シューマイ、と呼ぶには本物のシュウマイに失礼なので、シュウマイのようなもの。を作った、ということにする。思えばシュウマイなど、我が人生で作ったことがあっただろうか。思い出せない。
なぜシュウマイだったのか。
数日前、考えなしに「サモサの皮」を買った。これはサモサだけでなく、春巻きなどにも使えることから、日本人にも人気の食材である。
わたしは揚げ物をあまりしないので、春巻きを作ったことはないのだが、なんとなく、餃子のようなものでも作れるのではないか、と思い買ったのだった。
冷蔵庫にグリーンピーの残りを見た時、シュウマイが閃いた。幸い冷凍庫には豚の挽肉がある。早速解凍する。
果たしてこのサモサの皮でうまくシュウマイができるのか、少々不安だったが、3分の1に切ってほぼ正方形にし、堅くて割れやすいのでさっと水に浸した後、具を混ぜた。
クックパッドの人気ナンバーワンのレシピを参考に、具を使った。珍しくレシピにほぼ従ったが、個人的には砂糖は半量でよかった。
ともあれ、フライパンで蒸し焼くこのシュウマイ、なかなかにおいしくできた。しょうゆとバルサミコ酢を混ぜたものをたれにした。シューマイによく合う。本当はマスタード(辛子)でもあるといいのだが、あいにくなかった。
今度はこれで、なんちゃって餃子、を作ってみるとしよう。
冷蔵庫に残っていたキャベツとナスを適当に炒めたおかず。味付けは、塩胡椒。
シュウマイを食べているうちに、脳裏を巡るは旅先でのおいしかった点心や餃子など。
これは、1992年に上海や蘇州、無錫を一人旅したときの旅ノート。路傍の薄汚れた食堂の窓から見えた、調理場の巨大な鉄板。その上にはたこ焼きのような小籠包がひしめき合っていて、盛大に蒸し焼かれていた。
「生煎」と呼ばれるその焼き小籠包に目を奪われ、即座に列に並び、油が飛び散った汚れたテーブルで、食べた。その、おいしかったことといったらもう!!
今となっては、記録はほとんどネット上だが、こうして紙に残す記録は、いつでも本棚から取り出せて、遠い過去を瞬時に蘇らせてくれる。そして記憶を芋づる式に引き出してくれるのだ。
そして芋づる式に引っ張り出されたこの「台湾の本」。社会人になって初めての海外取材先は、戒厳令が解けた直後の台湾だった。23歳の冬。初めての海外取材はもう、筆舌に尽くし難い苦行であったが、台湾の食のすばらしさには、圧倒された。
体調を崩しながらもなお、取材先で出される料理を食べた。お腹を壊していてなお、食べることができた自分の若さを、今となっては、尊いとさえ思える。
なかでも、この店のインパクトは、壮絶だった。今ではすっかり有名店となり、世界各地に支店を出している鼎泰豐。繁華街にある、古びた3階建ての食堂だった。店頭では、小籠包を蒸すカゴから、いい香りの湯気がもうもうと立ちこめている。
取材だからと3階の奥のテーブルに通された我々。次々に出される、味の異なる小籠包には、目を見張った。編集者とカメラマン、2組に分かれての取材だったが、このときはたまたま2組が合流していた。カメラマンが撮影を終えるや否や、みなで黙々と食したことを思い出す。
観光客でも歓迎してくれる雰囲気だということを伝えるための写真だったはずが、とても観光客には見えないほど、場に溶け込んでいる我。太極拳、やったこともなかったのに。
食の記憶は、旅の記憶を引き起こす。
そのとき食べたものを糸口に、いろいろな思い出が引っ張り出されて、旅情が沸き上がるというものだ。ともあれ、今はもう、とてつもなく、鼎泰豐の小籠包が食べたい!!