🥞高度経済成長期の昭和40年、福岡に生まれた我。外食産業も急成長の時期。ハイカラを好んだ両親に連れられ、新天町「ロイヤル」(ロイヤルホスト前身)によく訪れた。江頭匡一氏によって創業されたロイヤルは、米国のダイナーに着想を得たファミリーレストランの先駆け。
🥞機内食、セントラルキッチン……江頭氏の指揮で時代を先取り。パンケーキにハンバーグステーキ、グラタンにドリア……。5歳か6歳のころ、生まれて初めて「イタリアン・ピザ」を食したのも新天町ロイヤル2階だった。
🥞オレンジジュースといえばバヤリースの時代。米国直輸入の果汁100%のオレンジジュースは父の好物。母はショッキングピンクのゼリーがたっぷり入ったサンデーを。私と妹は、ストリベリーパフェやプリンアラモード、くり抜いたオレンジや、メロンの皮が器のシャーベット。
🥞我が初のアルバイトはロイヤルホスト九大前店。1984年高校卒業後の春休み時給430円。面接日「明後日までに暗記してきてください」と渡された分厚いメニュー、百を超える料理名と値段、添えるカトラリーや調味料もすべて暗記して初日に挑んだ。
🥞バイト初日は、左手にグラス3つ手首におしぼり、右手にグラス2つ「トレーを使わず」供する訓練。ディナープレートも左手に3枚。右手に最低でも一つ。複数テーブルを一人で担当。3秒以上停止は禁止。常に動いてコーヒーやお冷の補充。サンデーやパフェは自分で作る。
🥞店長曰く「ロイヤルホストには和食がありません。家庭の味には敵わないから。これは江頭の方針です」「スパゲティが硬か。茹でが足りんばい、と言うお客様がいらしたら、これが本場の味だと伝えてください」。「アルデンテ」というコンセプトを知らなかった昭和の日本。
🥞別のロイヤルホストのキッチンでバイトしていた高校時代の男友達。大半はセントラルキッチンで作られた冷凍物を再加熱し盛り付けるだけだから、調理はさほど難しくないという。そんな中「キッチンで、腕前が試されるメニューが2つあるっちゃん。何と思う?」
🥞考えるも結局わからず、彼が種明かし。「一番難しいのはパンケーキ。あれは、注文受けてから、自分で焼かないかんとよ。均等に焼くの、難しいっちゃん」「あと、サラダの盛り付け。立体的にせないかんと」「俺はどっちも、うまくできるようになったけどね」
🥞「俺、時給が決まっとうけんって手抜く奴、好かんっちゃん!」「私も! わかる〜。同じ時給でも、私たち、一生懸命働くよね」「仕事って、お金のためだけじゃないと思わん?」ロイヤルホストでの初バイトで学んだことは多い。自らの労働で糧を得るということ。
🥞初めてお給料を手にした18歳の春から40年。仕事に対する姿勢や熱意は、あのころと、今もさほど変わらない。数日前、「ロイホのパンケーキ」が話題になっている記事を見て、思い出した過去。40年の歳月を経て、変わらぬものがあることが、愛おしく思える。
🥞ロイヤルの創業者、江頭匡一氏の人生を描いた日経新聞の「私の履歴書」は極めて面白い。ご一読を。私も再読しよう。https://www.royal-holdings.co.jp/co/story.php
※写真と文章は関係ありません。😁
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。