青梗菜とネギの炒め物。干し椎茸や高野豆腐入りの味噌汁。有明海の風味豊かな海苔。インド産の日本米「谷藤米」。放し飼い鶏の旨味ある卵……。
鍋で多めに炊いておいたご飯を、曲げわっぱに移しておくと、ほんのり檜のいい香りと、適度な潤い。
歳を重ねて、経験を重ね、実感し、腑に落ちることは多い。たとえば、自分の身体。
若き頃は、自分の身体の気に入らないところを意識しては、劣等感の材料にしてきた。インドに移住し、アーユルヴェーダに出合い、自分の身体を「大切な楽器のように取り扱おう」と頭の中で思っていても、うっかり無茶をしてしまいがち。
気持ちが先走って、身体の声が聞こえない。身体が健康なければ、魂も不自由になってしまうのに。だから静かに、耳を傾ける時間が必要なのだ。
なにも、スピリチャルな話をしているのではない。極めて、当たり前のことを、ここ数年は「身を以って」感じている。自分の身体の「気に入らないところ」を意識するのではなく、「いいところ」を尊重して、感謝しようと。
なるたけ身体が喜ぶ燃料(食事)を与え、適度に休養させる。1日の終わりには、軽くストレッチをして「お疲れ様」と労わり、1日の始まりには手のひらで全身を摩りつつ、「今日もよろしくお願いします」と挨拶をする。
かつては、ろくに鏡を見ることもなく1日を始めていた。しかしこのごろは鏡に向かって、おはようございます。という。化粧はミニマムのままだが、今までは適当に手櫛ですませがちだったところ(雑)、このごろはきちんと、髪を梳かす。すると自ずと頭皮が刺激され、目が覚めるような気がする。
老化は自然現象。抗うのではなく、痛めないように、しかし鍛えることも大切。不具合は放置せずに、早めに対策を講じる。
先日も記した通り、先週からアーユルヴェーダの診療所に通っている。腰痛治療のための10日間のプログラム。幸い、診療所が近いこともあり、移動時間を含めても、実質2時間程度。ゆえに朝か夕方、訪れている。
この期間、金曜日にミューズ・クリエイションの集い(若者向けACT MUZ。詳細はまた後日)を旧居で実施した以外は、対外的な約束をいれず。書斎の掃除や自分のことをしたり、猫らと昼寝をしたり、のんびり過ごしている。
アーユルヴェーダの診療所では、木製のベッドに横たわり、まさに「俎上の鯉」。生薬がたっぷり溶け込んだオイルで、頭髪から爪先まで、全身をマッサージされる。何千年も前から継承されてきた生命の医学、アーユルヴェーダ。遥かな歴史を重ねてきた治療法なのだ。信じて身を託せば、不具合は和らいでゆく。
死ぬまで元気でいるために。身体が喜ぶものを食べて、休息も尊んで、暮らそう。