1920年から1933年にかけての、米国の禁酒法時代。パブやバーが閉鎖された一方、密造酒や密輸入した酒を出す違法の酒場「スピーク・イージー (Speak Easy)」が広まった。
もちろん、「スピーク・イージー」は表立って看板を出せないから、知る人ぞ知る、隠れ家のような構造になる。
昨夜、Leela PalaceのLe Cirque Signaturで食事を終えたあと、同ホテル内に最近オープンしたZLB 23へ。ここはまさにスピーク・イージーを再現した、隠れ家的なバー。夫から話は聞いていたが、わたしは昨夜、初めて訪れた。
え? こんなところから? ここを通過するの……?! というようなところを通り抜けて、たどり着くその店。まだ、訪れたことのない人が、今後行くときの楽しみを損わないために、経路を記すのは、控えておく。
ドアを開けば、そこは妖しきジャパネスクの空間。京都をテーマにしているというこの店は、内装もメニューも独特のオリエンタリズム世界だ。
なんともはや、おもしろい!
インドにおける高級日本料理店の先駆けは、ムンバイのタージ・マハル・パレスホテルに2004年8月31日にオープンしたWASABI by Morimoto。米国で人気を博した料理の鉄人森本氏の名を冠している。なぜ日付まで覚えているかといえば、わたしの誕生日と同じだからだ。
実は翌年の2005年8月下旬、わたしと夫はインド移住を前にしてムンバイ出張に来ており、同ホテルに滞在して、WASABI by Morimotoで我が誕生日を祝ったのだ。2008年の誕生日もまたここで過ごしたが、森本氏が米国から出張に来ており、お祝いにと何品かの料理をサーヴィスしてくれた。
[MUMBAI] WASABIで過ごす誕生日の夜。鉄人森本氏にも再会。2008/08/31
https://museindia.typepad.jp/2008/2008/08/mumbai-wasabi-5.html
食材の大半を日本から輸入しているとのことで、当時のインドにしては、驚くほどのお値段ではあったが、先進諸国に比すれば、納得できるものであった。
しかし、この20年のうちにも、インドの物価は理解&納得が追いつかない次元で高騰し、一方で「昔ながら」の価格も残っており、「物価感」の気持ちの置き所もまた、困難だ。
……ということを、SAKEのメニューを見ながら、改めて思う。2008年ごろから、急激に増え始めたオリエンタルレストラン。日本料理を含むアジア各地の料理を出す店で、時折、日本酒のメニューを目にしてきたが、値段が異次元。
それでも飲む人がいる、のだ。過去20年間、わたしの知る限りにおいても。
こういう、日常のごく断片、氷山の「一滴」にさえも、インドの底知れぬ潜在力が滲んでいる。外に出るたび、新しい発見の連続。そらもう、日々、タフなことは山ほどあり、それを綴れば尽きないから綴らぬ。不都合な日々に辟易しつつも、やっぱりこの国は、おもしろい。