昨夜、CLUBHOUSEで4回目の部屋を開いた。テーマは「インドの磁力。米国生活(NY&DC)を経験🇺🇸CHで出会った2女性の対談」ということで、昨日記した通り、AIKOさんとのお話し。
本来は、インドへ至る経緯をお聞きするつもりが、ニューヨーク、ワシントンD.C.そして思いがけずフィラデルフィアにいた時期(わたしの夫が通っていたMBAがある都市)も重なっていたことがわかり、インドに至らないまま、参加されていたみなさんとのお話で盛り上がって90分が過ぎた。
わたしは今年から「手書き回帰」と称して、今まで以上に手書きの機会を増やし、万年筆や水性ボールペンなども駆使しつつ、日々を綴っているのだが、そのあたりについても同様の嗜好をもたれている方々がいらっしゃり、今度はZOOMで手書きや日記、記録についてを語り合うことになった。
昨年に引き続き、今年もYoutube上に各種セミナーをアップロードしたいと思いつつ、優先順位が後回しになっていたが、「記録を残せないCLUBHOUSE」での出会いを契機に、「記録を残すソーシャルメディア」の活用が自分の中で促進されるようで、新鮮だ。
海外生活が久しく、しかし英語力が中途半端なまま、今まで来ている。夫と出会ってからというもの、彼はわたしを分かり得ないのではないか。という思いはずっと抱き続けている。わたしが自分自身や世界観を表現する際、日本語を用いれば100%のところ、英語では40〜60%。しかも「平易な単語」を用いての表現において。
ゆえに、もう早い時期から、わたし自身、一定ラインを超える理解を諦めていた節がある。即ち限界。
ライターとしてのわたしの言語のセンスや、精神の空間を、彼が垣間見るのは難しいであろう。個性とは、日常会話の海の、遥か彼方に漂っている、あるいは深淵に沈んでいる。だから数年前、何かのサイトでウィトゲンシュタインのこの言葉を知ったとき、心を射抜かれた。
「私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する」
無論、たとえ同じ日本語を話していたとしても、精神的な共通言語をもたない人とは、会話が表層に留まって、滲み入らない。年を重ねるほどに、その思いは強くなる。
翻って昨日の部活。お会いしたことがないにもかかわらず、どこかしらに共通項がある方々と賑やかに言葉を交わし、プツンとCLUBHOUSEの部屋を閉じた。
静寂に包まれた瞬間に、
「私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する」
が、浮かび上がった。逆説的な意味で。経験を重ねて自分なりの考え方が一つ一つ、構築されつつある昨今。過去の賢者の教えに照らして学ぶべく、これからは読書を増やそうとの思いだ。なにしろライターにもかかわらず、ここ数十年は自分の体験重視、圧倒的に読書量が少ないが故。
以下、昨日の話題に出た関連サイトなどを。
坂田の半生動画は、学生向けセミナーの一環として、昨年6月に個人のチャンネルにアップロードしていたものを、のちにミューズ・クリエイションのチャンネルに移行している。近々、こちらのチャンネルに「結婚、ワシントンDC、インド」に至る話もしたいと思う。
◉モンブランの「蛇」のペンについて。
新たな息吹。手書き回帰の記念に蛇。ひとりミューズ・クリエイションにClubhouse.
◉坂田の世界旅の記録@ホームページ。ホームページ開始時の2000年から20年分。29年前のモンゴル旅日記も転載。
インド発、世界(ホームページ)
旅するMUSE
◉『街の灯』ポプラ社刊(2002年)
ニューヨーク生活を描いた短編エッセイ集
◉わたしの言語の限界は、わたしの世界の限界である。(2019年3月の記録)
https://museindia.typepad.jp/2019/2019/03/limit-1.html
◉人生を創るNOTE/このあたりのことを、ZOOMで語りたい。←語り合いました!
手書きの記録など@ブログ
🌏世界を旅し、海外に暮らし働く① 福岡&下関での子ども〜学生時代/20歳で初めての海外。ドメスティックな環境から海外へ飛び出した経緯など
*この動画は、2020年6月24日に坂田マルハン美穂個人のチャンネルで公開したものを転載しています。
【CONTENTS/ TIMETABLE】
0:12 冒頭の挨拶 ミューズ・リンクスのセミナーから今後少しずつ取り上げる予定
1:10 今回は自分の半生を通して語る海外での生活と仕事
2:15 インド・ライフスタイルセミナーのご紹介
3:18 海外で暮らし働いた経験に基づく提言18か条
6:30 記録の重要性/35年分のスケジュールノートの蓄積と5年日記の勧め
10:00 生い立ち。閉鎖的な環境の子ども時代、海外への関心が芽生えた契機
15:45 小学校低学年のころ、緊張症で神経質、人前で話ができなかった理由
18:35 中学時代の転校による成績転落と大反抗期。教師らとの軋轢
子どもの気持ちがわかる教師(高校の国語)になり、問題のある生徒を理解したい。
20:45 高校時代は弾けて楽しむ。バンド活動や体育祭の準備
21:50 教職課程のある下関の梅光女学院大学(元梅光学院大学)に進学
23:00 大学進学時、1984年の日本。バブル経済の黎明期の様子など
24:00 座右の銘「囚われちゃ、駄目だ」夏目漱石『三四郎』との出会い
28:50 田舎での寮生活の中、なんとしても海外へ出たいという欲求が炸裂
31:00 中洲のママみたいなファッションで挑む成人式。
31:26 大学2年の夏、初の海外。ロサンゼルス郊外で1カ月ホームステイ。人生の大転機
35:00 2年間の寮生活後、一人暮らしを始めた経緯。平家の落武者の霊……?
36:00 大学祭実行委員長になり斬新な学園祭を実施すべく活動。大学祭の準備を通し多くを学ぶ
45:30 進路変更。東京でボーイフレンドに助けられつつ就職活動するも全敗。
46:00 上京してバイトをする予定だと知った教授が就職先を探してくれ、無事に上京直後より職を得る
🌏世界を旅し、海外に暮らし働く② 東京での旅行誌編集者&ライター時代/バブル期の極貧生活、旅の日々、歴史を学ぶ重要性、フリーランス独立の経緯など
*この動画は、2020年6月26日に坂田マルハン美穂個人のチャンネルで公開したものを転載しています。
【CONTENTS/ TIMETABLE】
0:30 大学卒業後、海外旅行の情報誌(ガイドブックや雑誌)の編集プロダクションに就職
1:10 初の海外取材は1988年11月、戒厳令が解けた翌年の台湾。アナログ時代の台湾取材
3:00 日本統治時代の面影を残す台湾を訪れることで、歴史を学ぶ重要性を痛感
6:00 続くシンガポール&マレーシア取材、スペイン取材で、世界の多様性を垣間見る
6:30 「給料をもらいながら編集の勉強をさせてもらっている」ような2年半だった
6:40 シンガポールの背景と日本人駐在員男性に聞いた忘れ得ぬ「永遠の夏」エピソード
12:00 ボーイフレンドに振られる。バブル時代の日本の異様さ。足を知ることの大切さ実感
14:45 ステップアップするべく転職。当時の採用事情。条件を無視し男性向け求人誌で職探し
17:12 小さな広告代理店に転職が決まる。つなぎのバイト、夜の仕事を面接で断られる
20:55 世界各地の「ドライヴ紀行」を冊子にする編集。過酷な労働環境ながら有意義な海外取材
24:30 公私に亘って「海外旅行」に取り憑かれていた。旅の記録ノートの説明
26:10 1992年、ボーナスを費やして『モンゴル旅日記』を自費出版。当時の旅先の決め方
28:50 1993年、フリーランスのライター、編集者として独立。フリーランスになった理由
28:50 スケジュール管理重視。年に3カ月休暇、9カ月働き続け、年収1000万円以上を目標
30:00 年に3カ月休暇を取り、9カ月働き続けると決める。年収1000万円以上が目標
32:00 日本社会の理不尽さを体験。「底辺」でもあったフリーランスの経験から学んだこと
38:18 翌年3カ月間、欧州を列車で一人旅。英語力の必要性を痛感し、次は語学留学を決める
44:10 翌年は3カ月間、英国南部で英語学校に通う。ある日「次はニューヨークだ」と閃く
45:00 1年間のニューヨーク語学留学を目標に働く1年。収入が目標額に達したので実行
🌏世界を旅し、海外に暮らし働く③ ニューヨークで現地採用から出版社起業/インド人男性との出会い/就労ヴィザの自給自足/日本語フリーペーパー発行
*この動画は、2020年7月12日に坂田マルハン美穂個人のチャンネルで公開したものを転載しています。
【CONTENTS/ TIMETABLE】
0:25 7月12日時点でのインドの状況
1:15 バンガロールのすてきなフラワーショップ情報と音痴エピソード
3:00 東京からニューヨークへ(1996年4月)。語学学校に通う。日本人青年とルームシェア
6:30 経済的に余裕がなくなったので、現地の日系出版社で面接を受ける
8:17 日系出版社でフリーペーパーの広告営業として現地採用に(1996年9月)
9:30 多様性国家米国、ニューヨークでのビジネス経験
10:18 インド人男性アルヴィンドとの出会い(1996年の七夕)
13:33 恋に落ちた瞬間 マンハッタンの絶景!(ROCKY)
16:25 当初の帰国予定だった1年後が迫る
17:35 自分の会社を起業し、就労ヴィザを自給自足することを思いつく
20:06 ミューズ・パブリッシング起業(1997年7月)。移民法弁護士に依頼しヴィザ手配
24:40 自分の会社をスポンサーに就労ヴィザ(H1B)を取得(1997年12月)
26:08 ミューズ・クリエイションで仕事を開始。ひたすら営業(1998年1月)
31:18 ミューズ・パブリッシング、初仕事の思い出
32:10 不安な時期の忘れ得ぬエピソード。映画『ワーキング・ガール』
36:58 幾多の壁にぶつかりながらも、仕事が軌道に乗り始める
40:32 フリーペーパーの季刊誌(各号1万部)『muse new york』を創刊(1999年)
44:50 結婚への道のり/思い出の映画やドラマなど。そして業を煮やす(2000年12月)
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