8月。日本も、インドも、殊更に戦争の匂いが強い時節。 昨日は、インド国憲法の草案者であるアンベードカルに因む書物を読もうと、日本のアマゾンから取り寄せたまま、未読だった2冊を書棚から取り出す。一冊は『夜明けへの道』という児童書。1993年に初版発行されたもので、アンベードカルの生涯、そして彼の遺志を...
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所用でバンガロール市街の西側へ。久しぶりに、「レインツリー」と呼ばれるブティックを擁したバンガローを訪れた。ここはインド移住当初からお気に入りの場所。 バンガロールがまだ「ガーデンシティ」と呼ばれていたころ。今から20年余り前までは、街全体が樹木に覆われ、だから夏の最中でも、涼しい歩道を歩くことがで...
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バンガロール郊外にある日本企業による総合病院、SAKRA WORLD HOSPITALからのご依頼を受け、今日は、ミューズ・クリエイションのメンバーとともに同院を訪問した。ミューズ・クリエイションでは、基本的に非営利の慈善団体を訪問するのが常である。病院とはいえ私企業。どのような名目で訪問すべきか、...
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過去十年以上に亘りお世話になっている、アーユルヴェーダの名医、ドクター・マンモハンの言葉だ。 「医者は薬などで一時的には病気の苦痛を取り除いてくれるが、その結果、人はかえって病気の原因(不摂生や油断)を戒めることを忘れる。よい薬、よい医者によって、肉体的苦痛を簡単に一時的に治してもらって健康になった...
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学生時代、49歳で死した夏目漱石をして、当時の日本人の平均寿命は40歳代前半だった……ということを、教授から聞いて、衝撃を受けたことを思い出す。 新生児死亡率が高かったがゆえの平均寿命の短さということもあるが、ともあれ人生100年時代と言われる昨今から思えば、隔世の感あり。1947年を過ぎてようやく...
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わたしの経験した限りにおいてだが、ドクターにしても然り。歯科医、婦人科医、獣医(!)、そして今回の皮膚科医……。万一、具合が悪くなったら、いつでも連絡をくださいと、言ってくれる。やさしい。それだけで心丈夫というものだ。無論、ドクターたちは、休む暇がなく、たいへんだろうけれど。 一昨日、皮膚科医を来訪...
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I have arrived my home town Fukuoka, via Hong Kong airport. This is the beginning of an annual trip to Japan. 母の住む家からの眺め。多々良川河口あたりの夕映え。 バンガロール空港のラウンジ。...
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Massive Typhoon Hagibis is approaching Japan over the weekend. Fortunately, my hometown of Fukuoka, where I'm currently staying, seems to be without m...
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Due to Typhoon Hagibis, it was very windy today, so I stayed at home. I was just like “KonMari” today. My mother's atelier was almost abandoned for 15...
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濁流に浸かる無数の家屋の映像と、ラグビーの勝利で歓喜する映像とで、気持ちの置き場が定まらず、夕べは夜更かしすることなく寝た。 今日は、午後から下関へと向かう。明日、母校である梅光学院(旧梅光女学院大学)で講演を行うため、1泊2日で訪れることにしたのだ。ドア to ドアで、片道2時間程度だが、小旅行を...
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西鉄名島駅からJR千早駅まで、「にゃん電」に乗って一駅。千早からはJR鹿児島本線上りで門司を目指す。門司でJR山陽本線に乗り換えて、関門トンネルをくぐって本州、下関へ。2時半ごろ、ホテルにチェックインしたあと、遅めのランチをとろうと外に出たら、「しものせき海響グルメフェス」が開催されていた。 30余...
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瞬く間に日本旅も中盤に差し掛かろうとしている。昨日は無事、下関にある母校での講演を終え、夜、福岡市内に戻って来た。2時間程度の距離なのに、関門海峡の向こうの本州にあるというだけで、なぜか精神的に遠い山口県下関市。門司や門司港に差し掛かるころには、昔から、なにかしら、一抹の不安げな郷愁に誘われて、心が...
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