インドとは、乳製品王国である。インドの牛乳はおいしい。と、わたしは思っているのだが、そうは思わない人、またそれに気づいていない人もいるようで、折に触れてこのブログでも紹介して来た。 しかし、過去に数回紹介したからと言って、この膨大なブログの記録からそこへたどりつく人は少ない。 ということで、改めて、... Read more →
5年前、わたしの背丈より少し高く、わたしの太もも程度の「細さ」だったヤシの木が、今や5階に到達する高さ、小錦の胴回りを遥かに超える太さとなった。 隣の敷地の樹木らもまた日々成長。そのうちの1本(といっても大きな3本の枝に分かれている)が我が家の庭にせりだし、気がつけば、庭の3分の1ほどもが「木陰」と... Read more →
濃密だった一週間が終わろうとしている。 毎週、月曜日の昼の2時間は英語の家庭教師。最初は週2回でお願いしていたが、このごろは1回が精一杯。自分で自宅学習しなければ、英語力が伸びないのはわかっているのだが、これがなかなか。 英語に関しては、子どものころにきちんと身につけておきたかったと、折に触れてしつ... Read more →
土曜日以来、連日、一面に報道されているフランス人の父親の、幼女虐待のニュース。彼、パスカルとその妻スージャの名前は、新聞紙面、テレビ、ネットで流布されており。 フランス大使館は、パスカルに対して特別な処置をするでもなく、インドの警察にその処罰を任せる意向のようだ。 従っては、パスカルは昨日、逮捕され... Read more →
20120525 報道ステーション・徹底検証:福島第一原発4号機 from soraris9000 on Vimeo. Read more →
本日、OWC (Overseas Women's Club)が主催する月に一度のロードトリップに参加して、バンガロールの郊外にあるウイスキー蒸留所へと赴いた。 AMRUT。サンスクリット語のAmrita(アムリタ)、即ちネクターに因んだ名を持つウイスキー。このウイスキーのことは、これまでも幾度か記し... Read more →
今日は久しぶりに「超ローカル」を目指すべく、ローカル探検隊の決行! のはずであった。しかしながら、今日ほど「微妙……」な店もなかった。 すでに16回目となる今回の探検。目的地はバンガロール市街西部のマレシュワラムという、昔ながらの南インドなムード漂うエリアだ。 数年前にバンガロール最大の「マントリス... Read more →
瞬く間に1週間が過ぎて、本日もまた「サロン・ド・ミューズ」の午後である。 ミューズ・クリエイションの「チーム食」が集っての、本日はクッキングクラス。 思えばインド移住直後は、デリーの実家の使用人の親戚であるところの家政夫かつ料理人だったモハンが住み込みで働いていた。 いろいろとあり、1年半後には故郷... Read more →
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【カシミールを旅する契機となった出会い】 これまで公私に亘り、様々な土地を旅して来たが、今回ほど、その地の天然自然の観光に留まらず、歴史的背景や人々の暮らし、現在の情勢、そして未来について、思いを巡らせる旅はなかったと思う。 今回の旅の主催者であるデヴィカとは、数カ月前に初めて出会った。 実際、今回... Read more →
出発の前夜。眠る直前に夫が言った。 「僕も、カシミール、行こうかな」 「は? 何言ってるの? 明日の朝、早いんだから、寝せて。おやすみ」 「僕、本気なんだけど。月曜のプレゼンの準備が早めに終わったし、スリナガールだけでも行きたいな。明日、デヴィカに聞いてくれる?」 1カ月前に誘った時には、「工芸品?... Read more →
本日。7月7日七夕。わたしたち夫婦の出会い記念日である。 出会って16年。かなりの歳月が流れたが、しかしどんなに月日を重ねても、善くも悪くも退屈させられることのない、わが夫の存在感。 彼との出会いがわたしをこの国に導いてくれたことには違いなく、今がそれなりに楽しいと思える日々を送っている人生。縁、出... Read more →
【予定変更で災禍転福! グルマルグまで、ピクニック小旅行】 6月29日(金)。この日もまだ、スリナガールの街は閉鎖状態。現地でコーディネートをしてくれているレヌカとアビール、そしてデヴィカが検討の末、今日は郊外へピクニックへ行くことになった。 工芸品巡りだけでなく、大自然を見に行きたがっていたアルヴ... Read more →
6月30日土曜日。スリナガール巡りの最終日だ。 朝。ホテルの窓の外から、賑やかな声が聞こえて来る。カーテンをあければ、そこには制服姿の子どもたち。 隣の建物は、学校だったのだ。寺院の火災が発生して以来、数日に亘って休校となっていた学校も再開。この日は、幸い、街全体が、日常を取り戻した。 わたしたちは... Read more →
【スリナガールのツアー終了。みなと別れを告げ、次なる旅へ】 7月1日(日)。この日で、スリナガールにおけるハンドクラフトツアーは終了。ここから先の2泊3日は、デヴィカが個人的に、関心を持ちそうな人にだけ声をかけての、プライヴェートな旅だ。 彼女が羊飼いの女性たちを支援すべくプロジェクトを行っているの... Read more →
【ひさしぶりに、ひとりでのんびりの、有り難き朝】 7月2日(月)。この日は、亡父の誕生日である。 この日、かような場所にいられることを、そこはかとなく、有り難く思う。 朝、ナイチンゲールのさえずりで目を覚ました。この時期のカシミールは、日照時間が長く、早いうちから朝日が昇っていたようだ。 それにして... Read more →
7月3日(火)。この日も、熟睡できた。荷造りをすませ、ナイチンゲール(写真の鳥)の声に見送られてホテルを出る。 デヴィカはあと数週間、パハルガム(ペヘルガム)に残り、プロジェクトの作業を行うという。彼女には、夫と二人の娘がいるが、彼らは妻、そして母の留守を守っているという。 デヴィカとラムニークに別... Read more →
【1996年7月7日の出会いから連なるインドに住むわたし】 6月30日の米国版結婚式は忘れていたが、出会い記念日は、さすがに忘れなかった。なにしろ、七夕だもの。 出会って16年もたつと、その祝し方も徐々に手抜きになってしまうところだ。 外食に出かけるのも、今ひとつ気が進まず、自宅でインド産のスパーク... Read more →
蓮の花には、降り注ぐ陽光が必要である。ということを、改めて知るここ数日。 年々、すさまじい勢いで隣の敷地からせり出していた、大いなる樹木の枝。我が家の庭の半分ほどが木陰となり、芝生も花も、育たなくなっていた。 先月、大掛かりな伐採を行い、庭に空が戻った。日差しが庭の緑に降り注ぎ、もう1年以上開花して... Read more →
昨日、デリー近郊のグルガオンにあるマルチ・スズキのマネサール工場で、人事を巡る暴動が発生。 暴徒化した従業員が工場に火を放ち、人事部長だったインド人1人が死亡、日本人役員2人を含む約90人が負傷するという事態に発展した。 スズキは、日本企業の中で最も早い時期の1981年、インドに進出。インド政府との... Read more →