気がつけば、インド菩提樹(PEOPLE TREE)の木は、古い葉をすべて落として、新芽を芽吹かせていた。この時期、木の実をついばむ鳥たちが無数訪れるのだが、今年は少し、少ないような気がする。
それでも、乾いた枝から、瑞々しく柔らかそうな、生まれたての葉を見られるだけで、ほっとする思いだ。季節の起伏が浅いこの土地では、うっかりすると季節の移り変わりを見損ねる。
季節に追われるのではなく、季節を追いながら、時間の流れを噛み締めながら、日々を過ごす。
先週は、夫関連のイヴェント2種。そのうちの一つは、我が家で開催された。
夫がバンガロール在住の同窓生(米MIT)を集めて、クラブを結成しようということで、他の同窓生と話を詰めていた。まずは一度、みなで集まるべく会を設けることになったらしい。
同窓生はバンガロールだけでも100名を軽く超えているようで、しかし何人集まるかわからない。とりあえず、数十名の出席はあるだろうと見込み、1回目は我が家で開催することにしたのだった。
MBA卒業生の集まりにせよ、以前勤めていた企業の集まりにせよ、積極的に参加することはあっても、自ら会を取り仕切ることはなかった夫。
このような役を買って出るのは珍しいことなので、妻としてもできる限りのサポートをしたい。
というか、当日のカクテルやディナーの準備は結局すべて、わたしの仕事なので、彼はただ「メールを送るだけ」ではあるのだが。
いつも「お笑いがらみ」な話ばかりを書いているので、せめて10回に1度くらいは夫のリスペクタブルな面、つまりは敬意を表すべき側面を書くべきだと思うのだが、なかなかその機会がない。
今日は、夫のおかげで、わたしの今があるのだということを、ちょっと書いてみる。
1996年に彼と出会って以来15年、彼のバックグラウンドや彼のキャリア、家族……すべてにおいて、わたしは、学ばされること、得ることの、連続である。
彼と出会ったからこそ見知ることのできた世界。そして今、インドに暮らす自分。彼と出会わなかった自分を、とても想像できない。
出自、学歴、職歴、すべてにおいて、「平均的日本人」の域を超えないわたしが、幅広く豊かに、世界観を広げられたのは、ひとえに彼のおかげである。
彼と自分の違いを、初めて、そして決定的に認識したのは、出会ってまもないころのことだ。
あるとき、彼がわたしになにげなく、尋ねた。
「ミホ、君は大学時代の休暇に、どんなパートタイムジョブ(アルバイト)をしていたの?」
「え? 主にはね、ウエイトレス。最初にやったのがロイヤルホストっていうダイナーみたいなところでね。メニューとか全部覚えなきゃならなくて、たいへんだった。でもね、サンデーとかのデザート類を自分で作れるのが楽しかったよ。
あと、ステーキハウス(厳密には釜飯と鉄板サイコロステーキの店)で働いたこともあったな。普通女性は、トレーを1つしか持てないんだけど、わたしは男子並みに一度に2つも持てたから、重宝されたの。
あとは、イヴェントの手伝いとかもやったし。そうそう、玩具店でも働いた。よりによってクリスマスシーズンだったから、そりゃもう忙しくてね。あれってかなりの肉体労働でさ。わたし、ラッピングもうまいよ!」
とひとしきり、熱を込めて自分のバイト話をしたあと、彼に尋ねた。
「で、アルヴィンドは、どんなアルバイトしたの?」
「僕は……、チューリヒのスイス銀行で仕事をしたよ」
へ? チューリヒの、スイス銀行?
それって、バイトですか?
おだやか〜な口調で、自慢するとかいう次元ではもちろんなく、非常に「あたりまえ〜」のことのように、学生時代のアルバイト経験を語る彼。
「釜飯とサイコロステーキセットのトレーを一気に2つ運べることを自慢している場合じゃないやろ、自分!」
と、哀しく自分に突っ込みながら、もはや、笑えたものである。
あれから幾星霜。
彼の世界に、彼のネットワークに、ぐんぐん侵入し、結婚前から数々のイヴェントごとにも同行し、まるで自分までもが米国の名門校で学んできたかのような余裕の態度を醸し出すまでに至った我。
彼のお陰で、自分ひとりでは決して知ることのなかったであろう世界を、経験できている。
しかしわたしは、自分の身の丈を知っている。自分のオリジンを忘れることなど決してない。
だからこそ、折に触れて、今ここにある自分に感謝しているし、羽目を外した行動をとらぬ堅実さを心がけている。その点においては、意図的に、努力をしている。
足るを知ることの、たいせつさ。
人は身の丈を見失ったときに、欲望が際限なくなる。目的を見つめるよりも、他者を羨むことに走り、自らが正体不明になる。自己が揺らぎ始める。
だからこそ折に触れて、自分が歩いて来た道を、振り返る必要があるのだ。
それは「個人」のみならず「社会」にも、そして「国家」にも、当てはまることだと思う。
っていうか、夫をほめている話をしていたはずなのに、なにやら自分をほめている気がするのは、気のせいか。
そんな次第で、金曜夜。30人のゲストが来る予定だが、多分当日、減るであろう、しかし、一応30人分を、ということで、カクテルや食事の準備をする。
年齢層が幅広く、企業エグゼクティヴも多いとのことで、料理のメニューに少々頭を悩ませた。食べ物の話は裏ブログ(『胡蝶の夢』)にて記しているので、ここでは敢えて書かぬ。
ともあれ、30人分の仕出し。それはかなりの体力勝負であった。
さて、ゲストはそれぞれに初対面の人が大半で、最初は少々、フォーマルなムードであったが、そのうち、みなリラックスしはじめた。
ただ、思ったほど皆、飲まず、あまり食べず、このような会合では会話が主体である。
スナックやドリンクをサーヴしながら、わたしもゲストみなと言葉を交わす。皆が日本の震災を気遣ってくれる。
ゲストには、日本人の知るところでは、トヨタ・キルロスカ・モーターのヴィクラム・キルロスカ氏も訪れた。
以前、彼の邸宅に招かれたこともあるし、新車の発表会などで顔を合わせたこともあったが、じっくりと話をするのは初めてのことである。
とても気さくで、話の楽しい方だ。同席していたケララ出身の男性と、二人して、ケララがインドにおいて、いかに重要な地であったかを、滔々と説明してくれた。
ケララは遠い昔、インドで初めてキリスト教徒やムスリム(イスラム教徒)、ジュイッシュ(ユダヤ教徒)など、世界各地の人々が訪れた地ということも、初めて知った。
ケララについて、もっと知りたいと思わされたひとときであった。
食事のあとは、みな、外に出てデザートを食し、そのあと、今後の「クラブ活動」に関する会議に突入。やたらみな、真剣に会話をしている。
夫を含め、数名がスピーチし、盛り上がっている様子である。が、わたしはもう、疲労困憊となっていたので、途中で退席した。しかし、その後も延々と、皆で意見交換を行っていた。
バンガロールにおけるMITのクラブ。いい感じで結成されそうである。ビジネスにおいて、ネットワークがいかに重要であるかはもう、米国在住時から、強く認識しているところだ。
特にインドにおいてはよりいっそう、「社交」がビジネスの鍵であることをつぶさに見て来た。夫が新しくはじめたことが、これから新たなつながりを育み、世界が広がることを願うばかりだ。