わたしたちは夫婦二人暮らし。子どもはおらず、親戚も少ない。この時期多い結婚式にも、今年は招かれていない。さらには年に数回の海外旅行も一切していない。過去8年間、週に一度オープンハウスにしていたSTUDIO MUSEもなければ、年に何回ものイヴェントも開催していない。
にもかかわらず、なんなのだろう、この歳月の流れのはやさといったら!
昨日は月に一度のYPOフォーラムメンバーとのミーティング。ITCガーデニアのミーティングルームは、天井が高く広々としていて快適だ。家族や親戚が多く、子どもたちのいる彼女たちの話を聞きながら、夫に手を焼いている自分は「甘いな」と、つくづく思う。エネルギーをもっと、有効に使わねば。
ミーティングのあと、夫と合流すべくバンガロール・クラブへ。英国統治時代に誕生した由緒ある社交スポーツクラブ。会員になるには条件が多く、更には数十年待ち……という中、バンガロール移住直後には家族会員に、その数年後に正会員になれたのは、昨年他界した、義父ロメイシュ・パパの手配のおかげ。
2003年の終わり。初めてバンガロールを訪れ、ここでファミリーフレンドに会ったときのことなどを思い出す。目を閉じれば、瞬時にあのひとときに戻れるほどに、このクラブの風情は変わらない。変貌著しい都市の只中で、ずっと変わらない場所があるということの、得も言われぬ安心感。懐かしさ。
ライブラリに入り、書籍の背表紙を眺めているだけでも、胸が迫る。わたしの生涯。理想や希望はさておいて、現実的に、なし得ることは、どれほどだろう。
夕暮れどき、夫とともに、義姉スジャータの一家が暮らすIISc(インド理科大学院)のキャンパスへ。ここもまた、初めて訪れた時と変わらぬ、鬱蒼の緑に包まれて、まるで森林公園のようである。
彼らとも久しぶりの再会。甥のナヤンと一緒に花火をする。インド移住前年、2004年のディワリは、家族親戚みんなが集まり、ここで花火をした。初めての爆音花火爆竹に驚愕し、インド、よくわからんと思ったあの夜を思い出す。
ロメイシュ ・パパも元気だったな。
花火を終え、食事をし、ナヤンと語り合う。7歳になった彼。地球環境問題や、動物や、宇宙に関心があるという。
この間まで、口数の少なかった彼が、あっという間にわたしの語彙力を上回っている。「それ、どういう意味?」と尋ねるアンティ。まずいぞ。
「ぼくは毎晩8時15分に寝て、5時45分に起きるんだ。まず、歯を磨いて、果物を食べて、それから少し、自転車に乗る。そして朝ごはんを食べる」
「ぼくは、身体にいいものをしっかり食べて、たくさん寝る。なぜなら寝ている間に、細胞がどんどん成長するからなんだ」
立派だ、ナヤン。
若い人たちは、ぐんぐんと伸びる。
未来を生きる若い人たちのために、横にしか伸びぬ我は、どんなにささやかでも、自分ができることを続けようと、改めて思う。
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