1週間前、無農薬の野菜をオンラインで販売している「Gourmet Garden」の農場見学へ行った。先週はセミナーに集中していたため、ようやく昨日、編集をした。
農場見学のレポートだけでは、このビジネスがいかに画期的かということが伝わらないので、インドにおける農作物の変遷やオーガニック市場の実態についても、個人的に知る限りにおいて、言及した。
1980年代に慢性骨髄性白血病を発症した義母アンジナは、当時、抗がん剤治療を受ける代わりに、無農薬の野菜、特に麦の若葉を摂取することで延命した。自らオーガニック野菜を育てる「マルハン農場」を作り、クリニックを開設し、病に苦しむ人たちを助けていた。
そんなエピソードも織り交ぜつつ、後半で、農場の様子や、創業者へのインタヴューなどをレポートしている。つい先日、購入したばかりのGoProという動画用カメラで撮影してみた。
「初取材」はたいへん難しかった。GoProは映像が揺れないはずだが、わたしの動きがよほど雑なのか、映像がぶれる。見苦しい箇所は極力、カットしたが、今後は経験を生かして練習したい。
*動画へのリンクはコメント欄に記載するので、ぜひご覧いただければと思う。
00:06 ●坂田の個人的な経験に基づくインドのオーガニック食品事情
03:19 ●1980年代、無農薬野菜を育て、白血病と闘った義母ANJNAのエピソード
05:35 ●Gourmet Garden 農場見学の経緯
06:50 ●成長し続けるインドのオーガニック市場。その、ごく断片的な情報を参考までに。
08:24 ●お待たせしました! 農場です!
12:31 ●Gourmet Gardenのコンセプト
13:29 ●このビジネスをはじめた動機は?
14:35 ●ほかにも見学のファミリーが来訪/帰路、ブリュワリーでランチ
【動画のナレーション原稿】
●坂田の個人的な経験に基づくインドのオーガニック食品事情
2020年11月21日土曜日、快晴。この日、我々夫婦は、バンガロール郊外にあるオーガニック農園、グルメ・ガーデンへ赴きました。グルメ・ガーデンはちょうど1年前、2019年11月に販売を開始。我が家では、インドがロックダウンに入ったあと、今年の4月ごろから頻繁に利用するようになりました。
昨今のインドでは、オーガニックの野菜が手軽に購入できます。わたしはインド移住当初の15年前から、週に1、2回、農家から直接届く野菜を販売するオーガニックショップを利用したり、あるいは、比較的農薬の使用が少なく安全な野菜を提供しているナムダリーズで購入してきました。ナムダリーズは、スィク教徒が経営するヴェジタリアンのスーパーマーケットで、バンガロール市街にいくつもの店舗があります。
インドでは、10年ほど前から、Eコマース、すなわちオンラインショッピングが急成長し、2011年創業のビッグバスケットをはじめとするオンライン・スーパーマーケットなどでも、オーガニックの野菜が購入できるようになりました。ビッグバスケットの場合、独自ブランドのフレッショーほか、彼らが直接契約している農家から届くので、ある程度の鮮度が保たれています。野菜や果物の選択肢は少ないものの、特に不自由を感じることなく、健康的な食生活を送れています。
わたしがインド移住当初から、市井で出回る野菜を避けてきたのは、インドでは農薬が過剰に使用されているケースがあるからです。遠く歴史を遡れば、インドの野菜は農薬とは無縁でした。インドでは古来から、防虫効果のある「ニーム」と呼ばれるマホガニー科の樹木のオイルなどを用いて、農作物を栽培してきました。
ところが、1961年にインドで大飢饉が起こります。当時、世界各地で「緑の革命(Green Revolution)」と呼ばれる農業革命が起こっていました。品種改良された種子と化学肥料を大量投入して穀物の生産を向上させるものです。インドでは、1960年代半ばににインディラ・ガンディによって採用され、パンジャブ地方を皮切りに導入されました。
緑の革命は、農業の大増産を達成し、干ばつや飢饉から人々を救ったという点が認められる一方、農地は化学肥料や農薬によって毒されてきました。昨今では、その持続可能性が問われています。中でもインドでは、モンサント社の種子と農薬を使用した「木綿農家の悲劇」は未だに取り沙汰され、解決からは遠い社会問題になっています。この件については、別の機会に言及したいと思います。
人間や大地に害を与える、すなわちサステナブルではない農業に異議を唱える人は、インド全国各地にいて、実際にオーガニック農園を運営したり、市民活動を展開している人もいます。わたしもこれまで、幾度となく、そのような人たちが主宰するマーケットなどを訪れてきました。
●1980年代、無農薬野菜を育て、白血病と闘った義母ANJNAのエピソード
実は夫アルヴィンドの母、アンジナもその一人でした。彼女は1986年、43歳のとき、慢性骨髄性白血病と診断されました。アルヴィンドが12歳のときです。診断された直後より、医師の薦めに従ってキモセラピー(抗がん剤)による化学治療を受けましたが、その激しい副作用に、心身とも弱ってしまいます。
西洋医学の療法に疑問を持った彼女は、残された歳月を「自分らしく」生きるため、命の「長さ」よりも、命の「質」を選び取る決意をしました。ドナーを受けるべく夫ロメイシュと渡米するも、適合せず、落胆しつつも自分に適した治療法を模索。
アメリカ先住のネイティヴ・インディアン居住区、確か、セドナだったと思います。そこへ赴き、「スマッジ」と呼ばれる「ハーブを燻す煙で体内を浄化する」ということもやったようです。今年の1月に急逝した義父ロメイシュ・パパが「あれは煙たくてたいへんだった」と話していました。
ボストンに住むいとこのアマルジートの勧めでたどりついた食事療法を取り入れることにしました。やはりボストンで活動されていたアン・ウィグモア博士のメソッドです。そこに滞在してさまざまを学んだあと、インドに帰国。実業家だった父親の土地を分けてもらい、ヤムナナガールにオーガニックの農園を作りました。
そこで作った有機野菜を、自分たちだけでなく、同じように病に苦しむ人たちにわけていました。夫によると、義母は体によいということで大豆から味噌も作っていたそうです。
義母はキモセラピーに頼らず、その後7年間、生きました。その間、彼女は自分と同じような病に苦しむ人たちのためのクリニックを開き、多くの人たちを救いました。そのときのことは、当時の女性誌にも取り上げられています。
●Gourmet Garden 農場見学の経緯
ところでなぜ、グルメガーデンの農場を見学に行くことになったのか。実は先日、グルメガーデンからディワリのギフトで野菜やスパイスの詰め合わせを送っていただいたことを、フェイスブックに投稿していました。近々、農場見学に行きたいとのことも記していたところ、グルメガーデンに投資をしている日本の投資会社の知人がそれを読んで、CEOのアルジュンを紹介してくれました。そこで実現した次第です。
途中で道に迷いつつ、約1時間ほどで農園に到着しました。農園では、アルジュンと、共同経営者でチェンナイに拠点を持つヴィシャールが出迎えてくれました。昨年11月の開業以来、毎週末、顧客の農場見学を案内してきたそうですが、ロックダウンに入った直後から中止。この日は半年以上ぶりの久しぶりの見学だとのことです。
アルジュンは1年前まで、ビジネス・コンサルティング会社のマッケンジー&カンパニーに勤務していました。わたしの夫も、大学を卒業した直後、ニューヨークのマッケンジーに勤務していたこともあり、初対面そうそう、話が盛り上がっています。アルジュンから「我々夫婦のなれそめ」を尋ねられ、マンハッタンで出会ったエピソード語り始めてます。立ち話をしながら、共通の友人が複数いることもわかり、楽しそうです。
●成長し続けるインドのオーガニック市場。その、ごく断片的な情報を参考までに。
さて、インドでは、2000年代に入ったころから、穀類などを含むオーガニック食品の市場が成長しはじめており、2010年に入ってからは都市部を中心に、年率20%以上で成長し続けています。ただし、課題は多々あります。筆頭に挙げられるのは、仲介業者の介在、気候、ロジスティクスなどの問題でしょう。
どんなに安全な野菜が収穫できても、農家から食卓までの介在者が多いほど、値段も上がりますし、野菜の品質管理も困難になります。昨今ではコールドチェーン、すなわち低温に保ったままでの物流方式も、構築されつつあるインドですが、まだまだ不完全です。特に盛夏の時期には、届く野菜が腐敗しているなどの問題もあります。
グルメガーデンでは、自社農場で収穫した無農薬の葉野菜を販売すると同時に、直接契約した農家でつくられる野菜を販売しています。また、果物などは海外から輸入しており、これらはオーガニックでないものも含まれています。
個人的には、グルメガーデンの農場で収穫される、無農薬や水耕栽培の葉野菜などを頻繁に購入しています。葉野菜は傷みやすいことから、これまでインドで入手するのは、簡単ではありませんでした。ゆえに、家庭料理でサラダを出す頻度は極めて低かったです。ところが、ロックダウン以降は、グルメガーデンのおかげで新鮮な葉野菜を頻繁に食べることができています。
ウェブサイトにあるNATUROPONICとは、グルメガーデンのパテント、すなわち登録商標です。
野菜は汚染されていないココピート(ヤシの実の繊維)や、浄水を用いて温室栽培されています。種子は日本やオランダから届く遺伝子組み換えでない、高品質のものだそうです。
実際、わたしがグルメ・ガーデンを使い始めたころは、バンガロールは盛夏。彼らにとって、創業して初めて迎える夏だったということもあり、商品がすべて良質だったとはいいきれません。今でもたまに、許容範囲を超えて痛んだ野菜が紛れていることもたまにあります。ゆえに、パッケージの改良点や、今後、栽培してほしい商品のアイデアなども、消費者の目線から諸々、アドヴァイスをしてきました。