昨日からの、季節外れの雨が、目覚めてなお降り続けていた朝。パソコンを立ち上げ、ニュースを見れば、気持ちが塞ぐ出来事が溢れ出る。午後になり、晴れ間が見えた。課題をこなせず、庭に出れば、雨に洗われた瑞々しい緑。
14年前、ここに引っ越してきた直後、庭の西側はITCテックパークの広大な森が、南側には昔ながらのバンガロー(一戸建て平屋邸宅)を取り囲む、やはり広大な森があった。朝な夕なに、赤や黄色や緑、あるいは赤い帽子を被った黒い小鳥がやってきた。カッコウもいた。キツツキもいた。リスもたくさんいた。
わずか10年の間に、周辺は激変した。
西側。かつてタバコ工場だった建物を全て取り壊し、樹木を悉く伐採して、ITCテックパークは近代的なビルディングに生まれ変わった。
南側。バンガローは取り壊され、森の樹木は「すべて」伐採されて、今、高層アパートメントが建設中だ。なぜ、すべての樹木を伐採する必要があったのか。今でもわからない。
我が家の方にまで、その枝をせり出していた印度菩提樹があった。釈迦が、その袂で瞑想し、悟りを開いたとされる木。ピーパル・ツリー。
樹齢は数百年だろう。毎年2月ごろ、大量の葉を落とした。それから瑞々しい葉っぱが次々に現れ、3〜4月になると、実をつけた。それを鳥たちがついばみにきた。枯葉の掃除がたいへんでも、それは季節感が緩やかなバンガロールにおいては、四季の移ろいを感じさせるものだった。
5年前、整地が始まった。書斎の窓から塀越しに、次々に伐採される樹木を眺めて心が軋んだ。この隅っこにある菩提樹は大丈夫だろうと、祈るような思いで日々を過ごした。最後の最後まで残った菩提樹はしかし、伐採されることがわかった。
印度菩提樹は仏教だけでなくヒンドゥー教でも聖なる木として崇められている。寺院の庭に植えられていることも多々ある。むやみに伐採してはならないという風潮もある。故に残されるだろうと信じていたが、ダメだった。
ある朝、メリメリメリ……ド〜ン! という音を立てながら、印度菩提樹は、次々に、大きく伸びた枝を落とされた。やがて、書斎の向こうから眩い陽光が差し込んできた。視界を遮るものない、広い青空が、悲しいほど眩しかった。
* * *
わたしは、「切り株から芽が出ている」、すなわち萌芽の様子が好きで、今回もアーユルヴェーダグラムの庭にあったそれを写真に収めた。これからどんな風に伸びていくのだろうと想像する。うまく想像できない。
そして、9日間の滞在を終えて翌朝。隣の敷地とのパーティションの向こうに伸びる緑に目を見張った。
印度菩提樹の葉だ!
切り株が、残されていたのだ!
今までみたことがないくらい、大きな葉っぱをつけている。急いで夫を呼んだ。思わず、二人で拝んだ。
伐採されて5年あまり。切り株の周りにはいくつもの新芽が萌芽し、ぐんぐん伸びているのだろう。
「根」が残っていたら、また生まれ変わることができる。
それをして、「萌芽更新」というらしい。今、調べてみて知った。
萌芽更新。なんて希望に満ちた言葉だろう。
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