🙏闘病の末、38歳でこの世を去った、我が友人の小畑澄子さん。アントニオ猪木氏の訃報を目にして、瞬時に彼女のことを思い出した。
魂が自由に行き交っているであろう、黄泉の国。光に満ちた世界で、アントニオ猪木氏は、大勢のファンに囲まれていることだろう。その中には、きっと澄子さんの姿もあるに違いない。
以下の記録は、2001年12月15日に記したもの。ソーシャルメディアもブログもない時代、「メールマガジン」というものを発行していた。その記事を、米国時代のホームページに載せていたので転載する。
【坂田マルハン美穂のNY&DCライフ・エッセイ(Vol. 62) 12/15/2001】
●アントニオ猪木さん、ありがとう! 私も「闘魂」を心に刻み込みました
火曜日、ロサンゼルスに住む友人のRさんからパッケージが届いた。ワクワクしながら封を開けると、力強い筆致で「闘魂 アントニオ猪木」と書かれた色紙が入っていた。その両脇には、前回紹介した小畑さんの名前と彼女へのメッセージも記されている。
Rさんと小畑さん、私は共通の友人。Rさんが猪木さんと面識があることを私たちは知っていたが、それ以上の詳しいことは知らなかった。ところが、ちょうど小畑さんの家に行った日、帰宅してメールをチェックしたらRさんからメッセージが届いており、最近、仕事で猪木さんに会う機会が多いとの旨が記されていた。
Rさんもまた猪木さんの大ファンで、以前から猪木さんをはじめとするプロレスの話はしばしば彼女から聞いていた。以前はフィラデルフィアの公民館(!)へ、小川直也さんの試合にも連れていってもらったこともあった。試合後、公民館の裏で鍛え上げられた身体の小川さん(すごくかっこよかった!)と立ち話をしたことが忘れられない。
というわけで、猪木さんに迷惑がかからないようであれば、小畑さんへのサインを頼めないものだろうかとメールを送ったところ、Rさんは快諾してくれ、サインだけでなく、「元気ですか~!」に始まる声のメッセージ、トレーニング中の猪木さんの「生写真」も同封して送ってくれたのだ。
サイン入り色紙をしみじみと眺め、椰子の木の下で長い棒(「闘魂棒」と言うらしい)を持ってトレーニングしている姿に見入り、西海岸の海風の音込みのメッセージを何度も聞いた。ファンじゃない私までもが、エネルギーをもらっている気分になった。
翌日、近所の額縁屋に色紙を持っていき、ちょうどいいフレームを作ってもらった。家宝になること間違いなしやね。そして木曜日。小畑さんと、もう一人の友人M子を招いての鍋パーティーの日に渡すことにした。
何でも小畑さんは数日前に風邪気味になり、白血球が下がっていることから数日入院していたらしいのだが、検査の結果、がんの病状自体は好転しているようで、ドクターから「小さくなることはない」と言われていた肝臓部に転移していた大きめのがんが、早くも半分ほどの大きさになっていたという。
我が家を訪れた彼女は、顔色もよく、元気そう。サーモンやエビを入れた「海鮮鍋」を皆でおいしく食べたあと、いよいよプレゼントの時間。
猪木さんの声に、サインに、写真に、彼女はもう、大感激。
「今、がん細胞が一気に消えた気がする!」
「もう、ものすごーく力が湧いてきた!」
と、しばらく興奮状態で、私もM子も、とてもうれしい気持ちで彼女を見守った。
「私はね、小学5年生のときからもう、ずーっと猪木さんのファンなのよ!」
と、まあ、正直言って、普段であれば周囲がひいてしまいそうな盛り上がりようだったが、状況が状況だけに、「よかったよかった」という気持ちでいっぱいだった。
アントニオ猪木さんとRさんに、心から感謝する。
たとえ間接的にでも、こうやって、ものすごいパワーで人を力づけたり励ましたりすることのできる人というのは、本当に偉大だなあと痛感させられた出来事だった。
◉生命力/小畑さんがアントニオ猪木に支えられていることを知った日のこと(後半)
http://www.museny.com/essay%26diary/mag61.htm
🌸ワシントンD.C.の桜に、亡き友、小畑澄子さんを思う。
https://museindia.typepad.jp/library/2021/03/sumiko.html
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