2年前、Youtubeチャンネルを開設した時に作ったGmailのアカウント。普段ほとんど使わないため、メールのチェックを久しく怠っていた。たまたま火曜の夜、開いたところ、『ユーチューブ、佐々井秀嶺さんのテーマを拝見して』というタイトルのメールが目に飛び込んできた。差出人は、ナマステ福岡実行委員会の是永氏。送信されたのは3月下旬だ。
わたしと眞代さんとのコラボ動画をご覧になったのを契機に、わたしが作ったアンベードカルやインド仏教、佐々井秀嶺上人に関する動画をご覧になり、感想のメールをくださっていたのだった。日印交流イヴェントに関わる是永氏はまた、熊本や日本山妙法寺、インドにも深いご縁があるご様子。
早速、遅ればせながらのお詫びとともに返信した。実は「ナマステ福岡」については、今回の一時帰国直前に、その存在を知った。本来であれば、福岡とインドに関するさまざまな方々にもお会いしたい気持ちはあったが、今回は2年半ぶりの2週間の滞在。既述の通り、母の様子を見つつ、ゆっくり過ごすことを目的としていたので、仕事関係の予定は入れていなかった。
一方で、このタイミングで開いたメールに強いご縁を感じたことから、残る数日のうちにお目にかかれないかと打診していたところ、翌日水曜日の朝、早速、是永氏から返信が届いた。この日の夜、仕事を終えて、お住まいの「うきは(浮羽)市」から我が実家のある名島まで、わざわざ駆けつけてくださるという。
待ち合わせに指定してくださったのは、実家の道路を挟んで真ん前のレストラン、フォルクス。我が家から見下ろせる近い場所だ。そのピンポイントぶりには、驚きを超えて笑えるほどだ。
ところで水曜の夕方は、福岡タワー界隈の探訪を楽しんだ後、我が原風景の一つである名島神社に詣る予定でいたことから、タイミングもいい。夜7時ごろにフォルクスで待ち合わせた。
……と、是永氏とメールをやり取りする中、わたしが昨年よりブログなどで記していたところの「インドのグリーンファーザー」と呼ばれる「杉山龍丸氏」のご子息、杉山満丸氏と懇意にされているとの旨、知ることとなる。
玄洋社で活動されていた杉山茂丸氏、その息子の夢野久作(本名/杉山直樹)、さらにその息子の杉山龍丸氏に関しては、個人的にも関心を持ち、少なからず資料を拝見していた。そのことをお伝えしたところ、是永氏が早速、満丸氏に連絡を取ってくださった。わたしが福岡タワーで遅いランチを取っている時に、満丸氏が名島神社にきてくださるとの連絡があり、わたしも急ぎ帰宅、名島神社へと急いだのだった。
わたしが育った「名島汐見町(現在の千早)」から歩いて10分ほどの場所にある名島城および名島神社界隈。我が幼少期、まだ海に囲まれていたそこは、わたしにとって思い入れの深い場所である。父が存命だったころは、毎週のように母と参っていた。
名島神社は、かつて「名島弁財天社」と称され、足利尊氏や豊臣秀吉などの時の権力者の参詣も受けて来たという。幾度となく記しているが、弁財天はインドのサラスワティという音楽や芸術、学問などを司る女神が起源だ。また、蛇は弁財天の使いとされていることから、巳年のわたしにとっては、幼少時からご縁を感じる神様でもあった。
明治時代の「神仏分離」を経て、現在、弁財天は「宗栄寺」に移されているものの、名島神社に隣接しており、地理的には一体化している。
実業家であり政治家であり、若き頃はインド独立運動家でもあった夫アルヴィンドの祖父。彼が経営していた会社の一つが「サラスワティ・シンジケート」という社名だった。一般にビジネスマンは、商売の神様「ラクシュミ」を信奉するが、祖父は、サラスワティを崇め、ラビンドラナード・タゴールを愛読する人物だった。そんなところにも、親近感が強まる理由があった。
……と書き始めればきりがない、ご縁。
名島神社のそばにあった名島城。福岡城に引き継がれた際、石垣などが福岡城に資材として運ばれた……といった経緯などを、今回の一時帰国に際して情報を収集する中、初めて知った。ここにはまた、「名島水上飛行場」があった場所。我が実家からも見下ろせる多々良川の河口だ。1931年に、世界一周中だったリンドバーグ夫妻を乗せたシリウス号が来訪したことでも知られる。
杉山満丸氏とは、わたしがブログに記事を書いたことで、Facebookを通して知り合うことになり、その後、Clubhouseで少しお話をしたことはあったが、この日が初対面だった。海辺の道の電柱に貼られた、夢野久作の子供時代のスケッチ画などをご案内していただきながら、お話を伺う。
このあたりの電柱には、名島にまつわる歴史や歴史的人物についてのエピソードが記されていて、非常に興味深い。中でも、「孫文と頭山満、名島で、度重なる密会……?」とか「蒋介石、危機一髪! 航空機爆破テロ事件」など、驚きの史実を知ることができた。
ちなみにこの日、母は知らないだろうと思いつつも、玄洋社や頭山満の名前を出したら「あら、昔の家の掛け軸、確か頭山満が書いたものよ」と言われて驚いた。我が実家もいろいろなドラマがあった。今は当時の家はなく、掛け軸も手元に残っていないが、昔、座敷の床の間に「人生……なんちゃらかんちゃら」と書いてあったシンプルながらも力のあった書を思い出す。
あまりにも思うところ多い名島神社界隈。満丸さんのお話をお聞きしながら巡り、フォルクスで是永氏と合流し、夕食を取りながらインドの話などをし、実に濃い時間を過ごしたのだった。
インドを介していただくご縁。急遽、名島まで赴いてくださったお二人に感謝だ。「わたしだからこそ、できること」を探し出し、向き合い、ひとつひとつ丁寧に行っていこうと心する。
なお、杉山龍丸氏のインドにおける偉業については、『深海ライブラリ』ブログにまとめている。ぜひご一読を。
🇮🇳杉山龍丸。広く知られるべきインド緑化の父の偉業/彼と我々夫婦との「土地」の縁🌾
➡︎https://museindia.typepad.jp/library/2021/07/green.html
50歳を過ぎた頃から、まさに「図らずも」のご縁が次々に萌芽する。このごろは、その頻度が高まっていて、諸々を消化できないほどだ。せめてもの思いで、備忘録として、こうして記録を残している。
名島神社の写真も、物語が多過ぎて、キャプションをつければ尽きず。
子どもの頃から目にしてきた馴染みの帆柱石。海岸に横たわるのを久しぶりに眺めつつ、案内を見れば、なんと今から3500万年前の樹木の化石だという。かつては海の中に立っていた鳥居を偲び、狛犬ならぬ狛魚を眺める。豊川稲荷神社の赤い鳥居に引き込まれ、狐に挨拶をし、麗しき宝篋印塔に見入る。インドのアショカ王に因むこの供養塔には、梵字(サンスクリットの文字)が記されている……。
そして両親が手を合わせていた仏像に手を合わせ、麗しき弁財天にご挨拶。詳細を綴れば尽きぬ、この名島神社周辺だけでも、物語が詰まっている。次回の一時帰国時には、もう少し下調べをして再訪したいと思う。香椎宮や宗像大社あたりにも興味が沸く。玄界灘は、深いなあ……。
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