ボンベイ(ムンバイ)では「冴えない」弁護士だったガンディ。仕事で南アフリカに渡った際、人種差別を目の当たりにしたことから、民族主義に目覚め、公民権運動に身を投じる。20年以上の歳月を経て故国へ戻ったガンディは、インド全国を列車で旅し、その広大な国土、膨大な人口、それを支えるべき農作物や手工芸品の重要...
Read more →
昨日の午後、1年ぶりのムンバイに到着した。3泊4日の滞在だ。去年もちょうど同じ時期、ここに来た。初めてこの地を訪れたのは、米国在住時の2003年。捉えどころのない混沌、歴史の重さと文化の深さ、業が渦巻くこの土地に心を奪われた。超絶なる貧富の差。過去と現在、複数の時代が同時進行で流れるが如き異次元の共...
Read more →
南ムンバイのフォート地区。英国統治時代の面影を残すこの一帯は、商業、文化の集中するエリアでもあり、森羅万象、密度が高い。昔ながらの書店、雑貨店、衣料品店、飲食店、文具店にコピー店、露店などがひしめき合う中、モダンなブティックやお洒落なレストランが突拍子もなく現れる。 黒いスーツがお似合いの、長身でハ...
Read more →
パールシーとは、インドに暮らすゾロアスター教徒のことだ。イスラム勢力の攻勢によりササン朝ペルシャが滅亡した西暦936年ごろ、ペルシャ(現在のイラン)から西インドのグジャラート地方に逃れてきた人々が起源だ。彼らは辿り着いたグジャラート地方のある土地で、その地を治めるマハラジャから、先住の人々と協調して...
Read more →
🇮🇳本日午後、バンガロールへ戻ってきた。昨日は終日、雨。主にはホテルで過ごした。ランチを終えたあと、部屋に戻って読書をしつつ、買ってきておいたスパークリングワインを開ける。至福のひとときだ。しかし、平穏な時間は束の間、クリケットのW杯準決勝でインドがニュージーランドに敗れた直後、夫が部屋に戻ってきて...
Read more →
昨日は、バンガロール市街北部、国際空港にほど近い場所にある日系企業、アマダインディアへ赴いた。 ミューズ・クリエイションは久しく、在バンガロールの日系企業のCSR(Corporate Social Responsibility/企業の社会的責任)に関して、支援先の情報提供などをする旨、ホームページで...
Read more →
2013年から「ミューズ・リンクス主催」として、定義付けてきたインド・ライフスタイルセミナー。頻繁に実施できるわけではないから、多くの人に伝えるのは難しいと思ってきたが、気がつけば43回目。これは自宅で開催するものだけを数えているので、一時帰国時の勉強会や講演会、クライアント向けや外部主催のセミナー...
Read more →
一昨日、ミューズ・クリエイションのメンバー、そしてバンガロールにある日本の総合病院、SAKRA WORLD HOSPITALのマネージング・ディレクターの方とともに、バンガロール市街東部、ホワイトフィールドにほど近い場所にあるホスピス、Bangalore Hospice Trust - Karuna...
Read more →
異国に暮らし、異国を旅するにつけ、なるたけ偏りの少ない視点から、歴史を学ぶことの大切さを実感する。学生時代、日本史にも世界史にも大して関心を持たなかったわたしが、しかし社会人になり、海外旅行のガイドブックを制作する編集者になってからというもの、紹介する国の背景について、学ばざるを得ない状況になった。...
Read more →
今月は自宅開催でのセミナーが3本。小規模ながらも、いずれも濃いものになるだろう。 以前は「若者向けグローバル・キャリア勉強会」としていたものを、今回からは「異文化コミュニケーション勉強会」と表現することにした。すでにキャリアのある人にとっても、あるいはこれから先、子どもを育てる人にとっても、参考にな...
Read more →
昨日は、『インドのテキスタイルとサリー講座』と、『異文化コミュニケーション勉強会』という、かつてない組み合わせでセミナーを実施した。 サリー試着も楽しめる講座は、普通、女性を対象に平日実施しているのだが、今回は、JICAの青年海外協力隊よりバンガロール近郊の養蚕農家支援に派遣されている男子2名からの...
Read more →
8月15日朝6時30分。拙宅に隣接するITCテックパークから大音響で流れてくるインド国歌「ジャナ・ガナ・マナ」の旋律に叩き起こされた。インドの詩人であり思想家、作曲家でもあるラビンドラナート・タゴールによって作詞作曲されたとても美しい曲だ。 しかし、国歌斉唱するには早すぎる時刻。毎年のこととはいえ、...
Read more →