今日は、アンベードカル博士の生誕130周年だ。ダリット(不可触民)の出自でありながら、学問を極め、教鞭をとり、法廷に立ち、印パ分離独立直後のネルー内閣でインド初の法務大臣を務め、インド国憲法の草案を作り、最晩年に大勢のダリットと共に仏教徒へと改宗したアンベードカル。
彼の存在なくして、今のインドはない。マハトマ・ガンディと並んで、現在のインドという国の基盤を整えた、偉大なる人物だ。
にもかかわらず、彼の名は、海外ではほとんど知られていない。わたしもまた、インドに移住して初めて知った。あの、街角でよく見かける、大橋巨泉風の人物画は、いったい誰なのか? 調べてみて、驚いた。彼の壮絶な生き様、偉業には、感嘆するばかり。
これまで、インドライフスタイル・セミナーでも彼については、必ず言及してきた。なお、昨年はロックダウンを機にオンラインセミナーを実施、Youtubeにもアップロードしている。多くの方に見ていただける環境ができた。
なお、アンベードカル博士を語る上で不可欠な日本人僧侶、佐々井秀嶺上人のことも、一人でも多くの日本人に知っていただきたいと、しばしば記してきた。今日も記す。
インドにおいて半世紀以上にも亘り、壮絶なまでに身を賭して、虐げられし人々を救済し続けている佐々井秀嶺上人。上人の足跡をもまた、動画で語っている。ぜひともご覧いただければと思う。#Jaibhim #जयभीम #AmbedkarJayanti
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🇮🇳インドライフスタイル・セミナー〈必修編〉
南天竺を舞台に2000年の時間旅行。インド憲法の草案者アンベードカルと仏教/壮絶な使命を遂行!
半世紀以上に亘り、虐げられし民を救済する僧侶、佐々井秀嶺のすさまじき半生。
この歳月の連なりと、佐々井秀嶺上人の数奇な命運を思えば、90分なんて、ほんの一瞬です。堅そうなテーマながら、資料をわかりやすく編集し、懇切丁寧にお伝えしています。一人でも多くの方に、「最後まで」ご覧いただければ幸いです。ご希望の方には使用した資料(pdf)をお送りしますので、坂田までメッセージをお送りください。
【CONTENTS】
●導入/ファシリテーター柴田氏もナーグプルを訪れていた
・本セミナーに連なる坂田の過去3回のセミナーの簡単な振り返り
●仏教の概要(アンベードカルと佐々井秀嶺上人を知るために必要な最低限の情報)
・仏教のはじまり(初期仏教)
・仏教の源泉と広がり(上座部仏教/大乗仏教)
・日本に伝来した仏教。その背景
・仏教の教え(苦の輪廻からの解脱)
・インドにおける仏教(誕生と繁栄、衰退、そして復興)
●アンベードカルについて
・アンベードカルの略歴、活動とその偉業の断片
・アンベードカルとガンディ。カースト制度をめぐる対立
・インド国憲法と、晩年の仏教改宗
●インドの中心点、ナーグプルの奇跡
・ナーグプル市は仏教徒が非常に多く、識字率が高い
●龍樹の啓示を受けてインドに半世紀余り。佐々井秀嶺
・佐々井秀嶺上人の略歴
・南天龍宮城へ行け。龍樹のお告げ
・坂田の祖母の話
・龍樹(ナーガルジュナ)とは?
・大日如来とは? 南天鉄塔とは?
・佐々井秀嶺上人の主な活動
●仏陀聖誕祭、佐々井秀嶺上人にご同行/坂田マルハン美穂、ナーグプル旅
・佐々井上人によって発掘された2000年以上前の仏教遺跡「マンセル遺跡」
・早朝から深夜まで。仏陀聖誕祭に因んでのイヴェントにご同行
・佐々井上人のことば
●佐々井秀嶺上人の現在/2020年に新型コロナウイルスに感染されるも、使命を遂行されている。ご縁を受けた者に、なにができるのか。
*動画内で、アンベードカルの仏教改宗をして「新仏教」と表記していますが、これは英語 "Neo Buddhism" を訳しての表現です。佐々井秀嶺上人の活動は純然たる「仏教」であり、伴って改宗した人々も「仏教徒」と認識されるべきだとのこと。敢えて表現するならば「仏教の復興」とされるようです。
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✒️以下はセミナーの開催前にシェアした、坂田の個人的な背景を綴った記録
資料を紐解くにつけ、目に見えぬ糸で操られ、南天竺に流れ着いた気さえする。
インドで生まれた仏教の変遷。憲法の草案者アンベードカル。ダリット出自の彼が仏教に改宗した背景。
その偉業を引き継ぐように、龍樹のお導きで、佐々井秀嶺上人がナーグプルにたどりついて半世紀余り。
日蓮宗の藤井日達上人と近かった我が父方の祖母、坂田政子。ゆかりの資料や写真を見るにつけ、ご縁を感じてきたが、自分が年を重ねるにつれ、すべては定められた道の上を歩いてきたに過ぎないのかもしれないとの思いが強くなる。
建設業者だった父の泰弘は、福岡県久山町の仏舎利塔建立に携わった。
1988年に日蓮宗の平和行進(長崎ー広島)が行われた際には、道中の福岡にある坂田の実家に、多くの日印僧侶が1日滞在、母や伯母たちが、寝食のお手伝いをさせていただいた。
1996年3月、わたしが表参道を猛スピードで歩いている時、すれ違いざま、占いをしているという男性に呼び止められ、「珍しい顔相をしている」「額から光が出ている」「今年は3回ある人生の転機のうちの一つ」「今年、強い縁がある」と告げられた。
その4カ月後の七夕の夜、インド人男性のアルヴィンド(サンスクリット語で蓮の花の意味)とカフェで相席になった。
そこからはもう、完全に、インドへと導かれていたと、今はそう思う。
初めてアルヴィンドと一緒に食事をした後、帰り際に彼から勧められた本が、ヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』だったことも。
彼の姉の名前がスジャータだということも。
結婚式を挙げるために訪れた2001年7月のデリーで、「こんな国、絶対に住めない」と思ったのに、3年後には住んでみたくなったことも。
自分でも理解できない熱意と執着で、嫌がる夫を説き伏せ、紆余曲折を経て、2005年11月に、インド移住を実現したことも。
2011年、ムンバイの日本山妙法寺で森田上人とお会いしたとき、上人は上記、平和行進を実現された人物だとわかったことも(その際、平和運動に熱心だった俳優スニール・ダット(サンジャイ・ダットの父)が同行されたとのこと)。
そして、2018年4月、『破天』を読んで、発作的にナーグプルへ行かねばと思い、折しも仏陀聖誕祭の日に、佐々井秀嶺上人とお弟子の竜亀さんと、行動を共にさせていただいたことも。
その年の一時帰国時、東京から福島の原発事故後の様子を見に行くつもりで唯一開けていた日。折しも佐々井秀嶺上人はブッダガヤ大菩提寺の返還運動のため日本にいらしていたことを知り、急遽、増上寺で再会させていただいたことも。
思い入れは尽きぬが、資料は客観的にわかりやすく整理している。語りたいことも尽きぬが、なんとか90分以内で、うまくまとめるつもりだ。
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