「インドの産業の父」と呼ばれるタタ・グループの創始者、ジャムシェトジー・タタ。グジャラート州で、パールシー(ゾロアスター教徒)一族の元に生まれた彼は、1868年、29歳のとき、タタ・グループの前身である綿貿易会社を創業。その後、綿紡績工場を操業し、インド有数の資本家に。以下、日本との関わりも深い同社の歴史について、わたしのセミナーの資料から、一部を抜粋する。
○タタは創業当初から、パールシーの宗教観に基づく企業倫理、理念が徹底していた。教育、医療、インフラその他、さまざまな分野における社会貢献事業を続けている。
○1893年、ジャムシェトジー・タタは54歳のときに来日。日印間での綿花の直接取引を実現。従来はインドの綿花を英国が買い取り、日本が購入していた。渋沢栄一と深い関わり。英国のP&O汽船に変わって「日本郵船」が綿花を運ぶ。アジア諸国が欧州列強に席巻されていた時代、タタは日本と協調して英国に対抗。
○1903年、ムンバイにタージマハル・パレスホテルを設立。彼は大きな製鉄所や世界的な教育機関、ホテル、水力発電所などをインドに建設することを夢見たが、生前に実現したのはこのタージマハル・パレスホテルのみ。彼の構想は、その後、タタ・スチールやインド理科大学院(IIS)、タージ・ホテルズ・リゾーツ&パレス、タタ・パワーとして結実した。
ジャムシェトジー・タタが、このタージマハル・パレスホテルを設立した背景には、さまざまな物語がある。
1896年7月7日、ショーを見るために立ち寄ったボンベイのワトソンホテルで、彼は入場を断られる。「犬とインド人はお断り」のサインに衝撃を受けた彼は、最高のホテルを建立することを決意。インドで初めて、全館電気が使用された超高級ホテルとして1903年に創業。ドイツ製のエレベータ、アメリカ製のファン、トルコバス、英国人執事などを備えた。
ちなみに、この「1896年7月7日」のちょうど100年後に、わたしは夫とニューヨークで偶然に出会ったので、この日付は決して忘れられないのだ。
このホテルのことを調べている時、実は設計図とは「反対向きに」建設されてしまったという、いろんな意味で壮絶な逸話も知った。あまりにも衝撃的な歴史の背景を、ぐいぐいと調べたものである。この件についても、確かセミナー動画内で言及しているので、ぜひご覧いただければと思う。
そして、わたしたちがムンバイに住んでいたとき。2008年11月26日に、ムンバイ同時多発テロが勃発した。我々の生活圏内であるコラバ地区にあるこのホテルやカフェ、当時の夫のオフィスの向かいにあるオベロイ(トライデント)ホテルやユダヤ教会、駅などが標的となり、多くの人々が命を落とした。
折しも我々夫婦は、京都を旅していた。朝、ホテルのテレビに映った黒煙と炎を上げるタージマハル・パレスホテルの姿に絶句した。
このときの出来事も、過去の記録に連綿と残している。
今回のムンバイ旅の終わりに、タージマハル・パレスホテルを訪れ、Sea Loungeで一人、ハイティーを楽しんだ。アラビア海に向かって聳え立つ、インド門を望むSea Lounge。ここは、わたしが2003年の終わりに、初めてムンバイを訪れ、このホテルに滞在した時から、わたしがムンバイで最も好きな場所でもある。
あれから19年。このホテルも、インドも、ずいぶん変わった。
わたしも、年を重ねた。
それでも、この国を、この都市を、もっと知りたいと思う気持ちは、衰えることがない。特にムンバイを訪れて、その思いを新たにした。
Sea Lounge。いつもならば、窓辺の席に座るのだが、ここ何年かは、かつてと異なり、たいてい込み合っていて、窓際の席が空いていることがない。少し離れたところから、窓の向こうを眺める。
テロの後、営業を再開するも、ゲストが少なかったころ。ロビーにも、窓辺の一輪挿しにも、「白い花だけ」が飾られ続けている時期があった。そのころは、このラウンジのゲストもまた、わたしだけ……というときもあった。
かつては、老齢の給仕たちが、丁寧に応対してくれたこのラウンジ。今は彩りに溢れ、人々の語り合う声に満ちている。
平和であることの、証だ。
ニューヨークと、ムンバイが、わたしの心に深く刻印された理由の一つは、多分、双方の都市で、身近にテロを経験したこともあるだろうと、今回、切に思った。衝撃、怒り、悲しみ、苦しみ、祈り、願い、再生……。大勢の人々とともに、「強い感情」を共有したことが、自分の記憶や感傷に、影響を与えている。
もう、誰に向かって紀行を記しているのかよくわからないが、今回もまた、改めて記録を重ねた。このホテルを含め、個人的な体験を通しても数多あるムンバイの物語についても、近々『深海ライブラリ』ブログに、窓口を作ろうと思う。
◉パラレルワールドが共在するインドを紐解く③明治維新以降、日本とインドの近代交流史〈前編〉
人物から辿る日印航路と綿貿易/からゆきさん/ムンバイ日本人墓地/日本山妙法寺
https://www.youtube.com/watch?v=dPTWq1K1-r0&t=2s
◉ムンバイ、心の拠り処。タージマハル・パレスホテル(2013年の記録/テロの記録のリンクなどもはっている)
http://www.museindia.info/museindia/Blog/entori/2013/11/23_munbai%2C_xinno_juri_chu.tajimaharuparesuhoteru.html?fbclid=IwAR2yDhLnNba0Ijd-TAeJ3A9f9qAZe4SnPiSQ3eAUHxRPYaMpyHMWscOBy5g
◉[Mumbai Day 02-3] ゾロアスター教と、ボヘミアン・ラプソディと、タージマハル・ホテル。(2019/07/09)
https://museindia.typepad.jp/2019/2019/07/mumbai02-03.html