Yesterday, I went to JP Nagar. Coincidentally, Puneeth Rajkumar had passed away around the time I took the photo of Dr. Rajkumar. RIP.🙏
昨日、家具工房の帰り道。JPナガール界隈は、昔ながらの南インド軽食店が多いこともあり、本来は朝食のドーサなどをランチで出している店を探して、食べて帰ることにした。
Google Mapのおかげで、界隈の「高評価」の店をすぐに探し出せる。大通りを外れ、昔ながらのコテコテな映画館の横を通り過ぎ、込み入った街路を通過して、たどりついたその店。おすすめのバター・マサラ・ドーサにはじまり、ワダを2種類、そしてサウスインディアン・コーヒーを注文(←食べ過ぎ)。
これだけ頼んで、100ルピーもしない。街中の小洒落た店での食事とは桁が違う。同じバンガロールにいてなお、別の国を旅しているような錯覚に陥る。
もっちりどっしりのドーサがおいしく、もりもり立ち食いしていると、急に大雨が降り始めた。直後、夫から電話。ここカルナータカ州のカンナダ(カンナダ語)映画の名俳優Puneeth Rajkumarが急逝したから、帰路、気をつけるようにと。
WhatsAppを開けば、友人らから関連情報がシェアされている。彼が入院していたカニンガムロード近くのヴィクラム・ホスピタル界隈が、大勢の人々で埋め尽くされている映像など。
かつてもバンガロールは、大スターの死に伴って、悲しみが高じて暴動に走る意味不明の輩が発生したケースもあり。今日は、市街中心部のKanteerava Stadiumにて葬送の儀式が執り行われたようで、交通規制や酒類の販売禁止などの措置が取られた。本日土曜の夜に参加予定だったホテルでの大規模なディワリ・パーティも延期となった。
さて46歳の若さで急逝したPuneeth Rajkumarのことを、わたしはよく知らなかった。彼の死に伴い、明るみになる偉業。関連記事に目を通しながら、心を打たれる。26の孤児院、45の学校、16の老人ホーム、1800人の子供の養育など枚挙に暇なく。彼の両眼は寄付された。
彼の妻と同じ血族である我が友人も、彼の死に強い衝撃を受けている。彼ら夫妻の人柄を称えるメッセージをシェアしてくれた。
わたしは2005年11月にインドへ移住し、その1年あまりたったあとから、慈善団体を訪れるようになった。この15年間に、いったいどれほどの篤志家の献身を目の当たりにしてきただろう。宗教関係者、実業家、教育関係者、一個人……。バックグラウンドを問わず、多くの人たちが、「人知れず」社会貢献をしている。
この「一つの国として存在していること自体が奇跡」と思えるインドが、インドたり得ているのは、国や政治に頼るのではない、自分たちの助け合いがあるからなのだということを、パンデミックを経ても、しみじみ、つくづく、心の底から実感する。
🙏1枚目の写真。左上&中央花輪の男性は、他界したPuneeth Rajkumarの父で、息子を凌いでの大人気俳優だったDr. Rajkumar。彼の息子が息を引き取った、まさにそのころ、たまたま、わたしはこの写真を撮影していた。