今では信じられないことだが、十数年前、たとえば日本からのクライアントをお連れして、安心して食事をしてもらえる店というのは、主には高級ホテルのダイニングだった。
当時のバンガロールで、高級ホテルといえば、タージ、オベロイ、ITC、リーラ。独立店舗では、老舗Sunny’sやOlive Beachほか、数えるほどしか無難な店がなかった。胃腸が強い、もしくはローカル食を試したいと積極的な方は、もちろん他のお店にもお連れしたけれど。
外食産業が劇的に伸び始めたのは2010年あたりから。最初は新しい店がオープンするたびに、東西南北、赴いていたが、今では全く追いついていない。
新しい店が次々に生まれる中、しかし昨夜は、昔からなじみのあるMGロードのVivanta by Taj (旧TAJ Residency)のMemories of Chinaへ。偶然、友人一家と遭遇。彼らが北京ダックを食べているのを見て、我々夫婦はすぐさま感化され、久しぶりに、しかしこの店では初めての、北京ダックを味わった。
まずはマティーニで乾杯。
ニューヨークに住んでいたころから、「しみじみとした気分」のときには、マティーニだった。
そしてしみじみと、遠い日の、しかし深く心に刻まれた、北京ダックを巡る出来事に、思いを馳せる。ヴァージニアの、ペキン・グルメ・インのリリーは、元気にしているだろうか。
↓↓2005年5月23日発行のメールマガジンより転載↓↓
●北京ダックと、リリーの祝福
2泊3日の滞在を終え、昼頃、フィラデルフィアを出たわたしたちは、帰りにロングウッドガーデンに立ち寄った。2月に訪れたブランデーワイン・ヴァレーにある大庭園だ。
初夏の庭園は、生き生きした緑に包まれていて、冬にはなかった華やかさに満ちあふれ、それはそれは気持ちがよかった。特に今はアジサイが盛りで、温室で見た、目を見張るほどに大きなピンク色のアジサイは圧巻だった。
アジサイや桜やツツジなど、日本からこの国に来た花はさまざまにあるけれど、どれもが日本で見るよりも、遥かに大きくのびのびと成長しているのには驚かされる。土地の養分が違うのだろうか。
さて、午後を庭園でゆっくりと過ごした後、夕暮れのハイウェイを走る。
「夕飯はどうする?」と尋ねると、「久しぶりに、北京ダック食べに行こう!」と夫。「それはいいね、そうしよう」とわたし。
ヴァージニア州にある北京ダック専門店「ペキン・グルメ・イン」。ひところは月に一度出かけていたお気に入りの店だったが、この1年半ほど、なぜか行く機会を逃していた。
この店は『muse DC』の最初の号で取材をした、やはり思い入れのある店だ。以下はそのときの記事である。
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『父の教えを受け継ぎ、兄弟4人で店を守り育てる』
ペキン・グルメ・イン:リリー・ツィさん Peking Gourmet Inn: Lily Tsui
おいしいペキンダックをリーズナブルに味わえることで有名な中国料理店「ペキン・グルメ・イン」。週末ともなると、テーブルを待つ人々が入り口付近で列をなし、店内は活気に包まれる。
店の壁は、政治家をはじめとする著名人の写真で埋め尽くされている。著名人と一緒に写真におさまっている男性がオーナーだと疑わず取材を申し込んだ。ところが取材の当日、出迎えてくれたのは、リリーという女性だった。
「この店を創業したのは、5年前に他界した父のエディです。現在は兄たちと妹ニナとの4人で店を切り盛りしています。写真に写っているのは、著名人と撮影してもらうのが大好きな次男のジョージ、撮影しているのは長男のロバートです」
彼らの両親は中国の山東省出身。1950年代に一家は香港に渡り、両親はレストランビジネスを始めた。
「父は全く料理を作れない人でした。しかし料理を吟味する力、店を運営する能力は抜群に長けていました」
1950~60年代にかけて、エディの手がけた香港の店は成功を収めていたが、彼にはアメリカで一旗揚げたいという夢があった。1969年、彼は一家を率いて渡米、ヴァージニア州のアーリントンに店を開いた。
「両親は、毎日休みなく働いていました。彼らには休暇の概念さえなかったのです」
ひたすら働き続けてきた父も、60歳を過ぎてようやく引退する。ところが今度は、時間を持て余してしまう。
「ペキン・グルメ・インは、父が退屈に耐えられず始めた店なんです。1978年の開店当初、大学1年だった私を含め、兄弟全員が店の手伝いに駆り出されました」
当初は、現在の店舗の左端部分だけの小さな店だった。主に中国人客ばかりだったが、徐々に人気を集め、やがて店が手狭になる。84年には隣の自動車部品店、86年にはその隣の衣料品店だったスペースにダイニングを拡張、現在の規模となった。
エディは日ごろから、レストランビジネスに大切な心得を、子供たちに説き続けてきた。それは「常によいクオリティの料理とよいサービスを、ゲストに提供すること」。極めてシンプルに聞こえるが、それを実現・継続することは簡単ではない。
「開店当初、あれこれと試した結果、ニューヨーク州のロングアイランドにある農家で飼育されているダックを選びました。スーパーマーケットなどでは入手できない良質のものです。ダックと一緒に出すパンケーキもまた高品質の小麦粉を用い、手で捏ねています。そして自家農園で育てたネギに秘伝のタレ。いずれも他の店では味わえません」
現在、ダックは2日おきに、ロングアイランドから届けられている。1週間の消費量は平均600~700羽だという。
「ペキンダックの調理には丸2日を要します。最初に乾燥させ、焼き、テーブルに出す直前に揚げます。調味料は一切、加えません。だからこそ、調理の技術と素材のよさ、タレやネギなど付け合わせの味も問われるのです。
ちなみに本場北京では、ダックの脂身と皮を一緒にサーブしますが、アメリカでは脂肪を避ける方が多いので、サーブする際、削ぎ落としています」
この店には、ペキンダック以外の自慢料理に、風味・歯ごたえのいい「ニンニクの芽」を使った料理がある。このニンニクの芽は、有機化学の博士号を持つ長男のロバートが15年前に開発したもので、やはり自家農園で育てている。
このほか、自慢料理のLamb Chop Peking Styleはニュージーランドのラムを、Juon-Pao Soft Shell Crabはタイのソフトシェルクラブを、Juo-Yen Shrimpはメキシコのエビを使用するなど、良質の素材を世界各国から取り寄せている。
「父の教えをきちんと守っていれば、店は大丈夫だと信じています。シェフをはじめ、80名近い従業員は、よく働いてくれる人ばかり。長く勤めている人が大半です。店の規模は今がちょうどいいので、これ以上大きくするつもりはありません」
創業以来、毎日休まずに営業しているが、年に一度、サンクスギビングデーだけは休業する。
一家で米国に来た当初、父エディが言った「サンクスギビングデーは家族の日だ」という言葉に従って。
Peking Gourmet Inn
6029 Leesburg Pike, Falls Church, VA
703-671-8088
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久しぶりに店のドアを開けたら、リリーが迎えてくれた。
「まあ、ミホ、久しぶり! 元気だった? 随分、顔を見せてくれなかったのね」
「ごめんなさい。この1年余り、色々なことがあってね。実は来月、ここを離れてカリフォルニアに引っ越すの。だからその前にぜひ、ここの北京ダックを食べて行こうと思って」
リリーはわたしたちを席に案内し、傍らに立ってしばらく話をする。
インドでのビジネスチャンスを求めて、新しいステップを踏み出すのだ、と語るA男の話に耳を傾け、それはすばらしいこと、インドも中国も、今は伸びている最中だから、と笑顔で励ましてくれる。
そしてウエイトレスに、
「彼らはわたしの友達だから」と言って、また仕事に戻っていった。
以前は二人で1羽などという大胆な食べ方をしていたけれど、今回は控えめに人並みに半羽。それに自家栽培のチンゲンサイとシイタケのソテーを注文。
ウエイトレスがテーブルの傍らで、ペキンダックの皮や身を削ぎ切り、皿に並べてテーブルに供してくれる。温かなパンケーキに、秘伝のたれを塗り、長男が開発した風味のよいネギをたっぷり載せ、パリッと香ばしい皮を載せ、くるりと包んで食べる。おいしい!
満腹で幸せ、さてお会計を……というときに、ウエイトレスがやってきた。
「今夜はリリーのごちそうですから、お支払いは結構です」
顔を見合わせる我々。そんなわけにはいかない。思い返せば2年前、取材した直後、A男と二人で訪れたときにも、リリーはごちそうしてくれたのだ。「今回だけだから。次からはちゃんと払ってもらうから」と言って。
やがてリリーがやってきた。
「どうぞわたしたちに、支払わせてください」という我々に、彼女は言った。
「今日は、あなた方の新たな一歩に、祝福をしたいの。だから受け取って」と。
そしてA男に向かって、彼女は言った。
「人生に、同じ好機 (opportunity) は、二度訪れることはないと思うの。だから、今、リスクを負ってでも、がんばって挑戦して! そしてインドで一旗揚げたら、あなたの写真を送ってちょうだい。壁に貼らせてもらうわ」
わたしはもう、お腹だけじゃなくて、胸までいっぱいになってしまった。実のところは、「リスクを負う」ことが苦手なA男の心にも、その言葉は響いたようだった。
たった一度取材をさせてもらっただけで、あとは時々、食べに行くだけで、じっくりと話をしたわけでも、親しい友人だったわけでもないのに、こんな風に接してくれるなんて。
わたしたちは、せめてもとの思いで、多めのチップをテーブルに残し、席を立った。
もう、この店に来ることも、多分ないだろうけれど、今夜のことはいつまでも、忘れたくないと思った。
(5/23/2005) Copyright: Miho Sakata Malhan