年が明けても、まだ自由に空を飛べない日々が続く中、自分の中の旅情がピークに達している。昨日は、ここバンガロールの好天を有難がっていたが、しかし「高原の気候のよさ」を満喫するにも限度がある。
頬を突き刺す冷風に吹かれたい。
灼熱の太陽に、汗を流したい。
新年早々、若いころの記録を紐解いた。そこには「無謀」で「リスクの高い」ことばかりをしていた自分の本質が眠っていた。思えばあのころ、「リスク」なんて言葉を使ってもいなかった。前例のないことばかり、していた。
人に相談など、ほとんどしなかった。たまに相談したら、反対されるばかりだったから。学生時代、父親と、どれほど言い争ってきたことか。なぜあんなに悉く、反対されていたのだろう。いまだによくわからない。
実は昨日、とある場所へ国内一人旅を決めていた。夫の同意を得たので、フライトやホテルを予約した。しかし、夜になって気が変わったのか、反対してきた。ワクチンを打ってからにしなさいと。「緊急ではない旅」でないのなら、やる必要はない。夫の言うことには一理ある。
でも、それを言うなら、命に関わること以外の旅は、なにもかも、緊急じゃないのでは? 世間はこんなに、動いているじゃない!
インドの感染者状況を見るに、わたしは、大丈夫だと思っている。夫が引き留めなければ100%決行していた。しかし、彼の反対を押し切ってまで、出かける理由もない。わたしの感情レベルでは、「緊急」なのだが、それを言っては大人げない。
今朝、キャンセルの手続きをしながら、果てしなく深いため息が出た。悩みに贅沢もなにもない。人それぞれに、人それぞれの衝動。どんなに家が快適で、夫がいて、猫がいて、おいしいもん食べられて、自由に過ごせても、それは理想ではない。
非日常の不自由な場所を彷徨い歩き、見たこともないものを見、会ったことのない人と会い、聞いたことのない話を聞き、それを記録することが、この上なく楽しいのだ。……ということを、再認識した朝である。
* * *
それはさておき、亡父の形見の万年筆で、手漉き紙に記録を書き始めてから、その書き辛さを超えて、ここ数日は、本当に心地がよくなってきた。こうして写真に撮っているページ以外にも、あれこれと書き留めるのに、昨今ではパソコン上で入力していたことを、手書きにするようになって、明らかに思考回路に変化が見られる。
万年筆のインクの補充にも慣れてきた。
先日ちらりと言及した、高校時代の「新倫理・社会」の教科書。年明けから書き続けていることの根底は、すべてが共通している。自分の中でそれを整理できていないので、備忘録も兼ねて、こうして要所要所をソーシャル・メディアに公開している。
教科書の導入にある、このシンプルな「大切な3点」。簡単そうに思えるけれど、自分のライフに反映させるのは簡単ではない。
・自ら考えること。
・先人に学ぶこと。
・多くの人と話し合うこと。
心に刻もう。
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