現在は、インド各地でモンスーンの時節。デリーは数週間前、大雨が続いて道路が冠水し、たいへんだったようだ。それを思うと、少々の蒸し暑さくらい辛抱せねばと、昨日は外出を試みた。
所用もあって、近所のHauz Khas Villageへ。十数年前「お洒落なエリア」として脚光を浴び始め、玉石混淆ながらも歩くのが楽しかったこの界隈。
しかし今は、廃れ気味の感が否めない。そもそもから、雑然とした古い路地に、洗練されたブティックやカフェなどが点在するエリアだったが、お洒落で目を引くブティックが減っていると、単に古びた通りになってしまう。また時代は巡るだろうけれど。
その後、サケットというエリアにあるショッピングモール群へ。平日だというのに、多くの人々で賑わっている。
2020年1月に義父ロメイシュが急逝して、心の整理がつかないまま、世界はロックダウン。ようやく去年の10月、2年8カ月ぶりにデリーを訪れ、今年の1月に京友禅サリーの展示会をして……。
毎回、家の片付けなどに追われるばかりで、気持ちが落ち着く余裕がなかった。まだ、内装工事、壁の再塗装やカーテンの付け替えなど、あれこれとやるべきことはあるのだが、今回は、さすがのわたしも数日であれこれをやり遂げる気力なく、次回に見送ることにした。
バンガロールの旧居、新居、そしてデリー宅。さらには福岡の実家。どこに行っても、片付けばかりしている。尤も、片付けによる変化を楽しんでもいるので、昨今では「片付けも趣味のひとつ」ということにしているが、体調の管理も大切。慣れない気候の中で張り切って、主要行事の前に体調を崩してはいけないので、今回は控えめだ。
昨日はモールを歩きながら、ロメイシュ・パパが思い出されて、少しブルーになってしまった。パパが好きだったベーカリー (Bread Talk) や、パパが好きだった靴屋 (Hush Puppies)が目に飛び込んできては、泣けてくる。デリーには、パパとの思い出がいっぱいだから、夫もわたしも、まだ感情が揺れやすい。
とはいえ、パパはわたしたちのそんな様子を望んではいないはず。上階に暮らす義理の継母のUmaを誘って、夕飯を共にする。アルヴィンドの実母は、わたしが夫と出会う数年前に、慢性白血病で他界している。
そして、パパとUmaが出会ったのも1996年7月。なんと、わたしたち夫婦がニューヨークで出会った5日後のこと。そして結婚したのは、わたしたちよりも半年早め。ゆえに、二人が夫の両親として、嫁であるわたしを迎え入れてくれたのだった。
夕飯は、一昨日は家で、昨日は近所にある人気店、PLATSにて楽しんだ。家での食事は、もう30年以上、デリー宅を守ってくれているドライヴァーが準備してくれる。彼は運転だけでなく、さまざまなことを管理してくれる大切な存在なのだ。
PLATSのコンセプトは、以下の通り(ホームページの概要を要約)。
・フランス語で「皿」または「プレート」を意味するPlats
・料理のジャンルにはこだわらない。創造力とテクニックを駆使
・旬の食材を用い、各国料理の味付け取り入れる
・コンテンポラリーなダイニング体験を提供
・洗練されていながら心地よく、親しみやすい雰囲気
とまあ、こんなところか。開業したのは2019年の終わり、パンデミックの直前だったので、諸々たいへんだったようだが、デリヴァリーの拡充でしのいだとのこと。インド都市部の飲食産業は、パンデミックを経て大きく変容したとつくづく思う。
イタリアンにアレンジされたポーク・ダンプリング(小籠包)や、野菜のグリル、シーフードサラダ、コロッケ風、マッシュルームのクリームパスタなど、小皿料理やメインをシェア。どれも、ユニークながらも奇を衒わず、とてもおいしかった。デリー宅から徒歩数分のご近所につき、また来ようと思う。
ところでUmaは、昔から、インドファッションの着こなしがとても上手。昨日は、ロング丈のハンドブロックプリントのスカートに、クルタ(トップ)を合わせていて、とても素敵だった。マキシマム丈のスカートも、こうして着ると、重くなりすぎずにいい感じ。今度、真似してみよう。
ちなみにこのハンドブロックプリント(木版更紗)は、アジュラック染めと呼ばれるもので、インダス文明時代からの歴史を持つ。すなわち数千年前。現在のパキスタン、シンドゥと呼ばれるエリアが起源とされており、イスラムの幾何学模様や植物、花などがモチーフとなっている。
インドでは、グジャラート州やラジャスタン州で作られてきた。インド亜大陸のテキスタイルの歴史は、本当に古くて、豊かだ。