されていたとのことで、大人気だったらしい。しかし、途中で放映権が得られなかった云々で、最後まで放送されなかったとのこと。
おしんの熱狂的なファンだったディープシカは、最初にEメールアドレスを取得したときには、名前に「おしん」を入れたらしい。ワイングラスを片手に、二人して「エビのような姿勢」なりながら、笑い転げる。🦐
今の若いインド世代は、日本のアニメーションの影響を多大に受けていることは、これまでも幾度となく記して来た。実はこの日、日本が大好きな11歳の少年と、ずっと話をしていた。無口な様子だった少年が、わたしが日本人だというだけで、すっかり饒舌になり、延々と日本のことを語り始めるのだ。このエピソードがまた深く面白く、別途、記したい。
それにしても、アニメ以前に「おしん」がインドにおいて熱狂的なファンを育んでいたとは知らなかった。
日々、本当に、尽きない。
朝子さんの動画も、そろそろ完成させなければ!
(写真は、スーフィー・パーティのときに、偶然、一緒に写っていたもの)
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。