ロックダウン41日目。軟禁生活45日目。昨日から、ロックダウンは第3フェーズに入り、近所の工事現場に槌音が戻った。ドライヴァーのアンソニーを呼び、外出をする。今、絶対に何かを買わねば、というのはないのだが、ちょっと外に出たかった。
本当なら、いきつけのThom’s Bakery へ行き、酒屋でビールを調達したいところだが、込み合っているに違いなく、反対方向の高級スーパーマーケットNature’s Basketへ。隣接するオーガニック専門店も目当てだったが、あいにく閉まっていた。
道中、少なくとも5、6軒のリカーショップを通過したが、いずれも長蛇の列。メディアでは各地の「長蛇」が映し出され、ソーシャル・ディスタンスがなきものとなっているところも見受けられたが、わたしが目にしたところはすべて、人々は1メートル程度の間隔で並んでいた。ゆえに、列はより、長く、延々と続く。
Nature’s Basketでは、やはり入り口で並び、手を消毒して店内へ。オンラインでは買えなかった食材をいくつか購入。しかし生鮮食品はオンラインで購入する方が鮮度も高くいい気がする。アルフォンソ・マンゴーやシンドゥーラ・マンゴーもいくつか買い求める。
そのあと、近所のNamdhari’sへ。ここはスィク教徒が経営する生鮮食料品店のチェーン店で、完全にヴェジタリアン向け食品だけを扱うが、なにかと便利。移住当初から行きつけの店だ。
あたかも病み上がりのあとの外出……のような、気だるさ。疲れる。マスクをしていると暑くて息苦しい。疲労度が増す。ずっとマスクをして働き続けねばならない世界中の人たちに思いを馳せる。
こうして外に出れば、やがて「以前の世界に戻る」ような「錯覚」に陥る。
しかし、それは錯覚なのだということを、肝に銘じて生きねばならない。
去年までのライフが、去年までの価値観が、再び戻ると思うのは、もはや錯覚の領域だ。
飛行機が飛ばない空が意味すること。
車が少ない道路が意味すること。
扉を閉ざし続ける店が意味すること。
校門が開かない学校が意味すること……。
4月のインドでは、新車の販売台数が、「ゼロ」だった。ロックダウン下、当たり前といえば当たり前の結果かもしれないが、このゼロという数字の、途轍もない重み。
これからの時代。物理的な条件もさることながら、物事の見方、考え方……精神力が試される時代が来る。常識は、変容を続けるだろう。受け身では、生き延びていくのが困難になるだろう。
この、オンラインさえ、ネットさえ、永遠のものではないということを、強く覚悟すべきだろう。
ネット上にぶちまけられているネガティヴな言葉、悪意に満ちた言葉、錯乱する情報に翻弄されている場合ではない。
あえて自ら、文明社会の「ある程度」に見切りをつける生き方も選べる。
環境になるたけ負荷をかけず、自給自足を目指しながら、田舎で生きる。森で生きる。山で生きる。海辺で生きる……。
若い人たちには、複数のケースを想定して、強く生き延びる道を、もう早いうちに、模索して欲しいと切望する。