20代半ば、東京。大学時代から付き合っていたボーイフレンドに振られ、仕事だけが心の寄る辺だったころ。心開ける友人もおらず、唯一の娯楽は映画鑑賞だった。劇場で、自宅で。いったい何本の映画を見たことだろう。あのころ見た無数の映画もまた、今のわたしを育む大切な糧。 行きつけのレンタル・ヴィデオショップでふ...
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[インドはステキなものであふれている。略して「#インステ」シリーズ] 💃週に1、2回、続いているBollyqueのダンス。写真では「姿勢のよさ」で厚みあるミディアム・デブをごまかしているが、動くと実態が明るみに。「腹絞れ!」と思いつつも、なぜフィットしたものを着用しているかというと、ダンスをしている...
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🇺🇸今朝は月に一度のFM熊本収録。本日七夕は、夫との出会い25周年記念日なので、わたしたちの出会いのエピソードを話した。思えば、わたしがなぜインドに至ったのかは、過去14年で一度も触れなかった話題につき。 我々夫婦の出会いの話を聴いていたDJの長木さんが、「メグ・ライアンみたいですね」とおっしゃった...
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記念日続きのお祭りシーズン突入のマルハン家は、節目の年とはいえ、いちいち祝するのも手間なので、インド結婚記念日をそこそこちゃんとやろうということにして、昨夜は軽め。普段はマハラーシュトラ州ナシック産のスパークリングワイン、Chandonで満足のところ、昨日はいただきもののシャンパーン、Moëtを開け...
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*耐えがたい矛盾の横行。延々と続く福島の原発問題と、東京オリンピックが謳う「復興」 日本を離れて25年の歳月が流れた。2011年3月11日の、絶大なる天災と人災。母国へ寄せる信頼の気持ちが、大きく崩れた。何一つ解決せず、苦しむ人が大勢いる中、「アンダー・コントロール」という「虚言」のもとに、オリン...
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🌸NY編のテイラー・スイフトから一転して、ワシントンD.C.編はアンジェラ・アキの『サクラ色』。今回はヴァイオリニストのEMIKOさんにも参加してもらい、わたしはサリーを着ていないがSAREESによる演奏だ。 『サクラ色』は、アンジェラ・アキがワシントンD.C.で暮らしていたころの、物事がうまくいか...
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〈以下は2018年12月の記録。3年後の今、この思いをさらに強くした出来事があったので、転載〉 ●「この先の自分の人生の中で、今日の自分が一番若い」という言い回しを、昨今、よく耳にする。フェイスブックに現れた、9年前のこの写真を見てしみじみと、「言い得て妙だ」と思う。44歳だったときの、この自分は、...
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25年前の七夕、我々夫婦のNYでの出会いは「必然だった」と思わされる出来事の多さについては、幾度となく記してきた。そのひとつは仏教。我が父方祖母の日蓮宗信仰、父が建設を仕切った糟屋郡久山の日本山妙法寺仏舎利塔、ムンバイ日本山妙法寺の森田上人と我が実家とのご縁、そしてナーグプルの佐々井秀嶺上人とのご縁...
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本日7月18日。結婚20周年@インドを祝すべく、4月下旬のロックダウンから約3カ月ぶりに「外泊」しようと、TAJ WEST ENDに2泊3日の予約を入れていた。 英国統治時代に誕生した、バンガロール最古のホテル、ウエストエンド。タージグループの傘下に入って久しく、鬱蒼の森が魅力的な場所だ。16年前の...
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🍣マスク・コーデは寿司😸 新居向けの家具店にはすでに何箇所か訪れ、現在、実店舗4店、オンライン1店に絞り込んでいるのだが、もう少し選択肢を広げようと、一昨日の夜、ネットで検索。バンガロール郊外で手造りの家具を製造している工房を見つけた。あとでじっくり見ようと、インスタグラムのアカウントをフォローして...
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南天竺デカン高原バンガロールは、モンスーン・シーズンの只中で、曇天、雨、晴れ間の繰り返し。気温は20数度と涼しく過ごしやすい。毎年、この時節には「日本の夏は暑いけど、南インドはもっと暑いんでしょうね」的なことを言われ続けて幾星霜。「そうじゃないんです」と伝えても、あまりきちんと聞いてもらえない。 こ...
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去年の1月、デリーに暮らす義父ロメイシュ・パパが急逝した。葬儀などを終えて一度バンガロールへ戻り、2月。諸々の手続きや、家の片付けのためにデリーを再訪した。 冬のデリーは寒くて空気が乾き、大気も汚染されている。決して過ごしやすいとはいえないなか、無心で片付けをした。今後は、デリーへは頻繁に来ることに...
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