今朝は早起きをして、ホテルがアレンジしてくれたウォーキングツアーへ。参加者は我々夫婦だけだったので、ガイド氏の話をたくさん聞けたのはよかった。
今なお15世紀半ばから17世紀半ばにかけての大航海時代の名残を色濃く残す場所、フォート・コチ。ポルトガル、オランダ、英国という、欧州の3カ国に統治された歴史を持つのは、インドではここだけとあって、その歴史の濃密さもひときわだ。
かつて、一度訪れて、とても気に入ったスリランカのゴールの旧市街(フォート)と似た空気が流れているのは、ゴールもまたポルトガル、オランダ、英国の3カ国に占領された歴史があるからだろう。それは、スパイスや宝石を渇望する欧州列強により、侵略、支配されてきた歴史でもある。
大航海時代のヒーローのひとり、ヴァスコ・ダ・ガマ( 1460年ごろ〜1524年)。ポルトガルの航海者/探検家である彼は、欧州からアフリカ南岸の喜望峰を経由してインドへ航海した「記録に残る最初」の欧州人だとされている。
ヴァスコ・ダ・ガマは生涯で3回、コチを訪れ、このフォート・コチで死んだ。彼が住んでいた家(1枚目の写真)や、彼が弔われた聖フランシスコ修道院(4枚目の写真)は、今なお、その姿を残す。見るもの、聞くもの、すべてが遥か数世紀前と現在とをやすやすと結びつけ、歩いているだけで、時間旅行をしているかのようだ。ちなみにそのころ日本は室町時代。金閣寺などが建築されたころらしい。
スパイスの歴史は、大航海時代の遥か以前、紀元前数千年前から陸路、即ちシルクルート(シルクロード)経由でアラブの商人らにより交易されていた。しかし、1453年、東西交易の要衝を担っていたコンスタンティノープル(現在のトルコ、イスタンブール)が陥落したことにより、シルクルートが使えなくなったことから、海路の開拓が進んだとのこと(このあたりガイド氏の説明によるので未検証)。
かつてケララ州は、3つの王国(マラバー、コチ、トラヴァンコール)に支配されており、その歴史的背景も独特だ。ちなみに先日の和製マジョリカ・タイルのことを記した際に言及したインドの著名な画家、ラジャ・ラヴィ・ヴァルマは、トラヴァンコール王国の出自である。これに関する動画も、STUDIO MUSEのYouTubeチャンネルで公開しているので見て欲しいものだ。
【ケララについて】
○キリスト十二使徒の一人聖トマスが紀元52年頃に訪れ、キリスト教を布教。シリア語でミサを行ったことから「シリアン・クリスチャン」と呼ばれる。今でもその信仰は受け継がれている。
○コチに関していえば、人口の約半数がクリスチャン。16世紀初頭にポルトガル人が統治した際、一気に12ものローマンカソリックの教会が建てられた。
○ケララ界隈のマハラジャ(王族)は、デカタンで怠惰で危機感のないライフを送っていたことから、あっというまにポルトガル攻め入られ、スパイスやら象牙やらチーク材やらを持っていかれる羽目に陥った。
○遠い昔、女性が家長だった時代がある。
○識字率がインドで最も高く90%を超える。ガイド氏曰く、ほぼ100%。即ち教育水準が高い。
○政権の交代はその時々で起こるものの、従来から共産党の勢力が強い。「スターリン」と言う名の政治家が牛耳っていた時代もあり。彼に限らず、ロシア人の名前を持つ政治家が少なくなく、ブレジネフやらレーニンもいるという。政治家にとどまらず、ガガーリンさんやらスプートニクさんもいるらしい。
○1967年から1970年にかけて、毛沢東主義のナクサライトの拠点でもあった。赤い。
○赤い一方で、女性のサリーは白い。インドにおいて白いサリーは一般に寡婦が着用するものであるが、ケララのそれは白地に金色のボーダーが入っているところに違いがある。
○ケララの人は、象が好き。あっちこっちで、象の像をみかける。象の頭を持つ神様、ガネイシャもよく見られる。
○少林拳の起源? とも言われるカラリパヤットという武術発祥の地。
○歌舞伎の起源? とも言われるカタカリというダンスの発祥の地。
○5000年の歴史を持つ伝承の医学、アーユルヴェーダの発祥地でもある……。と、ケララ州のことを書き始めると尽きない。
今日、ガイド氏に教わった話もまだまだ尽きないので備忘録として残しておきたいのだが……現在、昼寝を終えて午後3時半。
これからスパークリングワインでも開けるので、とりあえず、この辺にしておく。
ちなみに朝食の写真は、ケララ料理で定番のアッパム(米粉のパンケーキ)に白いシチューを載せたもの。夫はなぜかヤクルトでコーデ。