バンガロールには、市内/郊外にいくつかのゴルフコースが点在する。年中、心地のよい気候につき、ゴルフをしやすいとも思われる。無論、わたしも夫もゴルフをしないので、詳しいことは、わからない。 昨日は、バンガロール旧空港の近くにあるKGA(カルナータカ・ゴルフ・アソシエーション)を訪れた。1973年に創設...
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昨日もまた、ディワリ・パーティに招かれた。お預かりしている京友禅サリー2枚のうちの、もう一枚。白地に赤い牡丹。清楚とダイナミックが共存するサリーだ。このサリーについては、また後ほど詳しく紹介したい。 さて、マリーゴールドをはじめとする花々で彩られた邸宅。お茶やお菓子をいただきながら、友人らと言葉をか...
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住み慣れた大好きな街、ニューヨークを離れて、わたしは2002年、夫の暮らすワシントンD.C.に引っ越した。2001年7月に結婚した当初は「遠距離結婚」と決めていたが、9月11日に米国同時多発テロが発生したのを機に、人生の優先順位を見直した結果だった。 3年余りのD.C.生活は、決していい思い出ばかり...
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以下、超長文ですが、バンガロールの新しい玄関口に関する話題につき、ぜひ読んでいただきたい内容です。 (I nearly always write in Japanese, and the auto-translation is often incorrect and misleading.) インド...
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パンデミックの影響で、不自由だった過去2年。しかし今年はもう、インド世間は従来に増して、ホリデー気分が盛り上がっている気がする。実際のところ、先ほど確認するまで、本当のディワリーの日程を把握していなかった😅 ヒンドゥー教における新年のお祝いであり、美や富、豊穣を司るラクシュミーという女神を崇める祝祭...
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🇯🇵日本から来ました! 欧州発、日本経由インド。旅するマジョリカ・タイル。 Made in Japan. From Europe, India via Japan. Traveling majolica tiles. https://museindia.typepad.jp/library/2021...
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📷Professional work プロの仕事。(日本語は下部) I wore a "Kyoto Yuzen Saree" to the Diwali party the other day. The photos taken by the photographers were sent to m...
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夫の亡母の兄である、Ranjit伯父、そしてNina伯母の家に招かれた夜。大家族が多いインドにあって、夫の家族や親戚は非常に少ない。夫の唯一の従兄弟であるAdityaとTanuも合流し、6人での会合。たぶん10年ぶりだ。当時はまだ子供だった従兄弟夫婦の娘たちは、今、米国の大学に進学している。 これま...
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昨日はランチのあと、3時を回って夫と二人、出かけることにした。友人のDevikaのFacebook投稿で知ったアーティストの展示会を見ようと、まずは開催場所のインド国際センターへ。広大なロディ・ガーデンにほど近いこの界隈は、国際機関やアートディストリクト、閑静な住宅街がある緑豊かなエリアだ。 さて、...
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インダス文明の時代から、サリーはインド亜大陸に暮らす女性たちの身を包んできた。その土地その土地、独自の様式による染色や織りなどの技法が用いられた約5メートルの一枚布は、以来4000年以上、変容を続けながら衣類としての歴史を刻んでいる。 刺繍や絞り染め、筆画……と、布を彩る無数の技。中でも、インド移住...
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1週間は短い。しかし、ホリデーシーズンの合間を縫うように、今回デリーを訪れて、本当によかったと思う。忘れたくない出会いや出来事が続く。その一つ一つが繋がっていると思うと、どれも大切に記録を残しておきたいとも思う。 少し家の片付けをしようとも思っていたが、そんな隙間はほとんどない。今回は、人にお会いす...
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一昨日は、改めて伯父(夫の亡母の兄)の家を訪れた。パンジャブ地方、現パキスタンのラホールを出自とする、夫の母方の歴史を取材するためだ。これまでも、英国統治時代から、インド・パキスタン分離独立を経て、インドで事業を起こし、政治や経済に関わってきた曽祖父や祖父の偉業を聞いてきた。聞くにつけ、関心は深まっ...
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前回の記録に記した夫の母方の祖父は、晩年をデリー近郊のファリダバードで暮らしていた。心臓病を患っていた祖母は、ロンドンの病院で、すでに他界していた。「死ぬときには、妻の近くで死にたい」と言っていた祖父は、ロンドン旅行中、「見事な死」を遂げる。ドラマティックな祖父の物語の一部は、下記の長大なブログに記...
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