新年早々、脳内がとっ散らかっているので、思うところをランダムに書き出してみよう。TO Do List だけでなく、思いもランダムに連ねて悪くはないだろう。 ◎2010年から毎年年末年始にアーユルヴェーダグラムで過ごし心身をデトックスしていたが、この2年は実施せず。昨年後半より軽めの腰痛が再発し始めた...
Read more →
土曜の夕暮れ時。TAJ WEST ENDと並んで、個人的に思い入れのあるホテル、OBEROIの緑に満ち溢れた庭へ赴いた。ジャーナリストの友人、SHOBA の新しい書籍の出版記念パーティが開催されたのだ。バンガロールに移住したばかりのころ、わたしは彼女と、とある勉強会で出会った。夫同士はまた、ビジネス...
Read more →
🙏今回の旅。ここしばらく公私共に立て込んでいたこともあり、夫が決めるまま「受け身」で訪れた。なにかしら、聖なる日と重なると聞いていたが、ヒンドゥー教にはしょっちゅう聖なる日やら大切な祝祭日があるため、あまり注意を払っていなかった。前回も我が誕生日の8月31日がスーパームーンの満月だったこともあり、大...
Read more →
The Inner Child という名のオーガニック・カフェでランチ 。アルナーチャラ山を眺めながら、この間と同じ、マッシュルームやほうれん草のクレープを注文する。とてもおいしい。 夫は、サットサン(サンスクリット語で「真理探究の集い」の意)ヘ。わたしは一人ふらりと喧騒の街を歩く。 足は自ずと、聖...
Read more →
2012年に、社会貢献活動の場である「ミューズ・クリエイション」を創設し、その名前を多用するようになり、そもそもわたしがビジネスとしてニューヨークで開始した「ミューズ・パブリッシング」や、インドにおける我がビジネス部門の「ミューズ・リンクス」の影が薄くなってしまった。「ミューズ」と冠するものすべてが...
Read more →
🧱昔から好きだった米国の建築家、フランク・ロイド・ライト。しかし実際の建築物をリアルに見た経験は、ニューヨークのメトロポリタンミュージアムにおいて、だけだった。 かつて、東京の「帝国ホテル」がフランク・ロイド・ライトの建築によるものだった……という事実をわたしが知ったのは、確か2015年。ホテル・オ...
Read more →
🏯日本に住んでいた20代のころは、海の向こうばかりに思いを馳せていた。旅の情報誌の仕事で国内取材もあったけれど、海外取材にかける熱量のほうが、かなり高かった。 日本を離れ、米国、インドと暮らすなか、歳月を重ね、母国の魅力を客観的に見つめられる目が育まれた。そして50歳を過ぎたころから、日本の特殊な地...
Read more →
👘一昨日、新天町で購入した着物を嬉々として持ち帰り、母に見せたところ、「そういえば、クローゼットの中に、昔の着物があるよ。スーツケースの中に入っているから、明日、見てみたら」と母。 母が昔、着物を持っていたことは知っていた。しかし、着物姿の母を見たのは、数えるほどしかない。そもそも洋装が好きだった母...
Read more →
👘わたしは、着物に縁遠い人生を送ってきた。子どものころ、七五三やお正月などに着物を着たり、夏祭りに浴衣を着たことはあったが、それは数える程。もちろん、着物の布の種類や品質について、思いを馳せるようなことはなかった。 わたしが成人式を迎えたバブル経済の時代、数百万円もする豪華な振袖を着る人が大半だった...
Read more →
昨日は、櫛田神社界隈を散策した後、『博多本』をパラパラとめくり、最寄りの気になる場所を訪れた。「博多旧市街」との名称で観光客向けに整備が進められているらしき界隈。日本人よりも、外国人観光客の姿が目立つ。 真言密教の祖である空海が「日本で最初に」建立したという「東長寺」へ。「九州八十八ケ所第一番霊場」...
Read more →
福岡を離れてちょうど40年。今になって、この土地の歴史や文化の深さについて、思いを馳せずにはいられない。 高校を卒業後、福岡を離れ、山口県下関市の大学に進んだ。それからは、東京、米国、インドと暮らし、久しく福岡に親しむ機会はなかった。しかしながら、年齢を重ねるにつれ、福岡だけでない、日本の伝統文化や...
Read more →
①天神大丸のエルガーラ、パッセージ広場。コスモスの花が秋の風情を醸し出す。 今年の日本は猛暑だったらしいが、今は季節の変わり目。うろこ雲や涼風が、秋の訪れを教えてくれる。一時帰国では、どうしても予定を詰め込みがちで、のんびりと世界を眺める時間が少なくなる。半年前は夫と一緒だったこともあり、気ままな行...
Read more →
昨日、半年ぶりの実家で朝食をすませ、美しい百合の花とともに、母の写真を撮影していたら、電話が鳴った。愛知県に暮らす2歳上の従兄弟のY兄ちゃんからだった。Y兄ちゃんと最後に会ったのは、30年以上前のこと。子ども時代は、祖母が暮らす嘉穂郡で、夏休みに会っていた。わたしが愛知まで遊びに行ったこともある。 ...
Read more →